第四十八話 トラブルの投下
夜を待たずに、カイエンはドリフターのシステムを使い、リヴの都市システムへの侵入を完了させた。
リヴのシステムは、完璧な協調性を維持するために、シンプルで論理的な構造をしていたが、矛盾を許さないその単純さこそが、彼の仕掛けるトラブルに対する最大の弱点だった。
カイエンはニヤリと笑ったが、アクアは心配そうだ。
「協調性を重視しすぎて、問題に対応する免疫がねえな。よし、予測不能な変動をランダムに仕込む。システム的には無害だが、生活は確実に乱れるぞ」
「大丈夫かしら……上手くいくといいけど……」
彼は、特定の時間になると水道管が数秒だけ逆流し、交差点の信号機がランダムに点滅し、広場の照明がわずかにちらつくという小さなトラブルを、都市全体に仕掛けた。
翌朝。トラブルの発生に、すぐ効果が出た。
中央広場では、住民たちがいつものように、協調のための集会を始めようとしていた。
しかし、集会の開始と同時に、彼らが手にしていた飲料水が配給口から数秒間逆流した。
そして、広場全体を照らす照明が、規則正しくではなく、チカチカと不規則に点滅し始めた。
住民たちの完璧な笑顔が、一瞬、困惑という感情で崩れた。
この小さな混乱は、長らく不和の恐怖によって抑圧されてきた不満を、一気に噴出させたようだ。
「一体どうなっているんだ!水が逆流したせいで、私は大事な清掃作業に遅れるではないか!」
一人の男性が、我慢できずに大きな声で不満を口にした。
その瞬間、周囲の住民たちの穏やかな顔が、一斉にその男性に向けられた。
彼らの表情は完璧な笑顔のままだったが、その目には冷たさと見えない圧力が宿っていた。
「待ってください!」
隣にいた女性が、穏やかな声で、しかし強い論理で諭した。
「あなたの不満は、全体の調和の効率を下げます。水が逆流したのは、単なる技術的な些事です。あなたの感情的な反応こそが、この集会における真のトラブルになるのです」
男性は、周囲の静かなる圧力(軽蔑)にさらされ、青ざめて、すぐに頭を下げた。
「申し訳ありません。私の協調性が不足していました。この意見は撤回します……許してください」
恐怖による同調圧力が、瞬時に個人の意見を押し潰したのだ。
その様子を、集会の隅で見ていたリアは、唇を強く噛み締めていた。
彼女は、この静かなる排除の苦しみを、誰よりも知っていたからだ。
しかし、彼女は彼のように逃げなかった……屈しなかった。
「くそっ……見たか、アクア。あいつらは、テラの兵器がなくても、自分たちの恐怖で支配を完成させているぞ」
カイエンは、悔しそうに言った。
アクアは、波動を集中させた。
「こうなったら……私たちの出番になるわね。この場で、意見を出すことは排除される理由ではないと、示さなければ」
アクアは広場の中央へ歩み出た。
彼女の起源の石から放たれる調和の波動は、住民たちの同調の思考回路に、わずかな揺らぎを与えた。
「その男性の意見は、トラブルの元ではありません」
アクアは静かに、しかし皆の心に響く波動で語りかけた。
「それは、現状を改善するための貴重なエネルギーです……ご理解いただけませんか?」
支配氏族の長アルゴが、即座に前に進み出た。
そして、彼はアクアに対し、依然として穏やかな笑顔を崩さない。
「異形の方。あなたは、私たちの調和の理念を理解していませんね。不満や異論は、個人の利益を主張するものであり、全体の協調性を乱すものです。それは排除されるべき欠陥なのです。あなたの方こそ、理解されていないのでは?」
アクアは、アルゴの目を見つめた。
そして、アルゴの隣で立ち尽くす娘、リアに向かって穏やかに言った。
「その欠陥が……あなたのお父様の望む本当の調和の種かもしれませんね」
リアは、自分に向けられた言葉に驚き、初めてアクアと視線を合わせた。
彼女の心の中で、孤立への恐怖と自由への渇望が激しく衝突していた。
彼女は、初めて自分と同じ考えを外から肯定してくれる存在に出会ったのだ。




