にぎやかになったね
この話、書いていて一番楽しかったかもしれません。しろが「それは違う」と割り込んでくる瞬間、ぽぽが乗っかろうとしてスルーされる瞬間、ほーくが満を持して喋り出す瞬間。全部好きです。カエデさんおつかれ。
つきが動き出したという手紙を読んだ翌日、何かが変わった。
最初に気づいたのは朝だった。
机の前で仕事の依頼書を広げて、どれを受けようか考えていたときのことだ。セレナ経由で届いた依頼が三件あった。一件は貴族の館に飾るための「大きなぬいぐるみ」で、指定の寸法が部屋の調度品に合わせた規格らしく、細かい注文書が何枚も添付されていた。カエデは首を傾けた。作れないことはない。ただ、なんとなく気が乗らなかった。注文書を読めば読むほど、「こういうものを作ってほしい」ではなく「こういうものを所有したい」という気持ちが透けて見える気がして。
「……どうしたものか」
独り言だった。返事を期待していたわけではない。
だから、声がしたとき、カエデは思わず立ち上がりかけた。
「……それは、受けなくていい」
低く、短く、静かな声だった。
振り向くと、しろが作業台の端に座っていた。普段と変わらない姿勢で、でも目がカエデの方をまっすぐ見ていた。依頼書を、見ていた。
「……しろ?」
「心がこもらない仕事は、カエデの役に立たないよ」
それだけ言って、しろはまた前を向いた。
カエデはしばらく固まっていた。
肩の上でぽぽが「ぽっ!」と一声鳴いた。それから、少し間があって。
「俺も同じこと思ってたぞ!」
ぽぽが言った。
しろは振り向かなかった。完全に無視した。
「ぽっ……!」
抗議の声だったが、しろはやはり動じなかった。カエデは依頼書を持ったまま、二匹を見比べて、それからもう一度しろを見た。
のんびりスローライフ……と思いかけて、今はそれどころではないと気づいた。
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昼過ぎ、ルーチェが戻ってきた。今日は花の仕入れ先への挨拶回りで、朝から出かけていた。腕に花束を抱えて、上機嫌だった。
「仲良くなれそうなお店が二軒あったよ。王都の花屋さん、みんな話しやすくて——」
ルーチェが話しながら室内に入ってきて、テーブルの上のお茶を一口飲んで、それから気づいた。
「あれ、なんか空気違う?」
「しろが喋った」
「え」
「今朝。依頼書を見て、受けなくていいって」
ルーチェはしろを見た。しろは作業台の端で目を細めていた。否定しなかった。
「……今まで喋らなかったっけ?」
「短い言葉はあったけど、こんなに——こっちの状況を見て、判断して、口を挟んでくるのは初めてで」
ルーチェは少し考えてから、「つきちゃんが動き出した日の翌日だね」と言った。
カエデもそれを考えていた。スキルが深化した。精霊との親和性が深まった、とアルテミアは言っていた。具体的に何が変わるかは「起きてからのお楽しみ」とはぐらかされたままだったけれど、もしかしてこれが——。
「俺はずっとこういうことが言いたかった」
ぽぽが言った。
カエデとルーチェが同時にぽぽを見た。
「ずっと?」
「ずっとだ。前から思ってた。でも言葉がうまく出なかった」
「ぽぽって敬語使わないんだね」とルーチェが言った。
「ぽっ! 俺はそういうタイプじゃない!」
「いや、別にどっちでもいいんだけど」
「俺はそういうタイプじゃないと言っている!」
カエデは何か言うべきかと思ったが、ぽぽとルーチェのやりとりが思いのほか成立していたので、口を閉じることにした。
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それから夕方、セレナが来た。
今日は珍しく一人で、クロードも連れていなかった。用件は短く、明後日の茶会についての確認事項が二つあるだけだった。カエデが答えて、セレナがそれを小さなノートに書き留めて、それで話は終わった。
帰り際に、セレナが部屋の中を見渡した。しろが作業台に、ぽぽがカエデの肩に、ほーくが窓際で羽の配置を整えていた。
「……今日は、にぎやかですね」
「にぎやかになりました、急に」
「急に?」
カエデが今朝からのことをかいつまんで話すと、セレナはじっと聞いていた。話し終えても少し沈黙があって、それからセレナは窓際のほーくを見た。ほーくが気づいて、羽を一枚きれいに広げた。自己紹介のつもりなのか、それとも単に見られたから整えただけなのかは不明だった。
「わたくしの意見を申し上げますと」
ほーくが、口を開いた。
カエデは動きを止めた。ルーチェが振り向いた。セレナが静かに目を瞬かせた。
「本日のカエデ様の判断は、おおむね適切だったかと存じますわ。あの依頼書は、受けない方がよろしい。心のこもらない仕事は、わたくしたちにとっても居心地が悪いですわ」
「……ほーく」
「はい」
「今まで喋れたの?」
「場の空気というものがございます。まず、しろ様が口火を切られた。次に、ぽぽ様がやや勇み足ながらも続かれた。その流れを受けて、わたくしが整理させていただくのが自然な順序かと」
ぽぽが「やや勇み足って何だ!」と言った。ほーくが「そのままの意味ですわ」と返した。
しろが作業台の端で、ほんの少しだけ目を細めた。何も言わなかったが、カエデには「……まあいい」と言っているように聞こえた。長い付き合いではないけれど、そういうことが最近少しずつわかるようになってきた。
「みなさんとお話しできて、光栄ですわ」
ほーくが静かにそう言った。羽の色が窓の光を受けて、金から緑へとゆっくり変わった。
セレナが、小さな声で言った。
「……素敵ですね」
誰への言葉でもなかった。でも全員に届いていた。
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その夜、ルーチェとお茶を飲みながら、カエデはぼんやりと今日のことを反芻した。
「なんか、急に増えたね。賑やかさが」
「増えた」とカエデは繰り返した。
「しろが口を挟んでくれるの、正直ちょっと安心するな。カエデって断るの下手だから」
「下手って」
「下手じゃん。いつも断りにくそうにして、でも受けたくないのに受けそうになるじゃん」
それは否定できなかった。
「ぽぽは……まあ、ぽぽだよね」
「ぽっ! どういう意味だ!」
「ぽぽらしいってこと」
「……まあいい」
ぽぽが珍しく折れた。ルーチェが「ほーくは上品だよね」と言うと、ほーくが「恐れ入りますわ」と返した。しろは何も言わなかったが、お茶の湯気の向こうで少し体を温かくしているような気がした。気のせいかもしれない。でもカエデは「気のせいじゃない」と決めた。
三体が、今日から少し、近くなった。
のんびりスローライフ……と思いかけて、これはスローライフなのかもしれない、とも思った。賑やかなだけで。
ほーくの「タイミングを見ておりました」、ここが書きたかったです。しろが一番先に動いて、ぽぽが続いて、ほーくが整理する——この順番、なんか好きです。次の話からこの三体が当たり前にいる日常になります。




