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てのひら無双 ~精霊に愛された人形師ときゃわわぬいぐるみ~  作者: 鮪野登呂介
港町エルミナ編

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おっきな木!

でっかい木と夢の中でお話...

倉庫の夜から三日後、楓は眠った。


眠った、というより、倒れるように眠った。あの夜は興奮と疲れで目が冴えていたが、やっと体が限界を認めた感じだった。ルーチェが「顔色悪いよ」と言ったが、楓は「大丈夫」と言って針を動かし続けて、夜になって椅子に座ったまま落ちた。


しろが膝の上で丸まっていた。ぽぽが肩に乗っていた。


そのまま、深く沈んだ。


---


夢の中は、森だった。


エルミナの南にあるような、あの薄暗い林ではない。もっと古くて、もっと深い、名前のない森だった。地面が柔らかくて、踏むたびに湿った土の匂いがした。木の間から光が落ちていたが、どこから来る光なのかわからなかった。


夢だ、とわかっていた。


でも体はちゃんとあって、手を見ると指が五本あって、足元の土は冷たかった。


しろが傍にいた。


夢の中でもしろはしろで、青い目で周囲を見ていた。ここが普通じゃない場所だと、しろもわかっているらしかった。ただしろの目にはなぜか少し懐かしさを含んだような柔らかさがあった。


奥に、大きな木があった。


---


木は、思った以上に大きかった。


幹の直径が楓の両腕を広げても足りないくらいあって、根が地面に何本も這い出して、枝が空を覆うように広がっていた。古い木だとわかった。どのくらい古いかは見当もつかなかった。


近づくと、空気が変わった。


重くなった、というより、密度が上がった。何かがここにいる、という感覚。


木が、光った。


幹の中から光が滲み出て、根の隙間から、枝の先から、全部が同時にほんのりと輝いた。緑でも白でもない、名前のつけにくい色だった。


「うーん。かぐや姫」


楓はぼんやりと日本の誰もが知るおとぎ話を思い出してしまった。


途端、声が聞こえた。


風が鳴ったような、木の年輪が全部一度に叫んだような。


「……久しいな。精霊親和の者よ」


楓は固まった。


しろが傍で少し体を硬くした。


「怖れるな。害意はない。ただ、話したいことがある」


「……夢に、入ってきたんですか」


「夢は薄い。こちらから届きやすい」


なるほど、と楓は思った。港町に大樹があるわけではなかった。そういう話だった。


---


「三日前のことだ」


大樹が、静かに続けた。


「見ていたんだ」


「見ていた。我はこの一帯の精霊の動きを常に見ている」


大樹が一拍置いた。


「……あれは、下位の精霊だった」


下位の精霊。


「制御されぬまま生まれた精霊ではあったが、格の低い、生まれたての精霊だ。力が暴れていただけで、本質は弱かった」


「……しろとぽぽが、制圧しましたが」


「うむ」大樹の光が少し揺れた。「だから済んだ」


楓はその言葉を、一拍遅れて理解した。「……済んだ」


「もし昨夜のものが、上位の精霊だったなら。街一つ、では済まなかったかもしれぬ」


「街一つ」


「人の作った紋様に捕らわれて暴走した大精霊がどうなるか、お前には想像できるか。その力を、この港街の広さで受け止められるか」


楓は答えられなかった。


大樹が続けた。


「しろ殿とぽぽ殿――今はそう呼んでおるのか。そういった方々のような存在が、昨夜の紋様に捕らわれて暴走したとしたら」


しろが懐の中でわずかに体を硬くした。ぽぽが肩の上で静止したまま、いつものうるさい声を出さなかった。


「……エルミナが」


「消えておったろうな」


静寂が来た。木漏れ日の中で、大樹がほんのりと光っていた。


---


「だから、お前に頼みたいことがある」


「お前は精霊親和の力を持つ、数百年に一人の体質だ。精霊たちが引き寄せられ、宿り、お前のそばで力を保つ。そういう者だ」


「……はい」


「その力を、使ってほしい。街を守るために。精霊が暴走したとき封じるために。人が精霊を縛ろうとするとき止めるために。お前にしかできないことがある」


楓はしばらく黙っていた。


大樹の声は強制ではなかった。命令でもなかった。でも断れない重さがあった。数百年という単位の何かが、この木には積み重なっていて、その全部がこちらを見ていた。


しろが懐から出てきた。楓の肩に乗って、大樹の方を向いた。


楓は一度目を閉じた。


頭の中で、いろんなものが通り過ぎた。コンビニ袋で死んだこと。女神のおっぱいのこと。エルミナに着いた朝のこと。リリアさんとルーチェと初めてお茶を飲んだこと。しろを縫った夜のこと。針と糸と布地。ぽぽが「ぽっ!」と言いながら生まれた朝のこと。ガルドの孫のエリちゃんとうさぎのハナのこと。つきがドワンの荷物の上でどっしりと座っているところ。セレナとクロードと、あの紅茶の味のこと。ルーチェが何も言わずに横に座ってくれること。


目を開けた。


「……お断りします」


---


大樹が、静かになった。


「お断りします」と楓はもう一度言った。「守護者になるとか、使命を担うとか、そういうの――なんかそういうの、向いていないので」


「……なぜだ」


「でも、断るのとは少し違うんです」


楓は少し考えた。


「昨夜みたいなことが起きたとき、しろとぽぽとつきが行くなら、私はそこにいます。それは変わらない。しろたちが気になることを、私は気にします。それも変わらない。ただ、それは私が守護者だからじゃなくて――」


「……なぜだ」


「私が、ここにいることを選んでいるからだと思います」


大樹が光った。揺れた、というより、何かを確かめるように光った。


「……選んでいる、か」


「はい。ここが好きです。エルミナが。ルーチェと飲むお茶が。しろとぽぽとつきのことが。そのために、昨夜みたいなことも――まあ、できれば二度とごめんですけど」


大樹がまた光った。今度は少し違う色だった。


温かい色だった。


「……そうか」


「はい」


「名を、何と呼べばよいか」


「楓です。山田楓」


「カエデか」大樹がゆっくりと言った。「……美しい木の名だな」


「そうですね」


「良い名だ」


それだけだった。


---


目が覚めたら、朝だった。


椅子の上で、首が少し痛かった。しろが膝の上で丸まっていた。ぽぽが肩で「ぽっ……」と小さく言った。まだ眠そうな声だった。


ルーチェが「おはよう、顔色少しよくなった」と言いながらお茶を持ってきた。


「夢見た」と楓は言った。


「どんな」


「大きい木に会った」


「……は?」


「夢の話だよ」


「なんか怖い」


「怖くはなかった。ただ、ちょっと重かった」


ルーチェが「そう」と言って、自分のお茶を飲んだ。それ以上聞かなかった。それがありがたかった。


しろが目を細めた。ぽぽが「ぽっ!」と言って元気になった。つきがテーブルの端でこちらを向いていた。


三体が揃っていた。


やっぱりあの午後みたいに甘かった。

「カエデか……美しい木の名だな」が書きたくて逆算したような回でした。楓という名前を木の名として捉える存在、良くないですか。次回はルーチェに奇跡が起きます。

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