第五話 キラリの家
アクアがキラリの家に入ってみると、家の中には、川の水が引き込まれている。廊下のような木材の床と大きさの違うプールのようなものがいくつかに区切られている。
液体生物にとって、水のような液体の中で過ごす事は、空気中で体型を維持するよりも余計な力を使わずにすむからだ。液体生物の家ならではのリラックスできる場所となっている。
気体生物のアクアにとっても、適度な湿度がある空間内が心地よいし、通常浮遊して生活いるので下に水があろうと問題はない。
母親と色の点滅で会話していたキラリが、家に入ってきたアクアに気がついた。
「あっ、ようこそ。アクア!待ってたよ!いろんなお話をしようね。嬉しいなぁ。楽しみだなぁ。」
点滅をやめてキラリが、振動波で話しながら流れてきた。
アクアは、液体生物のように色を変えたり点滅する事が出来ない。言葉も分からないため、キラリが通訳してくれる事になった。
「父親が違う惑星に出張中なの。私たちは様々な場所で取れる液体を摂取するのだけれど、アクアの食事と寝具は何を用意すれば良いのかしら?」
キラリを通じて母親が聞いてきた。
「食事は、空間に存在する微量の分子なので、お気遣いなく。それに空間に浮遊しているので寝具も必要ないです。そして、突然の宿泊を許してくださり感謝しています」
と言いながらアクアは通訳しているキラリと母親に頭を下げた。
母親が家事に戻ると、キラリはプールの中でくるくると回りながら、アクアに熱心に質問を始めた。
「ねぇアクア、食事は分子って言ってたけど、今、何食べているの?」
「ううん、さっきみんなの食事の時間にね……ちょっと食べたよ。このあたりを漂っている水素と微量の二硫黄かな。水素はね、私たちの身体の基本的な成分なんだ。二硫黄は、イオの空気にたくさんあるから、故郷では珍しいごちそうかな」
アクアはそう答えながら、保護スーツの側面にあるセンサーに意識を向けた。空港を出たときから、イオの大気中に含まれるある特定の分子に興味を惹かれていたのだ。
『これは……古代の生命維持に不可欠だったと歴史館で習った、ヘリウム-3の複合分子だわ。通常のヘリウムとは違って、すごく貴重なエネルギーになるって。こんな辺境の星の空中にも、まだ残っていたなんて』
アクアは好奇心を抑えられず、保護スーツの採集機能を使って、周囲の空気をわずかに分析・採集した。
「どうしたの?急にじっとして」
キラリが顔を出す。
「実はね、キラリ。この星の空中には、私の故郷では博物館や図書館の資料としてしか残っていない、太古のすごく珍しい分子が漂っているみたいなんだ。もしかしたら……これらをうまく利用出来たら、イオの生活に役立つかもしれないなって思って……」
「えっ、空気の中に?僕たちには、ただの空気だよ?」
キラリは不思議そうだ。液体生物にとって、空中は呼吸する場所ではなく、移動や活動のための空間に過ぎない。
「そうよね。でも、この分子は、液体生物である君たちの身体の流動性を、安定させる力を持っているかもしれない……もしそうなら、水から出たときの重力や乾燥の負荷を少しでも減らせるかもしれないよ」
「ほんとに!? 水から出ると、身体が重くなったり、乾燥で熱くなったりして大変なんだ。お母さんはいつも、水の外に出る時間を短くしなさいって言うよ」
アクアは真剣な表情で、採集した分子の分析結果を保護スーツ内で再確認した。
『私の知識から推測する限り、純粋な抽出は難しいけど、この複合分子は絶対に価値があると思う……長老さまに、この分子のことを話せば、この村の生活が楽になる手がかりになるかもしれないわ』
キラリは水面をパチャパチャ叩いて喜んだ。
「わあ!アクア、すごいね!物知りなだけじゃなくて、僕たちのために考えてくれるんだ!」
「だって、こんなにお世話になっているんだもの。何か恩返しがしたくて」
惑星イオでの夜が更けてきた。アクアはキラリのプールの上に漂いながら、明日、この新しい発見を長老に伝えようと思った。普段は眠る事が少ないアクアだが、次第にゆっくりと夢の中に落ちていった。
【分子についての補足メモ】
・ 水素分子(H₂):原子番号1の元素である水素原子2個が結びついた分子。気体生物の身体の基礎となる成分。
・二硫黄(S₂):硫黄が2個で1つの分子になったもの。惑星イオのような高温の環境に多く含まれている。
・ ヘリウム-3(³He):通常のヘリウムとは違う、珍しい種類の元素。古代の宇宙では、貴重なエネルギー源として使われていたと言われている。




