弟子はいらぬがお茶はいる!
弟子にならない宣言回、でも「お茶友達」という言葉が生まれた回でもあります。ルーチェの耳が赤くなるシーン、書きながらほのぼのしました。
ぽぽが生まれた翌朝、花屋の一階はいつもより騒がしかった。
原因はぽぽだった。
朝から「ぽっ!ぽっぽっ!」とテーブルの上を歩き回り、しろの尻尾を踏んで怒られ、リリアに「かわいい」と言われて得意になり、また「ぽっぽっ!」と鳴いてテーブルの端まで行ってそのままずり落ちた。
「大丈夫?」
楓が覗き込むと、ぽぽは床の上でぴこぴこと翼を動かしながら「ぽっ」と言った。威厳があった。全くなかったが、本人は威厳のある声だと思っているらしかった。
しろが床の端からぽぽを見下ろしていた。目が細かった。
「しろ、笑ってる?」
しろは答えなかった。でも目が細いままだった。
リリアが「仲良しね」と言ったので楓とルーチェは顔を見合わせた。どこが、という顔で。
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朝ごはんを食べていると、ルーチェがおもむろにフォークを置いた。
「カエデ」
「なに」
「弟子にしてください」
楓はスープを飲みかけていた。吹き出しそうになったのをぎりぎり堪えた。
「……唐突だな」
「ずっと考えてた」ルーチェが正面から楓を見た。「一緒にいるうちに、私も人形を作れるようになりたいと思って。ぽちはうまくできなかったけど、続けたら上手くなると思う。だから弟子にしてほしい」
真剣な顔だった。ルーチェがこういう顔をするのは珍しかった。普段はさらりと流すか、どこかおかしそうに笑っているかのどちらかなのに、今朝は本当に真剣だった。
楓はしばらく考えた。
「……弟子、ね」
「弟子に」
「うーん」
「うーん、じゃなくて返事してほしいんだけど」
楓はパンをちぎって、もう一度考えた。弟子。師匠と弟子。楓が師匠。
なんか、違う気がした。
理由はうまく言えない。でも「師匠」という立場になることへの違和感ではなかった。そうではなくて——弟子になることで、ルーチェとの関係が何か別のものになってしまう気がした。今がちょうどいい気がする。この距離が。
「お茶友達でいいじゃん」
楓が言うと、ルーチェが「え」という顔をした。
「お茶友達……?」
「弟子だと私が先生になるじゃん。先生ってなんか構えるし、ルーチェに上手くなれとか言わなきゃいけないし、なんか違う」
「違うって何が」
「今みたいに、隣で縫ってて、気が向いたときに見せ合って、ああこうした方がいいかもって言い合う、そういうやつの方がいい。教える、じゃなくて」
ルーチェがしばらく黙った。
「……それ、弟子じゃないね」
「だから言ってんの」
「お茶友達か」
「お茶友達」
ルーチェが「なんか……そっちの方がいいかも」とぼそっと言った。それから「でも納得したわけじゃないから」と付け加えた。
楓は「うん」と答えた。それでよかった。
テーブルの端でぽぽが「ぽっ!」と言った。しろが耳を後ろに向けた。うるさい、という意味だと楓は解釈することにした。
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昼前に、ギルドから使いが来た。
革鎧を着た若い冒険者で、楓を見て少し驚いた顔をした。楓が見かけより若いのでよくある反応だったが、使いの子はすぐに表情を引き締めて封書を差し出した。
「ガルド長からです。人形師のカエデさんに、とのことで」
「ありがとうございます」
受け取って開けると、簡潔な文字で一枚の依頼書が入っていた。ルーチェが横から覗き込んできた。
「なになに」
「護衛ぬいぐるみの依頼、らしい」
「護衛ぬいぐるみ?」
「商人の奥さんが遠出をするときに持っていきたいって。精霊が宿ったやつを護衛として同行させたいから作ってほしい、って書いてある」
ルーチェが「ふうん」と言って依頼書を読んだ。「報酬もそこに書いてある?」
「書いてある」
「いくら?」
楓が金額を読み上げると、ルーチェが「え、それって」と言いかけて、リリアが「ルーチェ、お客様の前で」とたしなめた。
使いの子が笑いを堪えていた。
楓は封書を畳んで、少し考えた。護衛ぬいぐるみ。つまり精霊が宿った状態で依頼する、ということだ。でも精霊が宿るかどうかは楓にも分からない。しろのときも一回目は宿らなかった——いや、しろは一回目で宿ったが、その後作った他のぬいぐるみには宿らなかった。法則が読めない。
「あの……確認したいことがあって、ガルドさんに直接話を聞けますか」
使いの子が「もちろんです」と言った。
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ギルドでガルドに会うと、一言目が「孫が喜んでいた」だった。
「エリのうさぎ、ですね」
「名前をつけたと言っていた。ハナ、らしい」
「ハナ」
「白いから、らしい」
そのまま二秒沈黙した後、楓は「よかったです」と言った。ガルドは頷いた。お互い、それ以上は言わなかった。でも楓は少し胸が温かかった。
護衛ぬいぐるみの件は、椅子に座ってからすぐ本題に入った。
「依頼を受ける前に確認したいことがあって。精霊が宿るかどうかは、私にも保証できないんです」
「知っとる」
「それでも依頼として出すということは」
「宿ったら護衛ぬいぐるみとして引き渡す。宿らなかった場合は、普通のぬいぐるみとして素材代だけ受け取ってくれ。それで構わん」
「……柔軟な依頼ですね」
「お前が正直に言った分、こちらも正直に言う。依頼人の商人も同意している」
楓は少し驚いた。「依頼人にも話してくれたんですか」
「当然だ」ガルドが腕を組んだ。「できないことをできると言って仕事を取るのは詐欺だ。できることとできないことを明示した上で、それでもやってほしいという依頼だけが仕事になる。エルミナはそういう街だ」
楓はその言葉をしばらく咀嚼した。
できることとできないことを明示する。前の世界では、できないことを「検討します」と言ってごまかして、できると言って受けて、後で詰められて、謝って、また次の無理を受けて——そういう繰り返しだった。
「……受けます。やってみます」
「よし」
それだけだった。ガルドは短い。でも楓はこの短さが好きだった。
立ち上がりかけたとき、ガルドが付け加えた。
「一つ聞いていいか」
「はい」
「お前の隣にいるお茶友達、花屋の娘だな」
楓は少し驚いた。「……はい、そうです」
「あれは精霊はないのか」
「ないです。宿らないです」
「そうか」ガルドが少し間を置いた。「だが毎日来ている」
「はい」
「お前のそばが好きなんだろう」
何かを確かめるように言った。楓は「そうかもしれないです」と答えた。ガルドは「そういうものだ」とだけ言って、目を書類に戻した。
廊下に出ると、ルーチェが壁にもたれて待っていた。
「遅い。何話してたの」
「仕事の話と、あとルーチェの話」
「私の?」
「毎日来てるねって」
「……来てるけど」
「ガルドさんが、お前のそばが好きなんだろう、って言ってた」
ルーチェが黙った。それから「余計なこと」と言ったが、耳が少し赤かった。
「余計じゃないと思う」と楓は言った。「むしろ的確だと思う」
「黙ってて」
「はい」
二人で廊下を歩いた。外に出ると、潮の風が来て、ルーチェの髪がさわさわと揺れた。
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花屋に戻ると、ぽぽがしろの尻尾に乗っかっていた。
しろは動かなかった。ただ、少しだけ耳が後ろを向いていた。
「ぽっぽっ!」
「……しろ、よく我慢してるね」
しろが目だけで楓を見た。「そうだろう」という顔だった。たぶん。ぬいぐるみなので表情はないが、絶対にそういう顔だった。
ぽぽが「ぽっ!」と言いながらしろの背中に登頂した。しろは動かなかった。尻尾だけが一度、ぴしっ、と跳ねた。
「仲良くしてあげて」
しろの耳がぴこ、と動いた。返事なのか拒否なのかわからなかった。
ルーチェがお茶を持ってきた。今日もミラベルの葉だった。甘かった。
護衛ぬいぐるみの仕事が来た。弟子は断った。お茶友達は続く。しろとぽぽは今日も並んでいる。
のんびりスローライフ……と楓は思いかけて、やめた。なんとなく、最近この言葉を言うのが少し減った気がした。
「なに笑ってるの」
ルーチェが言った。
「笑ってない」
「笑ってた」
「……まあ」
楓はお茶を飲んだ。甘くて、温かかった。
外では潮風が石畳を吹き抜けていた。どこかで魚師が声を張り上げている。鍛冶師の鎚の音が遠くからした。
この街の音だ、と思った。
ちゃんと、この街の音になっていた。
「のんびりスローライフって思うのをやめた」という変化を最後にそっと入れました。カエデが少しずつここを「自分の場所」と感じ始めている、その兆しです。次回は初の仕事納品回。




