彼女のために
王都って、ほんとうに色々あるんですよ。貴族とか縁談とか侯爵の複雑すぎる顔とか。でもそういう中に、こういう子が来たりする。それがいちばん困って、いちばん大事なんだと思います。
侯爵がカエデに「世話をかけた」と言いに来た、その翌朝のことだった。
侯爵はあれ以来、カエデと廊下で顔を合わせるたびに、微妙な角度で視線を逸らすようになっていた。怒っているわけではない。感謝しているわけでもない。ただただ、どういう顔をすればいいのかわからないらしかった。
カエデの方も、どういう顔をすればいいのかわからなかった。
「……私、何もしてないんですよ」
懐の中のしろに向けてそっと言うと、しろは静かに目を細めた。
「……カエデがいることが、問題なのだろう」
「それ私のせいじゃないですよね?」
しろは答えなかった。答えの代わりに、少しだけ目を伏せた。それが「まあそうだな」という意味だということを、カエデは最近ようやく理解できるようになってきた。
肩の上でぽぽが「ぽっ」と一声鳴いた。慰めているのか、それとも同意しているのかよくわからない鳴き方だった。
アルウィン侯爵邸の一室を借りて作業をしていると、セレナが扉を開けた。
「カエデさん、お客様をお連れしました」
後ろに小さな影があった。
八歳くらいの女の子だった。栗色の髪を二つに結って、服装はきちんとしている。貴族の家の子だとひと目でわかる身なりだったが、どこかこわばっていた。笑っていない——というより、笑い方を忘れているような顔をしていた。
「こちらはミア様です。わたしの友人のお嬢様で、カエデさんにご依頼があるとのことで」
セレナが穏やかな声でそう紹介すると、ミアはカエデの方をじっと見た。
カエデはとりあえず、床に近い高さまで腰を落として目線を合わせた。前世の記憶では、子どもと話すときはまず目線だ、と誰かに教わった気がする。OL時代の記憶は曖昧だったが、それだけはなぜか小さく艆えていた。
「はじめまして。カエデです。ぬいぐるみを作っています」
「……はじめまして」
声は小さかった。でもしっかりしていた。
「ぬいぐるみを依頼したいと聞いたんですけど、どんなのが欲しいか教えてもらえますか」
ミアは少し迷ってから、言った。
「……友達の、ぬいぐるみです。友達が欲しいって言っているので」
カエデはうなずいた。
話を聞くうちに、少しずつわかってきた。「友達」は実在しない。ミア自身が欲しいのだ。ただ、それを正直に言えない何かがある。家の事情か、それとも誰かに「我儘を言ってはいけない」と教えられてきたのか。カエデにはまだわからなかった。でも、なんとなく。「これは本人の話だな」と思った。
「どんなのが欲しいですか?形とか、色とか、何かありますか」
ミアはしばらく黙っていた。
懐の中でしろが、静かに息をした。ぽぽが肩の上でカエデの横顔を見ている。誰も喋らない時間が、少しだけ続いた。
そして、ミアはゆっくりと口を開いた。言葉を探すように。
「……強い子が、いい」
カエデはその言葉を聞いて、思わずしろの方を見た。
懐の中のしろが、ぴくりとした。
ぽぽが「ぽっ?」と首を傾けた。
強い子。
その三文字は短かったけれど、カエデには少し刺さった。
強い、というのはどういうことだろう。
しろのように、何があっても前に立ち続けることだろうか。ぽぽのように、何度弾かれても飛び上がることだろうか。
どちらも強い。でも、同じ強さではない。
それにこの子が「強い子がいい」と言うとき、本当に欲しいのはどんな強さなんだろう。
「わかりました」とカエデは言った。「少し考えさせてください」
ミアが、かすかに眉を動かした。断られると思ったのかもしれない。でもカエデは続けた。
「作ります。ちゃんと作ります。ただ、どんな強さがいいか、考えてから作りたいので」
ミアはしばらく、カエデの顔を見ていた。何かを確かめるように。子どもは嘘をつく大人の顔をよく知っている。だからか、その視線はまっすぐで、少し重かった。
やがて、小さくうなずいた。
笑いはしなかった。でも、少しだけ——肩が下がったような気がした。
セレナが静かに微笑んで、ミアを連れて部屋を出ていった。廊下の向こうに二人の気配が消えるのを待ってから、カエデは改めてしろとぽぽを見た。
「強い子、か」
しろは何も言わなかった。ぽぽが「ぽっ」と一声鳴いた。どちらも答えではなく、でも確かにそこにいた。
のんびりスローライフ……、とカエデは思いかけて、止まった。
今回ばかりは、そのあとに言葉が続かなかった。
針を取り出して、カエデは考え始めた。強さにも色々ある。戦える強さ。立ち続ける強さ。諦めない強さ。あるいは——ただそばにいてくれる強さ。
どれがあの子に必要なものか、まだわからない。でも、考えながら作ることはできる。それがカエデのやり方だった。
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夕方、ルーチェが街から帰ってきた。花屋の仕入れ先を開拓してきたらしく、今日も腕に花束を抱えていた。「どうだった?依頼の子」と神山ルーチェらしく、希腐なく問う。
カエデが今日のことを話すと、ルーチェは少し考えてから言った。
「あの子、笑いたそうにしてたね」
カエデは、止まった。
「……え」
「ほら、カエデさんがぬいぐるみ見せたとき。ちょっとだけ、口元が動いてた。気づかなかった?」
気づいていなかった。
カエデはミアの顔を思い返した。あのこわばった顔。笑い方を忘れているような目。でも——ルーチェの言うとおり、どこかに笑いたい気持ちがあったのかもしれない。押し込められていただけで。
「……笑いたかったのに、笑えなかったのかな」
ルーチェが「たぶんね」と言って、持ち帰った花を生け始めた。その手つきが慣れていて、カエデはなんとなくそれを見ながらまた考えた。
強い子。笑いたいのに笑えない子に、どんな強さを渡せばいいのか。
答えはまだなかった。でも、問いがはっきりした。
しろが懐の中で静かに目を閉じた。ぽぽが肩の上で小さく息をした。カエデは針を持ったまま、しばらく窓の外を見ていた。
王都の夕暮れは、エルミナとは違う色をしていた。石造りの建物が光を受けて、橙と灰色が混ざり合っている。きれいだな、とカエデは思った。でも帰りたいな、とも思った。
それはそれとして——まず、ミアのぬいぐるみを作らなくては。
ミアちゃんの「強い子がいい」って一言、書いてて胸が苦しくなりました。カエデが気づかなかったことに気づくルーチェのくだり、ここが全部だと思っています。次回、作る話です。




