まずは道具をそろえよう
目が覚めたら、知らない天井だった。
木の梁がむき出しになっていて、どこかしらから光が差し込んでいて、外からは鳥の声と潮の音と、誰かが元気よく怒鳴り合っている声がした。
楓はしばらくそのまま天井を眺めた。
そうだ。死んだんだ。
コンビニ袋に殺されたんだ。
二十八年生きてきて、走馬灯がましろんの悲鳴だったんだ。
「……うん、まあ、いっか」
声に出してみたら、案外すっきりした。
思えば前の世界で楓が好きだったものは、ましろんと、ぬいぐるみと、コンビニのホットスナック(特にからあげ棒)くらいだった。ましろんはいなくなったが、ぬいぐるみは作れる。からあげ棒はたぶんない。これは痛い。でもまあ、なんとかなる。
楓はむくりと起き上がった。
屋根裏の小窓から、青い空が見えた。
「よし」
二十八年分の「なんとかなる精神」を全部かき集めて、楓は立ち上がった。
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一階に下りると、リリアが台所で何かをぐつぐつ煮ていた。
「あら、起きた? 朝ごはん食べてく?」
「食べます!!」
即答だった。前世込みで過去最速の返答だったかもしれない。リリアが少し笑った。
朝ごはんはパンと野菜のスープだった。スープには貝が入っていて、塩気がちょうどよくて、パンはもちもちしていた。
うまい。
異世界のごはんがうまい。
からあげ棒はなくてもパンと貝のスープがあれば生きていける。人間なんとかなる。
「今日、どうするの?」
向かいの席でルーチェが食パンをかじりながら聞いた。昨夜と同じくそばかす顔で、朝から目がぱっちり開いている。こういう子は朝が強いんだろうなと思った。楓はコピー機が鳴くよりも早く起きなければならなかった前の職場を思い出して、少しだけ遠い目をした。
「道具を揃えようと思って。針と糸と、布と、綿と」
「お金は?」
「……ない」
「あ、そう」
ルーチェはそこでパンを一口かじって、のんびりと「まあそうだよね」みたいな顔をした。追い打ちも同情もない。なんかこの子のこういうとこ好きかもしれない、と楓は思った。
「お母さん、この子にちょっとお金貸せる?」
「なんで私が言わないうちにそういう話になってるの!?」
「いいじゃん別に。困ってる人にお金貸すの普通でしょ」
「普通って言葉の使い方が広すぎる! あとまだ昨日会ったばかりなんだけど!?」
台所のリリアがくすくすと笑った。
「いいわよ、少しだけなら。でも貸すんじゃなくて、仕事の前払いにしましょうか」
「仕事……ですか?」
「花屋の手伝い。ルーチェが最近サボり気味だから」
「サボってない!」
「昨日も花の水換えしてなかったでしょ」
「……してた」
「どの口が」
親子のやりとりを横目に見ながら、楓はスープを飲んだ。温かかった。貝がうまかった。なんかこの家、いいな、と思った。
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午前中、楓はリリアの花屋を手伝いながら街の話を聞いた。
ここは港街エルミナ。テラマーレ連合という島々の集まりの中心的な街で、交易で栄えている。人口は多すぎず少なすぎず、顔見知りが多い程度の規模だという。
「いろんな仕事の人がいるのね」と楓が言うと、リリアは「そうよ」と答えた。
「大工、鍛冶師、料理人、魚師、薬師、裁縫師……みんなそれぞれの仕事に誇りを持ってるの。この街はそういうところよ」
「人形師って、知ってますか?」
「人形師?」リリアは少し考えた。「布で人形を作る人……は、昔話には出てくるけど、実際に見たことはないわね。珍しい仕事ね」
「そうですよね……」
まあそうだろうとは思っていた。でも逆に言えば、競合がいないということだ。楓はひとりでにやりとした。
ライバル不在の市場に殴り込む女、山田楓。
語呂が悪いな、と思ったが気にしないことにした。
花の束を整えながら、楓はリリアにお礼を言った。
「泊めてくれて、ありがとうございます」
「いいのよ。あなた、いい目をしてるから」
「いい目……?」
「前向きな目。困ってるのに、やけになってない」
楓はちょっと照れた。照れたので、代わりに花の水換えを一生懸命やった。ルーチェが「なんでそんなに丁寧にやってんの」と言ってきたので「花に罪はないから」と答えたら「哲学者みたい」と返ってきた。
この子、ちょっとおもしろい。
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昼過ぎに、楓はルーチェに街を案内してもらうことになった。
ルーチェは「別に暇じゃないけど」と言いながらもちゃっかり先頭を歩いていたので、まあ暇なんだろうと思った。楓は黙っておいた。
「まずどこ行くの?」
「布地屋と、糸屋と、できれば綿か羊毛が欲しい」
「じゃあ市場だね。こっち」
大通りの市場は昼でもにぎわっていた。朝よりも人が増えていて、いろんな声が飛び交っていて、楓はついきょろきょろしてしまった。
染め上げた布が風にはためいている。
木の実で作った染料が小瓶に並んでいる。
革製品の屋台の隣に、乾燥させた薬草の束を売っているおじさんがいる。
魚の燻製と蜂蜜が同じ屋台で売られていて「合うのかそれ」と思ったが、試しに一口もらったら普通においしかった。異世界、すごい。
「カエデ、こっち!」
ルーチェが布地屋の前で手を振っている。
楓は駆け寄った。
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布地屋のおばさんは、人懐こくてよくしゃべる人だった。
「珍しいね、こんな子が布を買いに来るの! 何を作るの?」
「ぬいぐるみを作ろうと思って」
「ぬいぐるみ?」
「布と綿で作る、柔らかい人形みたいなものです。動物の形とか」
「へえ! 見たことないわそれ! 面白そうね!」
おばさんは目を輝かせて、布地の棚をあれこれ引っ張り出し始めた。楓の目も輝いた。
布が、ある。
種類が、ある。
前の世界のユザワヤほどではないにしても、麻布、羊毛の布、薄い綿地、厚手の織物、いろんな素材が揃っている。染料も豊富で、こっちには前の世界にないような色の布もあった。深い青緑とか、夕焼けみたいなオレンジとか、光をはらんだみたいな白とか。
楓はそれをひとつひとつ手に取って、触って、光に透かして確かめた。
おばさんが楓の手元を見て、ほうと息をついた。
「布の触り方、慣れてるね」
「ずっと縫い物してたので」
「どこで習ったの?」
「……すごく遠くで」
おばさんは「そう」と言って、それ以上聞かなかった。この街の人は、詮索しない人が多いらしい。楓はそれが少し嬉しかった。
結局、楓が選んだのは羊毛の布が一枚と、細い糸が数色と、詰め物用の羊毛の塊だった。
「全部でいくらですか?」
「そうねえ……五十グレイン」
「グレイン……」
楓はルーチェを見た。ルーチェは指を折って何かを計算している。
「お昼のパンが三グレインだから……まあ、妥当じゃない?」
「妥当かどうかわかんないけどとりあえずそうなんだね」
「そうなんだよ」
「わかった」
なんかふわっとした経済感覚のまま取引が成立した。リリアから前払いでもらったお金で払うと、おばさんが布を丁寧に包んでくれた。
「また来てね! ぬいぐるみ、できたら見せにきてよ!」
「絶対来ます!」
楓は元気よく答えた。自分でもびっくりするくらい元気に答えてしまったのだが、するとおばさんがにっこりして、おまけに糸を一巻き足してくれた。
「元気な子は好きよ」
元気にしてみるもんだな、と楓は思った。
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次に向かったのは道具屋だった。
針と指貫と、小さな糸切りばさみが欲しかった。ルーチェが「鍛冶師のアルバおじさんとこで買えると思う」と言って路地を曲がって、石造りの工房の前に連れて行ってくれた。
入口から中を覗くと、がたいのいい男の人が金床に向かって鎚を振るっていた。火花が散って、金属の音が響いて、見るからに「鍛冶師」という感じだった。
楓は少し緊張した。
ルーチェはまったく緊張していない様子で「アルバおじさーん!」と声をかけた。
鍛冶師が振り返った。
想像の三倍くらい、顔がやさしかった。
「おうルーチェ。今日は何だ?」
「この子が針とハサミ欲しいって」
「縫い物か? ちょっと待ってろ」
アルバさんは奥の棚をがさごそ探って、いくつかの針と小さなハサミを持ってきた。
「細いやつと太いやつ、どっちが要る?」
「両方欲しいんですけど……」
「じゃあセットで売ったるわ。どうせ細いだけじゃ足りん」
楓はその針を手に取った。
鉄製で、細くて、先がちゃんと尖っている。日本の手芸用品ほど精巧じゃないかもしれないが、これで十分縫える。ハサミも小ぶりで扱いやすそうだった。
「いくらですか?」
「二十グレインでいい」
「……高くないですか?」
「鉄だぞ」
「そうですね」
払った。反論の余地がなかった。鉄は大事。
アルバさんが針とハサミを袋に入れてくれながら、ぼそっと言った。
「何作るんだ?」
「ぬいぐるみです。布と綿で作る、動物の形の人形を」
「ぬいぐるみ」アルバさんは繰り返した。「見たことないな」
「この街の人、みんなそう言いますね」
「珍しいもんは売れるぞ」
「え?」
アルバさんは口の端を上げた。
「珍しいもんは売れる。この街の連中は新しいもん好きだからな。ちゃんと作れよ」
「……はい、頑張ります」
「指貫も要るだろ。おまけしとく」
「えっ、いいんですか?!」
「細かいことは気にすんな」
アルバさんはぶっきらぼうだが親切だった。ルーチェが「アルバおじさん、実は優しいんだよ」と言ったら「うるさい」と返ってきたので、やっぱり優しい人だと思った。
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市場を半分ほど回って、楓の手には布と糸と針とハサミと指貫が揃っていた。
両手がふさがって、荷物がずっしりと重くて、楓はそれがなんだか嬉しかった。
前の世界だったら「今日の仕事終わりにユザワヤ寄ろう」と思って、閉店ギリギリに駆け込んで、レジに並ぶ時間が楽しみだった。それとちょっと似ている。ちょっとだけ。
「疲れた?」
ルーチェが隣で聞いた。
「全然! むしろ楽しい」
「へえ」
「こういう素材探しが好きで」
「どんなの作るの? ぬいぐるみって」
楓は少し考えた。それから答えた。
「まずは小さい動物。手のひらサイズで、丸っこくて、触ったときに気持ちいいやつ。見てて和むやつ」
「和む?」
「なんか、ほっとする感じ」
「ふうん」
ルーチェはちょっと想像しているような顔をして、それから「見たい」と言った。
「できたら見せてね」
「見せます。絶対」
楓はにやりとした。
この街で最初の「楽しみにしてる人」ができた気がした。
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帰り道、大通りを歩きながら楓はぽつりと呟いた。
「ねえ、ルーチェ」
「なに」
「この街、いいね」
ルーチェが少し間を置いた。
「……そう? 普通だと思うけど」
「普通がいいんだよ。私、前のところでは全然普通じゃなかったから」
「どういう意味?」
「……まあ、いろいろ」
ルーチェは「ふうん」と言って、それ以上聞かなかった。この子は詮索しないのが得意らしい。親に似たのかもしれない。
潮風が通りを吹き抜けて、布地屋の旗がばたばたとはためいた。どこかから料理の匂いがしてきて、また楓のお腹がぐうと鳴った。
「お腹鳴った?」
「鳴ってない」
「鳴ってたじゃん」
「鳴ってない」
「鳴ってたよ」
「………鳴ってました」
「夕ごはんまで我慢して」
「はい」
ルーチェが先を歩いて、楓がその後ろをついていく。両手の荷物が重くて、でもその重さが全部「これから作るもの」の重さで、なんかいいな、と楓は思った。
コピー機の番をしていた頃には、こういう重さを感じたことがなかった。
のんびりスローライフ、という言葉が頭をよぎった。
そうだ。これからここで、のんびりやっていくんだ。
針と糸があれば、なんとかなる。
楓はそう思って、荷物を抱え直して、ルーチェの背中を追いかけた。
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その夜、屋根裏部屋で楓は初めての仕事にとりかかった。
リリアから小さなランプを借りて、床に布を広げて、頭の中で形を描く。
まずは狼にしよう。
なんとなく、最初は狼がいいと思った。ましろんはオオカミと人間のハーフという設定なのだ。せっかくならばましろんモデルのキュートな奴を作ろうではないか。
針に糸を通して、布を裁って、縫い始める。
手が動く。針が布を貫いて、糸が形を作っていく。子供の手なので力加減が違うが、感覚はちゃんと残っている。布の抵抗感、糸の張り、縫い目の細かさを確かめる感触。
ああ、これだ。
楓は小さく息をついた。
これが好きなんだよな、ずっと。
会社でどれだけ消耗しても、上司にどれだけ「トロい」と言われても、家に帰ってこうやって縫い物を始めると、世界が全部シャットアウトされて、自分と布と糸だけになった。そういう時間が、楓には必要だった。
異世界でも、それは変わらなかった。
むしろ、余計なものが何もない分、純粋に好きなことだけに向き合える。
窓の外から、港の波の音がした。
楓は黙々と針を動かし続けた。
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完成したのは、深夜だった。
手のひらにちょうど収まるくらいの、小さな狼のぬいぐるみ。
目の部分には市場で見つけた黒い小石を磨いたもの。耳はぴんと立っていて、しっぽは少し太め。全体的に丸っこくて、でもちゃんと狼だ。
「……よし」
楓はそれをランプの明かりにかざした。
うん、いいんじゃないか。
異世界一作目にしては、上出来だ。
楓はぬいぐるみをテーブルに置いて、ランプを吹き消した。
窓から月明かりが差し込んでいる。港の波の音が、ゆっくりと繰り返している。
楓は布団にもぐって、目を閉じた。
明日、これをルーチェに見せよう。
そう思ったら、なんか楽しみで、しばらく眠れなかった。




