第七十一話 託された座標
汗だくになって、重い金属レバーを動かし続けた博士が、ようやくレバーから手を離した。
管理室のあちらこちらからも、安堵のため息が漏れ……糸が切れたように静寂が訪れた。
モニターの赤黒い警告は消えて、ドームには、柔らかな琥珀色の街灯が灯り、人々の心を鎮めていく。
『……ふぅ、どうやら、間に合ったようだな……みんな、よく頑張った……な』
クロノスの声は、先ほどよりも途切れがちで、今にも止まって、消えてしまいそうだった。
「クロノス、大丈夫か!?」
『……ああ、早く……オーガストの構築に……私の全意識を……割かねばならないが……カイエン、一つだけ……伝えておく……』
すると、モニターの端に、ドームから遠く離れた……地図にも載っていない座標を示す数字が点滅した。
『必ず……そこへ行け……。そこに……私が最後に見つけた……の……が……』
言葉が途切れ、再びザラザラしたノイズが走る。
やがて、琥珀色の光がゆっくりと暗転し、深い眠りについた……通信が切れたのだ。
「おい、クロノス!おい! ……チッ、あいつ、肝心なところで!」
諦めきれないカイエンが、乱暴にコンソールを叩くが、応答はない。
重苦しい沈黙の中、アクアが凛とした声で言った。
「……カイエン。あそこに残された人たちの心が、まだ震えているわ。一度、みんなの様子を見に行きましょうよ。 彼らが、安心して笑い合えるのを待ちましょう。旅立つのは、それからでも、遅くはないはずよ」
アクアの優しい声と心に触れ、カイエンは荒ぶる気持ちを抑えようとした。
「……そうだな。ついでに、あいつが守った場所を見に行くとするか」
数日後。カイエンたちは、ドームの人々に安寧が戻ったのを見届けた。
そして、クロノスが残した座標を頼りに、厚い隔壁の向こう側……外界へと踏み出す。
「おい、開けてくれ」
カイエンがドームの非常脱出扉の前で、監視しているであろうカメラ付きモニターに呼びかけた。
数秒後、応答はないが機械の動作音が小さく聞こえる。
二重扉になっている小さなスペースに移動すると、今通り過ぎたばかりの扉がガシャンと大きな音を立てて閉じられた。
驚くことに外扉は、閂のような鍵をスライドするタイプで、しかも手動式だった。
「全自動はラクでいいが、電力が落ちた時は自動より手動式に限るよな……これは、ここ(地球)も同じだな」
「えぇ、エアでもそうよ。最後の一手や判断は機械ではなく、生物だった……役割の違いかしら」
カイエンとアクアは、そう話しながら扉を手で押し開けた。
一歩外へ出た瞬間、カイエンたちは息を呑んだ。
そこには、管理されたドーム内の景色とは全く違う、荒々しくも美しい緑の大地が広がっていた。
原始の森は、緑と命が自由を謳歌し、人の手が入らなくなって久しいのか……或いは、人の手に触れられた事がないのかもしれない。
風に揺れる木々の爽やかな香りと土の匂い、草花の上で飛び回る微かな羽音……この大自然の中に、クロノスから託された何かが眠っているのだろうか。




