つき、じゃあね!
エリちゃんが「約束?」と聞いて、楓が「約束」と答える。その場面を書きたかった回です。五歳の子の聞き方って、大人より真剣なことがある。
出発の前日、楓はつきを抱えてギルドに向かった。
しろが懐にいた。ぽぽが肩にいた。つきだけが腕の中にいた。いつもより少し固く抱えていたかもしれない。つきは何も言わなかったが、楓の腕の中で、いつもよりほんの少しだけ体を預けているような気がした。気のせいかもしれなかった。でも楓は、気のせいじゃないと決めた。
ギルドの前に着くと、ガルドがもう外に出ていた。隣にエリがいた。五歳の、小さい子だった。両手でハナを抱えていた。うさぎのぬいぐるみ。目が光っていない、精霊の宿っていないうさぎ。でもエリはそれを大事そうに持っていた。
エリが楓の腕の中のつきを見て、目を丸くした。
「あ」
「エリちゃん、こんにちは」
「……つき」
エリがそっと手を伸ばした。楓がかがんで、つきをエリの目線の高さに持っていった。エリの指先がつきの頭に触れた。つきの目が、ほんのりと光った。橙色の、温かい色で。
エリが息を呑んだ。
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「つきを、エリちゃんに預けたいんです」と楓は言った。「しばらく、遠くに行かないといけなくて」
「遠く」とエリが繰り返した。
「うん。王都っていう、もっと大きい街に。つきは一緒に連れていけないから、エリちゃんのそばにいてもらえたら、って思って」
エリがつきを見た。つきがエリを見た。
「……遠くに行くと、動かなくなるんですか」とエリが聞いた。大人みたいな聞き方だった。
「そう。私から遠くなりすぎると、ただのぬいぐるみになっちゃう。でも、街の中くらいなら大丈夫。エリちゃんのそばでちゃんと動ける」
エリがしばらく考えた。五歳の子が考える顔だった。眉間に少しだけ皺が寄っていた。
「じゃあ、カエデさんが帰ってきたら、また動く?」
「動く。ちゃんと帰ってくるから」
「約束?」
「約束」
エリがまたつきを見た。つきも、じっとエリを見ていた。二体が見合って、しばらく動かなかった。それから、エリが両腕を開いた。楓がつきをそっとエリの腕に渡した。
つきはエリの腕の中に、どっしりと落ち着いた。いつもの重さだった。どっしりしていて、どこにいても揺るがない感じの。
エリが「つき」と小さく呼んだ。つきの目が、また橙色に光った。
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ガルドが横に立っていた。楓の隣に来て、エリとつきを見た。
「……世話をかける」
「世話じゃないです。お願いしてるのは私の方なので」
「エリに任せて不安じゃないのか」
楓はエリを見た。エリはもうつきと向き合っていて、何か話しかけていた。声は小さくて聞き取れなかった。つきはそれを聞きながら、エリの顔を見ていた。
「不安じゃないです」と楓は言った。本当にそう思った。「エリちゃん、ちゃんとしてますよ」
ガルドが少し黙った。それから「そうだな」と言った。珍しく、柔らかい声だった。
「ガルドさん」
「なんだ」
「帰ってきたら、また仕事をください」
ガルドが楓を見た。少し驚いたような顔をして、それからいつもの顔に戻った。
「当たり前だ。仕事は積んである」
「追伸ばっかりなのに、ちゃんと本文もあったんですね」
「……何のことだ」
「手紙の話です」
ガルドが少し咳払いした。楓は笑いを噛み殺した。
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帰り道、ルーチェが店の前で荷物を確認していた。
「つき、どうだった」
「エリちゃんに懐いてた。というか、最初からなんか通じてた感じ」
「つきってそういう子だよね」ルーチェが荷物の中を見ながら言った。「どっしりしてて、でもちゃんと見てる」
「そうだね」
ルーチェが荷物の中から何かを取り出した。小さな巾着だった。
「これ、花の種。王都でどんな花が手に入るか、まだわからないから」
「種まで持ってくの」
「当たり前じゃん。花屋の娘だし」
楓はルーチェを見た。ルーチェは至って真剣な顔で種の巾着を荷物に戻していた。王都に行く理由が「花屋がたくさんある」で、荷物に花の種を入れていく。それがルーチェだった。
「頼もしいな」と楓は言った。
「当然」とルーチェが言った。
ぽぽが「ぽっぽん!」と言った。しろが楓の懐で静かにしていた。つきの重みがなかった。
少し、軽かった。腕が。
当たり前のことだったが、初めて実感した。
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その夜、楓は一人で仕事をした。
くまの試作品の仕上げだった。エリちゃんへの注文ではなく、持ち歩き用の小さいもの。旅先でも針を動かしていたかった。それだけの理由だった。
しろが傍にいた。ぽぽが「ぽっ……」と眠そうに鳴いた。今夜はつきがいない。テーブルの端が、少しだけ空いていた。
楓はその空白を見て、それから針を動かした。
つきはエリちゃんのそばにいる。それでいい。つきがどっしりと誰かの傍にいるのを想像すると、妙に安心した。あの子はどこに置いてもそこに根を張るような子だった。
しろが楓の手元を見ていた。
「何作ってるの?」と楓が聞いた。
しろは答えなかった。でも耳が少し前を向いた。興味がある、というときの耳の向きだった。
「王都でも針動かそうと思って。旅先でも仕事できるように」
しろがまた静かになった。
それからしばらくして、「……持っていけ」と言った。
「何を」
「針と糸と布。全部」
「全部は多くない?」
しろが目を細めた。全部持っていけ、という意思が伝わった。楓は「わかった」と言って、針を動かし続けた。
窓の外から港の音がした。夜のエルミナの音。
明日、出る。
つきがいなくなって「腕が軽い」という感覚を書きました。当たり前のことなのに、初めて実感する。楓らしい鈍さだと思います。楽しんでいただけたら、ブックマークや高評価をいただけると次を書く力になります。よろしくお願いします!




