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#今よりも尊い物など無い


『悪い。体調崩したから今日は迎えに行けない。明日には治ると思うから、姫宮も今日は無理するなよ』


 朝ごはんを食べながら瀬羽君から届いたメッセージを見て、私は腹が立った。これではまるで、私が一人で学校に行けない子供のようだ。

 それに、詐欺師よろしく言語化が得意な彼が『体調崩した』なんて曖昧な言い方をすると言う事は、具体的な病状を私に隠したいと言っているようなものだ。


「生意気……ん?」


 思わず独り言が漏れた。けど、口にしてすぐ、何かが違うと思った。

 彼は、私に何も期待していない。だからきっと、自分が心配されるなんて思ってない。だとしたら、隠したいのは病状の重さじゃなく、体調を崩した理由の方?


「………はぁ。馬鹿馬鹿し」


 彼の中で完結している思考を私がいくら考えたところで意味は無い。

 かと言って、瀬羽君に問いただした所で白状はしないだろう。彼は気持ち悪いほど私に誠実だけど、きっと嘘を吐く事は躊躇わない。

 このメッセージだけでも分かる。彼は、私に不純物を与えようとはしない。

 彼の主観に於いて必要無いと判断したから、私に詳細を伝えないのだ。


「まるで、自分だけが世界に居ないみたい……」


 口に含んだコーヒーの苦味が、やけに気持ち悪く感じた。だからだろうか、やはり苛立ちは消えなくて、私はどこか彼に対する腹いせのような気持ちで、一人でも登校することに決めた。


「暑い……」


 マンションを出ると、初夏の日差しが私を襲った。肌を焼かれる不快さに眉を顰め、思い出したように日傘を差して最寄りのバス停に向かう。

 この三ヶ月、いつも彼と手を繋いで歩いていた道。週末を挟んでまだ二日しか経っていないのに、地面からの照り返しが妙に眩しく感じる。……そう言えば、彼はいつも車道側を歩いていた。それに、日陰の方に私を誘導していたのかもしれない。


「……本当に、生意気」


 一人で居るのに、勝手に彼のことを考えて悶々とする自分に、余計腹が立つ。

 頭では分かっていたけれど、彼が私を生活の中心に置いていると言う事は、同じ時間を過ごしている私の生活の中心にも彼が居る、と言う当たり前の事実を改めて実感する。


『よっ』

『うん』


 彼は迎えに来る時、私に挨拶を強要しない。それどころか、インターフォンも押さない。

 一度、意地悪で平日にずる休みしたことがある。でも、その日も。


『お、出て来た。よっ』

『……ずっと居たの?』

『まさか。普通に学校行ってから戻って来ただけだよ』

『………』


 夕方、コンビニに行こうと思って玄関のドアを開けたら、彼が居た。確かに終業後だったし、放課後真っ直ぐうちの前まで来たなら時間的にはおかしく無かったけど、それにしても……。


『気持ち悪い』

『何がっ!?』


 素で驚いてんじゃないわよ。って、言いたかったけど、その顔が本当の素だって分かったから、言えなかった。

 瀬羽君は、頭がおかしい。けど、自分がおかしいって自覚が無いくらい、真っ直ぐに私を好いている。

 こんな私を、真っ直ぐに、好きって言ってくれる。………いやいやいや、何で私が卑屈にならなきゃいけないのよ。


「およ? 珍しいねぇ。お姫ちゃん一人かい?」

「……誰?」

「猿渡だよ! お馴染みのお猿君!」


 彼とは普段バスでは顔を合わせない、とは言っても、流石にクラスメイトの顔を忘れるほど、私は薄情ではない。


「ごめんなさい。ちょっとムシャクシャしてたから、八つ当たりよ」

「正直だなぁ……いや、まあ原因は分かるんだけどさ」

「は?」

「え? キレてる? すんません」

「は?」

「すんません!!」


 あれ? 私、イライラしてる? 何で?


「何で私、イライラしてるの?」

「おっと、そこからっすか?」


 猿渡君は首を傾げている癖に、まるで自分にはその答えが分かり切っていると言わんばかりに、吊り革に捕まりながらニヤニヤと私を見下ろす。


「知ってるか? お姫ちゃん。瀬羽の兄さんは今じゃ皆勤賞みたいになってるが、アンタと付き合い出すまでは、しょっちゅう学校サボってたんだぜ?」

「え……?」


 あまりにも意外だった事実を聞かされ、私は苛立ちも忘れて呆然としてしまう。けれど冷静に考えてみれば、それを意外だと思うこと自体、おかしい。

 だって私は、私の彼氏になる前の瀬羽君の事を、何も知らない。


「俺はよ、それで良いと思ってたんだ。ああ、やっと“解放”されたんだな、ってさ」 

「……どういう、意味?」

「お、興味ある? それも意外……でも無いか」

「っっ……」


 今までの軽薄なニヤニヤ笑いとは違う、どこか見下すような、悪意のような物を感じる猿渡君の笑みに、私は思わず押し黙る。

 けれど次の瞬間、まるで今の笑みが幻だったみたいに、彼ははいつもの軽薄な雰囲気でニカッと笑った。


「ま、その辺はあいつに直接聞いた方が良いんじゃない? 仮にもカップルなんだからさ。まあでも意味深なこと言っちゃったし、一つだけどうでも良い情報は教えとくよ」

「何……?」


 その代わり用があまりに露骨で、不自然で、私は彼の手のひらの上で踊らされていると自覚しながらも問い返してしまう。


「俺、小中高ずっと、瀬羽の兄さんの同級生なんだよ」

「え……えっ?」


 その情報は、確かに彼にとって……いや、彼等にとってどうでもいい情報なのかもしれない。

 けれど、少なくとも私の感覚では、イカれてるとしか思えなかった。


「クラスが一緒になったのは、今回で四回目くらいかな? でも、あの変態が俺をまともに“認識”したのは、今回が初めてだ。俺があいつを、親友だって思ったのもな」

「な、何、それ……?」


 いつの間にか学校の前に着いていたバスの扉が、プシューっとレトロな音を鳴らして開く。


「気持ち悪いだろ? でも、それがアンタの彼氏なんだぜ」


 猿渡君は嫌味なくらい爽やかに笑って、軽い足取りでバスを降りる。

 私は、その後ろ姿を、よたよたと覚束ない足取りで追いかけるようにバスを降りた。


 一人で校門を通ったのは、いつぶりだろう。


読んで下さった皆様、ありがとうございます。

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