エルミナの人形師
ついに第1章が完結します。普通の一日を書きたかった回でした。仕事して、ガルドが来て、ドワンが来て、ルーチェと笑う。それがカエデの「普通」になった、ということがこの話の全部です。
普通の朝だった。
起きたら、しろが枕元で丸まっていた。ぽぽが足元で「ぽっ!」と言った。つきはテーブルの端で、いつもの方角を向いて座っていた。
楓は顔を洗って、着替えて、一階に降りた。リリアさんがもう店を開けていて、「おはよう」と言った。ルーチェがまだ寝ぼけた顔で花の水やりをしていた。昨日の夕方に仕入れた白い小花が、朝の光の中でまっすぐ立っていた。
普通の朝だった。
でも、こういう朝を積み重ねてきたのだ、と楓は思った。エルミナに来てから、そのくらいの時間が経った。
---
午前中の仕事は、子どもからの追加注文が二件。うさぎと、くまに似た何かを依頼されていた。くまに似た何か、というのはエリちゃんが「つきと同じのが欲しい」と言ったらしく、ガルドからの手紙に書いてあった。追伸に。本文は仕事の依頼だった。
楓は「つきと同じの、か」と呟いて、素材の入った籠を引き寄せた。
つきを同じものを作ることは、難しかった。同じ素材で、同じ形で、同じように心を込めても、まったく同じものにはならない。精霊が宿るかどうかは楓にも保証できないし、宿ったとして同じ子が来るわけでもない。でも、それでいい気がした。似て非なる何かが生まれる、それが楓の仕事だった。
しろが膝の上に来た。
ぽぽが「ぽっ!」と言いながら糸巻きを転がして遊び始めた。
つきがそれを見て、少しだけ体を向けた。
楓は針を動かしながら、三体を順番に眺めた。
---
昼ごろ、ルーチェがお茶を持ってきた。
「昨日のこと、お母さんに話した」
「ぽぽのこと?」
「うん」
「なんて」
「よかったね、って言ってた」
ルーチェがお茶を置いて、ぽちを手に取って、少し眺めてから戻した。ぽぽが「ぽっ!」と言ってルーチェの手の甲に乗ろうとして、ルーチェが受け入れた。昨日と今日で何かが少し変わった、と楓は思った。変わったというより、決まった、という感じだった。
「ルーチェって、人形は作らないの? これからも」
「作れないじゃん。精霊親和ないし」
「作れるかどうかの話じゃなくて」
ルーチェが少し考えた。「……花が好きだから、花でいいかな」と言った。「でもカエデのそばにいると、なんか面白いし」
「迷惑じゃないよ」
「聞いてない」
ルーチェが笑った。楓も笑った。ぽぽが「ぽっぽん!」と言った。
---
午後、ガルドが立ち寄った。珍しく仕事の話ではなく、ただ顔を見に来た感じだった。
「最近どうだ」
「普通です」
「それでいい」
それだけ言って、お茶を一杯飲んで、帰った。帰り際に「つきによろしく」と言った。楓が「自分で言ってください」と返すと、ガルドが少し歩くのを速くした。
つきが入口の方を向いた。それからまた元の方角を向いた。
ガルドが出て行った後、ルーチェが「あの人、なんか楓さんのこと気に入ってるよね」と言った。
「そうかな」
「そうだよ。あんなにしょっちゅう来る人じゃないって、お母さんが言ってた」
楓は少し考えて、「ありがたいな」と思った。言葉にはしなかったけれど。
---
夕方、ドワンが立ち寄った。次の行商の前に顔を出したらしかった。つきを見て「元気そうだな」と言った。つきが少し首を傾けた。ドワンが「やっぱりすごいな」と言って、荷物を持ち直した。
「次の行商、遠いんですか?」
「二週間くらいかな。つきのおかげで野盗に絡まれなくなったよ。みんな怖がってさ、大きな熊がいるって噂になってる」
楓は「大きくはないんですけど」と言った。ドワンが「でかく見えるらしいよ」と笑った。
つきが、その会話を聞きながら、窓の外を向いていた。穏やかな目で。
大きく見える、か。そうかもしれない、と楓は思った。つきはそういう子だ。どっしりとしていて、動じなくて、傍にいると少し安心する。大きさは関係なかった。
---
夜、一人で針を動かしながら、楓は今日のことを思い返した。
普通の一日だった。仕事をして、お茶を飲んで、ガルドが来て、ドワンが来て、ルーチェが笑った。しろが膝に来て、ぽぽが糸巻きで遊んで、つきが窓の外を向いていた。
普通の、エルミナの一日。
それがいつの間にか、自分の普通になっていた。
コンビニ袋で死んで、女神に会って、船で知らない街に来た。最初の夜に食べたスープの味を、まだ覚えている。リリアさんが「うちに泊まりなさい」と言ってくれた夜のことを。ルーチェが「お茶友達でいいじゃん」と言った午後のことを。しろを縫い終えて、夜明け前に目が覚めたら光っていた、あの朝のことを。
ここが好きだ、と楓は思った。
こっそり、誰にも言わずに思った。言葉にするほどでもないけれど、でも確かにそう思った。
「のんびりスローライフ……」
遠い目で呟いて、針を止めて、それから小さく笑った。「まあ、悪くないか」
しろが耳を一度だけ動かした。
ぽぽが「ぽっ!」と言った。
つきが、こちらを向いた。
---
眠りについたのは深夜だった。
夢の中は暗かった。暗い、というより、まだ何もない感じだった。
そこに、うっすらと気配がした。
知っている気配だった。おっぱいの大きい女神のやつ、と楓は夢の中で思った。
「あ、カエデ。ちょうどよかった。ちょっと言い忘れてたことがあって——」
楓は目が覚める前に、「また後出しか」と思った。
次の朝が来た。
「ここが好きだ」を誰にも言わずにこっそり思う、というのがカエデらしいと思っています。第2章からはいよいよ王都編。次回、女神がまた後出しで何か言います。楽しみにしていてください! もし面白かったら、ブックマークや高評価をいただけると次を書く力になります。よろしくお願いします!




