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てのひら無双 ~精霊に愛された人形師ときゃわわぬいぐるみ~  作者: 鮪野登呂介
港町エルミナ編

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精霊様の本気!

しろが床に降りて「暴走精霊……貴様らごときが」と呟くシーン、書いてて一番楽しかったです。あの静かさで言うのが一番怖い。

朝、出かける前に、楓はつきを抱き上げた。


「つき」


つきが首を傾けた。


「今日は家にいてもらえる? 何かあったとき、ここを守っていてほしい」


つきは何も言わなかった。少しの間、楓の顔を見て、それからテーブルの上にゆっくり降りた。北を向いて、座った。いつもの場所に。


「ありがとう」


つきの目が、ほんのり光った。橙色の、温かい色で。


しろが懐から顔を出した。ぽぽが肩の上で「ぽっ!」と言った。今日だけは、そのうるさい声が少し心強かった。


---


ガルドからの伝言は夕べ届いていた。


北の外れの倉庫地帯を今夜制圧する。見張りを出すが、見張りは離れた場所から監視するだけだ。中には絶対に入るな。お前たちは関係ない、街の中にいてくれ、と書いてあった。


楓はその封書を三回読んだ。それから、しろを見た。


しろは昨日からずっと窓の外を向いていた。北の外れの方を。ぽぽも今朝から静かだった。つきも同じ方角を向いていた。


三体が揃って何かを感じている。


「……やっぱり気になるよね。いこっか」


しろの耳がぴこ、と動いた。


楓は封書を畳んで、立ち上がった。


---


夜の北の外れは、静かだった。


静かすぎた。


石畳が途切れて土の道になる場所から先、鳥が鳴いていない。古い倉庫が並んでいて、一つだけ、薄く光が漏れていた。


楓が近づいた。誰もいなかった。ガルドの見張りはもっと離れた場所にいるらしく、倉庫のまわりに人影はなかった。


しろが懐の中でわずかに体を硬くした。


「わかった」


楓は扉に手をかけた。


---


中に三人いた。


床に刻まれた紋様。複雑な線が幾重にも重なって、中央にある小さな筒を囲んでいた。筒の中で何かが光っている。三人はその周りで低く唱えていた。儀式の途中だった。


楓が扉を開けた瞬間、一人が叫んだ。


「誰だ、儀式の最中に——」


しろが弾けた。


懐の中から空気を切って飛んで、筒に向かって一点に収束した風を叩きつけた。青白い光が走る。筒が空中で砕けた。破片が散って床を叩いた。衝撃波で三人が吹き飛んだ。壁に激突して、倉庫の天井から砂が落ちてきた。


一瞬の静寂。


その次の瞬間、床が鳴った。


---


低い音だった。


唸り声ではなく、もっと根元にある何か——音というより振動に近い、倉庫全体が発信元になったような音だった。砕けた筒の破片から、刻まれた紋様から、壁の染みから、全部が一つに向かって収束していく。


床の紋様が、光り始めた。


完成していない紋様が。制御されていない状態で。


形が生まれた。


形、というより、形を作ろうとして作りきれていない何かだった。輪郭がぐにゃぐにゃと揺れて、空気を引き裂くような動きで壁を叩いた。最初に当たった壁が、ばきっという音を立てて罅割れた。天井の梁の一本が床に落ちて、砂埃が舞った。三人の男たちが悲鳴を上げながら扉から這い出していった。


楓は後ろに一歩引いた。


しろが、懐から降りた。


楓の肩の上ではなく、床に直接降りた。四つ足で着地して、暴走する精霊の方を向いた。


そのとき、しろが言った。


「……暴走精霊」


低く、静かな声だった。声というより、空気が言葉の形を取ったような。


「……貴様らごときが」


それだけだった。


---


空気が変わった。


倉庫全体の空気がしろを中心に集まり始めた。壁際から、天井から、砂埃ごと引き寄せられて、しろの周りを渦巻いた。精霊が壁を叩こうとしてのけぞった。周囲の空気を引かれているせいで、動きが鈍い。しろが一歩踏み出した。


精霊が膨張した。


輪郭が爆発するように広がって、しろを飲み込もうとした。


そこにぽぽが飛び込んだ。


「ぽっ!!!」


楓の肩から跳んで、精霊の膨張した輪郭の正中に橙色の炎を叩きつけた。精霊の輪郭がぐらついた。熱を受けて揺れた。ぽぽはそのまま炎を絞って、精霊の外側を焼きながら旋回した。


しろが動いた。


今度はもっと深く。倉庫の空気すべてを使うように、外側から精霊の輪郭を締め上げた。ぽぽの炎が輪郭を焼き、しろの風が収縮させる。精霊が内側から暴れた。倉庫の壁が震えた。楓は扉の枠を掴んで立っていた。


精霊が収縮した。


叫ぼうとして、でも声の形を持てないまま、ぐにゃりと中心に向かって潰れていった。


ぽぽが一瞬だけ炎を絞り込んで、核を貫いた。


「ぽっ!!!!」


精霊が弾けた。


光の粒になって、倉庫の空気の中に散って、消えた。


床の紋様の光が消えた。倉庫が、静かになった。


---


しばらく、誰も動かなかった。


楓は扉の枠を掴んだまま、倉庫の中を見ていた。砕けた筒の残骸。落ちた梁。罅割れた壁。消えた紋様。


しろが床から楓の方に歩いてきた。


楓の足元まで来て、見上げた。いつもの、青い目だった。何事もなかった顔だった。


楓はしゃがんで、しろを拾い上げた。両手で。いつもより少し力が入った。


「……やばかった?」


しろは答えなかった。でも耳が少し後ろを向いた。


ぽぽが楓の肩に戻ってきて、「ぽっ!」と言った。いつもの「ぽっ!」より少しだけ音量が落ちていた。疲れた感じの声だった。今日はよく動いた。


楓は倉庫の外に出た。夜の空気が冷たかった。


足が、震えていた。


---


ガルドたちが来たのは四半刻後だった。


離れた場所から光と轟音を見た見張りが走って街に戻り伝令したらしかった。ガルドが息を乱しながら来て、倉庫の前の石の上に楓が座っているのを見た。しろが膝の上で丸まっていた。ぽぽが肩で静かにしていた。


ガルドが倉庫の中を覗いた。


罅割れた壁。落ちた梁。砕けた筒の残骸。消えた紋様。三人が扉の外で倒れていた。


ガルドがまた楓を見た。


「……何が起きた」


「儀式の途中だったみたいで。筒を砕いたら制御できない精霊が出てきました」


ガルドが少し止まった。「……それを」


「しろとぽぽが」


ガルドがしろを見た。しろは目を細めていた。ぽぽが「ぽっ」と小さく言った。いつもより音量が控えめだった。


ガルドがしばらく何も言わなかった。腕を組んで、罅割れた壁を見て、落ちた梁を見た。


「……怪我は」


「ないです」


「足、震えてるぞ」


「大丈夫です」


「そうか」


それだけ言って、部下に向かって指示を出し始めた。颯爽とした背中だったが、どこかほっとした色があった。


---


花屋に帰ると、つきが入口で待っていた。


テーブルの上ではなかった。ドアの直前。北を向いていたのが、今は楓の方を向いていた。


楓がしゃがみ込むと、つきが少し首を傾けた。


「ただいま。何もなかった?」


つきは何も言わなかった。でも目が光っていた。橙色で、温かい色で。


ルーチェが「おかえり」と言いながら楓の顔を見て止まった。「大丈夫?」


「大丈夫」


「足震えてるじゃん」


「震えてない」


「震えてる」


楓は「大丈夫だよ」と言って椅子に座った。ルーチェがお茶を持ってきた。ミラベルの葉。いつものお茶だった。


つきが膝に乗ってきた。しろが反対側に来た。ぽぽが「ぽっぽん!」と言いながら頭を目指して、しろに阻まれて肩に収まった。


三体が揃った。甘かった。


ガルドからの封書が翌朝届いた。算術が終わったこと、男たちを拘束したこと、縄はしっかりしていること——最後に一行だけ追記があった。


「孫がつきに会いたいと言っている」


楓はそれを読んで、少し笑った。


「今度、会いに来てもらいますよ、つき」


つきの目が、ほんのり光った。

壁が罅割れて梁が落ちるくらいの暴れ方をする精霊を、しろとぽぽが連携して仕留めるのを書きたかった。ぽぽの「ぽっ!!!!」の感嘆符の数に今回の本気度が出てると思います。次回は長老登場、大事な回。

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