専門家はやっぱり変人
マクベスさんです。初登場です。この人のこと書きながら笑いをこらえていました。こういう人、いる。絶対いる。でもカエデさんにとっては初めて見るタイプなので、内心がにぎやかです。お楽しみください。
「精霊研究家がいる」とタウルが言ったのは、素体強化の話をした翌日のことだった。
「王都の外れに研究所を構えてる変わり者だ。精霊の生態を何十年も調べている。うるさいが、知識は本物だ」
「うるさい、というのは」
「会えばわかる」
タウルはそれ以上言わなかった。でも紹介状代わりの走り書きを渡してくれた。「タウルの知り合いなら追い返しはしない」という意味らしかった。
カエデは翌朝、ルーチェを誘った。
「精霊の研究家?」ルーチェは目を輝かせた。「行く!」
「理由は?」
「面白そうだから」
いつものルーチェだった。
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王都の外れは、中心部の石畳とは少し雰囲気が違う。路地が細く、建物の間隔が広い。静かで、どこか古い匂いがした。
目的の建物は、すぐわかった。
わかった理由は、外観が他と明らかに違ったからだ。
窓という窓に本が積み上げられていた。外から見えるくらい、びっしりと。入口の脇には謎の植物が鉢植えでずらりと並んでいて、そのうちの一つが明らかに光っていた。扉には手書きの木札がかかっていて「研究中につき静粛に、ただし来客は歓迎」と書いてある。矛盾している。
「……ここ?」
「たぶん」
「すごいね」とルーチェが言った。感心しているのか呆れているのか判別がつかない口調だった。
扉をノックすると、中からどたどたと慌ただしい音がして、しばらく沈黙があって、また何かが倒れる音がして、それからようやく扉が開いた。
カエデは、思わず固まった。
現れたのは、中年の男だった。背丈はそこそこある。着ているものは清潔だが、所々にインクの染みがある。そこまではいい。
問題は髪と眼鏡だった。
髪は、ぼさぼさだった。寝癖なのか地毛なのかすでに判別がつかないレベルのぼさぼさで、何かを調べながら頭を搔き続けた結果こうなりました、という風格があった。眼鏡は分厚かった。レンズが厚い。牛乳瓶の底、という表現がこれほど的確に当てはまる眼鏡を、カエデは前世でも見たことがなかった。
(こんなテンプレな研究者がいるか……!)
内心でそう叫んだが、顔には出さなかった。社会人の鑑だった。
「あー、タウルのところの人ですかあ? どうぞどうぞ、入ってください。散らかってますが気にしないでください、というか散らかってない場所がないので気にしようがないんですが」
矢継ぎ早にそう言って、男は中に引っ込んだ。カエデとルーチェは顔を見合わせ、おそるおそる中に入った。
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研究所の中は、外観の予告通りだった。
本、本、本。羊皮紙の束。何かの骨格標本。瓶に入った不思議な液体が棚に並んでいて、一つだけ中身がうっすら緑色に光っていた。カエデの目がそこに引き寄せられると、男は「あー、それは精霊石の研究用です。光るのは正常です」と言った。
「精霊石が光るのは正常なんですか」
「精霊の気配があると反応するんです。あなた方が入ってきたから光り始めたんでしょう。ということは——」
男の視線が、カエデの肩の上に移った。
ぽぽが「ぽっ」と一声鳴いた。
男の目が、変わった。
眼鏡の奥で、何かが輝いた。比喩ではなく、本当に目がきらきらしていた。牛乳瓶の底のレンズ越しに、ハートが見えそうなくらいだった。
「——こぉれが、精霊様の入っていらっしゃるぬいぐるみ、ですかあ?!」
声のトーンが三段階くらい上がった。
次の瞬間、男はぽぽに向かって両手を伸ばしていた。
「ちょ——」
カエデが止める間もなく、ぽぽがまさぐられた。正確には、ぽぽのぬいぐるみ部分を、丁寧かつ情熱的に確認するように両手で包まれた。羽毛の縫い目を指先でなぞり、素材の感触を確かめ、光の加減で色が変わる羽を目を細めて観察する。
「素材は……普通の綿ですね、それも質のいいもの。これはめずらしい。縫い目が均一で、心が込められている。こういう仕事ができる人形師がいたとは。そして精霊が宿っている。本当に宿っている。うわあ……うわあ……」
「ぽっ!!」
ぽぽが抗議の声を上げた。それでも男は手を止めなかった。
「鳴いた! 精霊が鳴いた! 感情表現もできるんですね! すばらしい!」
のんびりスローライフ……とカエデは思いかけて、今は緊急事態なので後にした。
「あの、マクベスさん、ですよね?」
「そうです! マクベスです! 精霊研究家です! 四十三年やってます!!」
元気だった。
ルーチェが「すごい人だね」と小声で言った。
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ぽぽへの熱烈な挨拶がひと段落してから、ようやく話を聞いてもらえることになった。三人分の椅子を確保するのに少し時間がかかったが(本が積み上がっていて)、マクベスは話し始めると別人のように落ち着いた。
「精霊親和。ありますよ、記録が」
カエデは思わず身を乗り出した。
「過去に三例、はっきりした記録が残っています。一例は三百年前。人形師ではなく、陶芸家の女性で、彼女が焼いた器に精霊が宿ったと伝わっています。もう一例は百五十年前、北方の呪具師。これは少し性質が違って、精霊を呼び込むというより精霊が自発的に近づいてきたようです。三例目は……記録が断片的で確かめにくいですが、王都に来る以前の話らしい」
「精霊親和って、生まれつきのものですか?」
「おそらくは、はい。ただ、生まれつき持っていても本人が気づかないことの方が多い。精霊の側が寄ってこなければ、わからないままです。精霊というのはそもそも、気配に敏感です。心の状態を感じ取ります。雑念の多い人間のそばには近づきません。穏やかな人、あるいは何か強い意志を持った人の傍に集まる傾向がある」
「強い意志……」
カエデは、しろのことを思った。はじめて会ったあの日、ただ好きで作っていたぬいぐるみに、気がついたら宿っていた。
「精霊って、そもそも何なんですか?」
マクベスは少し嬉しそうに眼鏡を押し上げた。
「大きな問いですね。私も四十三年研究していて、まだわかっていない部分が多い。ただ言えることは——精霊は、世界の意志の欠片だと思っています。山が持つ意志、川が持つ意志、風が持つ意志。それが形を持ったもの。だから人間に懐く精霊は珍しい。よほど、その人間の在り方が、世界の意志と重なっていなければならない」
「世界の意志と、重なる」
「あなたがどういう人形師なのか、私にはまだわかりませんが」マクベスはカエデをまじまじと見た。「精霊が4体も宿っているのは、私の知る限り前例がない。四十三年で初めてです」
そう言ってから、マクベスは眼鏡を光らせた。
「——ところで、ぬいぐるみを作るときはどういう気持ちで作るんですか? 素材はどう選びますか? 精霊が宿った瞬間を目撃したことは? 宿る前と後で重さは変わりましたか? 精霊が感情を表現するとき、事前に何か気配はありますか? 寝るときは一緒に寝てますか??」
「あ、ちょっと——」
「宿った精霊の種類と属性の関係について仮説があるんですが聞いてもらえますか? あと精霊親和を持つ人の幼少期の環境についても調べていて——」
「待って待って待って」
ルーチェが小さく笑っていた。助けてくれる気配がなかった。
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結局、カエデが研究所を出たのは夕方だった。
帰り道、二人で石畳を歩きながら、カエデはため息をついた。長い一日だった。最後の二時間は、完全にマクベスの質問に答え続けていた。
「楽しかった?」とルーチェが聞いた。
カエデは少し考えた。
「……楽しかった、と思う。たぶん」
精霊が世界の意志の欠片、という話は、まだ頭の中でゆっくり反響していた。しろのこと、ぽぽのこと、ほークのこと。彼らが自分のそばにいる理由を、まだうまく言葉にできない。でも、何かが少し解けた気がした。
「また来ますか、って言われたね」
「質問がまだあるって言われた」
「カエデさん、また捕まるね」
「わかってる」
肩の上でぽぽが「ぽっ」と鳴いた。同情なのか他人事なのか、やはり判断できない鳴き方だった。
王都の空は夕焼けで、石造りの建物が橙に染まっていた。エルミナとは違う夕方だ、とカエデはまた思った。でも、悪くなかった。
マクベスさんの「四十三年です!!」の元気よさ、書いてて大好きになりました。またそのうち出てきます。精霊親和についての話、カエデには刺さってたはずです。世界の意志と重なる人間、か。そういうことなのかもしれないね。




