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てのひら無双 ~精霊に愛された人形師ときゃわわぬいぐるみ~  作者: 鮪野登呂介
港町エルミナ編

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最初はやっぱり!

さあ、いよいよです。この話を書きながら私もにやにやが止まりませんでした。しろ、ついに爆誕。かわいいよ、しろ。絶対かわいい。信じてください。

翌朝、楓は寝不足だった。


原因はわかっている。昨夜作り上げた狼のぬいぐるみが気になって、何度も起きてしまったのだ。暗がりの中でそっと手を伸ばしてぬいぐるみを確かめて、「うん、ちゃんとある」と確認して、また眠って、また目が覚めて確認して。


完全に親バカの動きだった。


まだ何もしていないただのぬいぐるみなのに。


「……まあ、いっか」


楓はむくりと起き上がり、テーブルに置いてあるぬいぐるみをランプの光にかざした。


昨夜作った小さな狼。手のひらにすっぽり収まるサイズで、耳がぴんと立っていて、黒い小石を磨いた目がつやつやしている。全体的に丸っこくて愛嬌があって、でもちゃんと狼だ。しっぽも少し太めで、全力でふさふささせようとした努力の跡がある。


「……よくできた」


親バカ全開の感想を胸にしまいながら、楓は着替えて一階に下りた。


---


朝ごはんはまた貝のスープとパンだった。


リリアが「今日も同じです」と言ったわけではないが、楓は「うまい!」と即答した。昨日もうまかったし今日もうまい。貝のスープは正義だ。


「なんかにやにやしてる」


向かいのルーチェが言った。


「してない」


「してるよ。昨日と全然顔が違う」


「すごく?」


「にやにやしてる」


楓は少し考えてから、ポケットに入れていたぬいぐるみをテーブルの上に置いた。


「できた」


ルーチェが前のめりになった。


小さな狼のぬいぐるみが、朝の光の中でちょこんと座っている。


「……かわいい」


ルーチェがぽそっと言った。普段とちょっと違うトーンだった。楓は内心ガッツポーズした。


「でしょ」


「触っていい?」


「どうぞ」


ルーチェがそうっと手を伸ばして、人差し指でぬいぐるみの頭をつんと触った。それから両手で持ち上げて、まじまじと眺めた。


「……これ、声各地で話題になるやつじゃない?」


「ぬいぐるみです」


「核心はそこ」


「核心とは」


台所からリリアが「見せて」と言ってきたので見せると、「まあかわいい!」と声を上げた。この親子、反応がいい。楓はさらに気分がよくなった。


今日は晴れだった。


ぬいぐるみができた。


スープがうまかった。


三つ揃えば上等だ、と楓は思った。


---


午前中、楓は屋根裏部屋に戻って二体目を縫い始めた。


最初の一体は「感覚を取り戻す」ためのものだったが、二体目からは少し攻めていいだろう。楓は布を手に取って、次は何にしようかと考えた。


また狼。でもせっかくなら違うものも作ってみたい。


……やっぱり狼だ。理由は特にない。なんとなく狼が好きな気分だった。


「……じゃあ、いくか」


誰もいない部屋でそう呟いて、針を持った。


手が、動く。


布を裁って、形を作って、縫い合わせていく。昨日より少し丁寧に。昨日より少し細かく。目の位置を少し変えて、耳の角度を少し調整して。縫い目が揃うよう息を整えながら、無心になっていく。


外から港の音がする。誰かが笑っている。荷車が石畳を転がっている。


でも楓の意識の中には、布と糸と針だけがあった。


こういう時間が、好きだ。


ずっと、ずっと、これが好きだった。


縫っている間だけは、上司の「トロいよね、ハハ」も、コピー機の悲鳴も、月末の貯金残高も、全部遠くなった。前の世界でもそうだったし、どうやら異世界でも同じらしい。針と糸は、どこでも楓を楓に戻してくれる。


そんなことをぼんやり考えながら、楓は縫い続けた。


---


完成したのは昼前だった。


昨日より少し小さめの、丸っこい狼のぬいぐるみ。


楓はぬいぐるみをテーブルに置いて、腕を伸ばした。首がこりこり鳴った。集中しすぎると体が固まる。これは前の世界でも同じだった。


ひとまず昼ごはんにしよう、と立ち上がりかけた、その瞬間だった。


ぴかっ。


「え」


テーブルの上のぬいぐるみが、淡く光った。


いや、光った、というより、光に「包まれた」感じだ。やわらかい、水色みたいな光がぬいぐるみをふわりと包んで、それが数秒続いて、スッと消えた。


「……」


楓は動けなかった。


「え、あの、え?」


目の前のぬいぐるみをガン見する。普通の狼のぬいぐるみだ。昼前に縫い上げた、手のひらサイズの、丸っこい、かわいい、のに。


ぬいぐるみの黒い目が、ほんのりと青く光り始めた。


「……!!」


声が出なかった。


ぬいぐるみが、動いた。


よちよちと、四本の足を使って立ち上がった。そしてくるりと楓の方を向いて、小さな首をほんのり傾けた。


まるで「なに見てんの」と言っているみたいだった。


「……精霊?」


女神が言っていた。精霊は自然界に宿る存在で、人目にはあまり見えなくて、気まぐれで、でも力は強くて。


スキルは「精霊親和」にした。精霊に好かれやすくなる、というやつ。


でも。


「待って待って。好かれやすくなるって、そういう意味じゃなくない??」


思わずツッコんでしまった。部屋に一人しかいないのに。相手はぬいぐるみだ。


ぬいぐるみが、ぴこ、と耳を動かした。


動いた。耳が。自分で。


「……かわいい」


思った瞬間、膝から崩れ落ちた。


崩れ落ちながらも「待って待って待って」と声に出しながら、でも目はぬいぐるみに金止のまま。ぬいぐるみはきょとんとした顔で(きょとんとした顔に見える。ぬいぐるみなのに)、楓が崩れ落ちるのを見ていた。


「お前、精霊なの?」


ぴこ、と耳が動いた。


「それ、うんってこと?」


今度はしっぽがふわり、と揺れた。


「……マジか」


楓は床に膝をついたまま、しばらく動けなかった。


精霊が、ぬいぐるみに、宿った。


自分が作ったぬいぐるみに。昨夜布を裁って、今朝縫い上げた、あの手のひらサイズの狼に。


「……そういうことか」


「精霊親和」の意味が、今やっとわかった気がした。楓が作ったものに、精霊が「宿りやすくなる」。宿り場所として選ばれやすくなる。


「女神、それ先に言っておいてよ……!!」


誰もいない部屋で思わず怒鳴った。もちろんアルテミアには届かない。あのどこかおっぱいの女神は今ごろ星空のどこかでのんきにしているだろう。正直に言って誕生したたばかりなのに受け入れたまま思わず怒鳴りした自分も何なんだ、と楓は小さくツッコんだ。


ぬいぐるみが、よちよちと楓に近づいてきた。


そして楓の膝の上に、ちょこんと座った。


「……」


「……か、かわいすぎる」


語彙力が死んだ。


---


しばらく床に座ったまま、楓はぬいぐるみと向き合った。


ぬいぐるみは楓の膝の上で丸くなったり伸びをしたり、せわしなく動いている。手のひらサイズなのに動きがやたら滑らかで、本物の動物みたいな自然さがあった。指先で触れると、またほんのり温かかった。


「名前、つけなきゃだな」


楓は小さく呟いた。


なんにしよう。精霊の名前。ぬいぐるみの名前。


ぱっと思い浮かんだのは「ましろ」だった。推しのましろんから一文字。白い衣装のあの子から一文字。でもこのぬいぐるみは全然白くない。グレーっぽい羊毛で作った、どちらかというとくすんだ色のぬいぐるみだ。なのに「しろ」という名前が頭から離れなかった。


「……しろ、でいい?」


ぬいぐるみが、しっぽをふわりと揺らした。


楓はしろを両手で持ち上げて、目線の高さにかざした。しろはじっと楓を見た。青く光る目で。まったく動じない目で。落ち着きのある目だった。


「よろしく」


しろの耳が、ぴこ、と動いた。


---


問題が起きたのはその夜だった。


部屋の隅で音がした。ガサッ。


「……?」


浮かび上がる意識の中で目を広げると、月明かりの中に小さな影があった。野ネズミだった。


「……ひっ」


小さく声が出た。小さかったのは楓なりに冷静を保とうとした結果だ。全然えらくない。


ネズミが部屋の中をうろうろしている。楓の荷物のあたりをくんくん嗅いでいる。嗅ぐな。触るな。そこに今日の残り糸が入っているんだ。


そのとき。


ぴっ、と青い光が灯った。


枕元に置いていたしろが、目を開けた。


そしてネズミの方を見た。


ただ、じっと見ただけなのに。


ごうっ。


部屋の中を、突風が走った。


ネズミが壁に向かって吹き飛んだ。壁に当たった、というより、壁をすり抜けるような勢いで消えた。轟音がした。壁がびりびりと震えた。窓の外で何かが倒れる音がした。


「…………」


部屋の中が、静かになった。


しろが楓を見た。なんでもないような顔で。というかしろはいつもなんでもないような顔だ。ぬいぐるみなので当たり前と言えば当たり前。


しろはまた丸くなって目を閉じた。もう寝た。


「……えっ、ちょ、今なに……?」


楓は固まったまま、壁を見た。


壁に、焦げ跡があった。薄く、でも確かに、何かが吹き付けたような跡が壁に残っている。


楓はゆっくりと視線をしろに戻した。


しろはすやすやしていた。


「……お前、どんだけ強いの」


返事はなかった。寝てるから。


楓は布団をかぶって目を閉じた。明日リリアになんて言おう。「すみません、壁に焦げ跡を……」「どうして?」「ぬいぐるみが……」「は?」


詰んだ。


「のんびりスローライフ……」


楓は遠い目で呟いた。暗い天井に向かって。手のひらの上のしろは、相変わらずすやすやしていた。


これが、楓の異世界生活、二日目の夜だった。


---


翌朝、壁の焦げ跡をリリアに見られた。


「カエデ、これ……」


「あ、えっと……」


「何があったの?」


「その……ネズミが」


「ネズミが壁を焦がしたの?」


「違います。ネズミをしろが追い払ったら焦げました」


「意味がわからないんだけど」


「私もです」


リリアは楓と焦げ跡を交互に見て、それから楓の胸元に収まっているしろを見て、なにかを察したような顔をして、深呼吸した。


「……とりあえず朝ごはんにしましょう」


「はい」


大人の対応だった。楓はリリアのことがますます好きになった。


ルーチェは下に下りてきて焦げ跡を見た瞬間に「なにこれ!?」と大騒ぎしたが、リリアが「朝ごはん食べてから」と言ったら一瞬で黙った。この親子、リリアが強い。


スープを飲みながら、楓は昨夜のことを話した。しろが宿ったこと。目が青く光ること。よちよち歩くこと。ネズミを追い払ったこと。壁が焦げたこと。


リリアはずっと静かに聞いていた。ルーチェはスープのことを完全に忘れて前のめりになっていた。


「……精霊が宿った、ってこと?」


「たぶん」


「少しどうなってるの……?」


「大分どうなってる。陳列は籍の中にあるし」


「……カエデさん」


「なに」


「あなたは一体何者なの」


「人形師です」


「それってワールド小さくなかった!?」


ルーチェのツッコミが地地良かった。楓は笑って、蚶のスープを一口飲んだ。


これが、楓の異世界生活、三日目の朝だった。

しろ、誕生おめでとう。壁の焦げ跡はごめんなさい。でも全部かわいいから許してください。次回はしろとルーチェのやりとりがもっと増えますよ。お楽しみに!

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