執事もたまには動揺します
クロードが少し動揺している。「問題ございません」を二回言う、それだけで十分伝わるものがあると思っています。
使者が来たのは、午後の一番のんびりした時間帯だった。
楓がエリちゃんの熊のぬいぐるみ二体目に取りかかっていたとき、花屋の表で馬の蹄の音がした。ルーチェが窓から首を出して「なんか立派な馬車が止まった」と言った。楓が「うちに関係ある?」と聞くと、ルーチェが「うちじゃなくてセレナさんとこっぽい」と言った。
二人して窓から見ていると、馬車から降りた使者が手紙を持ってアルウィン邸の方へ歩いていくのが見えた。
「なんだろうね」とルーチェが言った。
「さあ」と楓は言って、針に戻った。それで終わるはずだった。
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翌朝、クロードが来た。
クロードが一人で花屋の扉を開けたことが、まず珍しかった。いつもはセレナと一緒か、セレナの先触れとして来るかのどちらかだ。今日はセレナの姿がなく、クロードだけが立っていた。
「山田楓様」
「はい」
「セレナお嬢様が、お話ししたいことがあるとのことで」
それだけなら普通の用事だった。でも楓は、クロードの顔をもう一度見た。
普段のクロードは完璧だ。表情の作り方が神がかり的に上手で、何を考えているかわからない。それがクロードの通常だった。でも今日は、何かが少し違った。崩れているわけではない。ただ、目元の力が、いつもの百パーセントではなかった。
「クロードさん、大丈夫ですか」
「問題ございません」
「なんか少し……」
「問題ございません」
二回言うのが、逆に問題を示唆していた。楓は何も言わなかった。しろが懐の中でわずかに首を傾けた。ぽぽが肩の上で「ぽっ?」と小さく問いかけた。
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宿に着くと、セレナは応接間で紅茶を飲んでいた。
「…ここって貴族様しか止まれない超高級宿なんじゃ」
「あら?来てくださったのね。こちらへどうぞ」
姿勢が良くて、手が白くて、カップの持ち方がきれいで、窓からの光の中で静かに座っていた。いつものセレナだった。いつもと変わらなかった。
楓を見て「来てくださいましたね」と言った。「座ってください」と言った。クロードが素早く椅子を引いた。
「昨日、使者が来ましたね」と楓は言った。
「見ていたのですか」
「窓から」
セレナが「そうですか」と言って、カップを置いた。
「公爵家から縁談の話が来ました」
部屋が静かだった。楓は「公爵家」という言葉の重さをうまく測れなかった。エルミナで生きてきた感覚では、公爵というのが具体的にどのくらい大きいのかわかりにくい。でも、セレナの表情が変わっていないことは、わかった。
「どんな気持ちですか」と楓は聞いた。
「別に嫌ではありません」とセレナは言った。「ただ、向いていないと思っています」
「向いていない?」
「結婚そのものには反対しません。ただ、政略的な理由でどこかの家に収まることには、あまり興味が持てなくて」
セレナが少しだけ窓の外を見た。その横顔が、いつもより少し人間らしかった。
「つきに会ってから、外に出ることが怖くなくなりました。それ以来、自分がどこでどうありたいか、少し考えるようになったんです」
楓は何も言わなかった。何か言えるような立場でもなかった。ただ、聞いていた。
「それで、カエデさんに来ていただいたんですが」
「はい」
「王都に一緒に来ていただけませんか」
楓は一拍止まった。「……王都?」
「私が王都に戻る必要が生じました。顔を出さないわけにはいきません。ただ」とセレナが言った。「人形師との仕事の話が忙しいという口実があれば、宮廷への足を少し遠ざけることができます」
「つまり私は口実ですか」
「重要な口実です」
「……それは、うれしい言い方なんでしょうか」
セレナがほんのわずかに口元に何かを乗せた。笑いとまではいかない。でも笑いの手前の何かだった。
「カエデさんがいれば心強いというのも、本当のことです」
楓はしばらく考えた。王都。大きい街。知らない場所。エルミナじゃないところ。のんびりスローライフ……の遠い目をしかけて、やめた。やめて、しろを見た。しろは楓の顔を見ていた。何も言わなかった。でも耳が少し前を向いていた。
「少し、考えさせてもらえますか」
「もちろんです」
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帰り道、楓はずっと黙って歩いた。ぽぽが肩の上で珍しく静かにしていた。しろが懐の中で丸まっていた。
エルミナの石畳。慣れた道。リリアさんの花屋の前を通ると、ルーチェが店先で水やりをしていた。
「どうだった?」とルーチェが聞いた。
「……王都に来ないかって言われた」
ルーチェが如雨露を置いた。
「行く!」
「え」
「行く! 決まり!」
「いや、ちょっと待って、ルーチェが行くかどうかの話してないから」
「行くに決まってるじゃん」とルーチェが言った。顔は既に決まっていた。「花の仕入れ先、王都にも探したかったし。面白そうだし。カエデがいるし。行く」
「理由が多い」
「多い方がいいでしょ」
楓が「お母さんは?」と聞くと、ルーチェが「お母さんに任せる。あの人の方が花屋うまいし」と言った。楓が「それはそう」と思わず言った。
ぽぽが「ぽっぽん!」と言った。乗り気だった。しろが懐の中でわずかに動いた。
「……まだ決めてないから」と楓は言った。
「決まったも同然だって」とルーチェは言って、また如雨露を持った。
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その夜、楓は針を動かしながら考えた。
エルミナが好きだ。この街が好きだ。ガルドさんの顔も、ドワンさんが月に二度立ち寄ることも、リリアさんのスープの味も、ルーチェと飲む午後のお茶も。全部好きだ。
でも、行かない理由が、うまく見つからなかった。
セレナが王都に戻る。自分に声をかけた。そのことが、なんとなく無下にできなかった。つきを見てから変わったと、セレナが言っていた。つきは今でもドワンさんの荷物の上でどっしりしていて、ガルドさんからの手紙にはいつも追伸がある。つきと自分は、あの街にいる間も繋がっている。
しろが膝の上に来た。丸まった。重かった。いつもの重さだった。
楓は「行くかも」と小さく言った。誰にでもなく言った。
しろが耳を一度だけ動かした。それだけだった。
ルーチェの「行く!」が一番気持ちよかったです。理由なんてない、面白そうとカエデがいるから行く。それがルーチェです。楽しんでいただけたら、ブックマークや高評価をいただけると次を書く力になります。よろしくお願いします!




