#相手に無断で録音した音声に証拠能力はありません。
瀬羽君と図書館に行った日の前日。
彼が職員室に呼び出されたせいで少し帰りが遅くなった私は、夕食を手抜きで済ませて宿題を片付け、ゆっくりとお風呂に浸かってから、紅茶を用意してパソコンを開いた。
数時間前に届いていたメールに添付されていた、音声ファイルを確認する。
『………俺は姫宮を守る為に側に居て、俺が姫宮の側に居る為に彼女を守る。偽善者を気取るつもりも、偽悪的に振る舞う気もありません。俺は俺の為に、彼女の為に行動する。それだけです………』
スピーカー越しに聞こえて来たのは、平静を装いながらもどこか苛立たしげな担任教師の声と、ほんの三か月も経たない間にすっかり聞き慣れてしまった、妙に説得力のある『彼』の声。
どこまでも自己中心的なのに、どこまでも私を中心とした行動理念。
私が彼の手を取った……いや、実際には触れもしなかったけれど、ともかく彼の詐術めいた提案に乗ったあの日から、一切ぶれていない。
笑いかけたり少しからかうだけで、普通の男の子みたいに照れたり慌てたりする癖に、側に居ること以上は何も求めない。
「……本当に、気持ち悪い人。ふふっ」
言葉とは裏腹に、私は思わず小さく笑い声を漏らしていた。
そうして、お茶請けと言うには少し珍味過ぎる音声を聴き終えた私は、メールの送り主を労う為にリモート通話のアプリを起動した。
程なくして、液晶画面に普段の姿とはかけ離れたスッピンジャージ姿の女性が顔を映した。
「ご苦労様です。小林先生。いつもありがとうございます」
『……姫宮さん。電話を掛けるなら、もう少し早い時間にして下さい。こんな遅い時間に掛けるのはマナー違反です。あと、分かっているとは思いますが、一応教師として指摘しておきます。ご苦労様、と言うのは、目上の者が下の者を労う時に使う言葉ですよ』
「ええ。もちろん知っています。ただ、生徒との会話を無断で録音するような人が『教師として』とか言っても、説得力無いですよ?」
『あんたがやらせてるんでしょ! 奏ぇっ!』
残りの紅茶を口に含んだ私の耳に、やかましい“姉”の声が響いた。
ゆっくりと味わってから飲み下し、私も彼女に合わせて砕けた口調で会話を続ける。
「別に、強制はしてないけど? 辞めたかったらいつでも辞めてくれて良いし」
『それってあんたのスパイみたいな真似を? それとも教師を?』
「さあ? ただ、いずれにしろ私がまた学校に行かなくなったら、両方辞める事にはなるでしょうね」
『くっ!? あんたと言いあのクソガキと言い、涼しい顔で大人を脅迫しやがって……』
「酷いわ姉さん。自分に縁が無いからって、妹の初彼氏をクソガキだなんて」
『一つも感情乗ってない声音で煽ってくんじゃ無いわよ! 私はあんたと違って正常な価値観で慎重に男を選んでるだけ! それに彼氏じゃなくて、“彼氏役”、でしょ』
ひたすら声が大きくなって行く姉の声に比例させてスピーカーの音量を下げながら、私は淡々と言葉を返す。
「同じ事でしょ。私に『普通の女の子』でいて欲しい、あの人達にとっては」
『……はぁ。分かってるなら、少しは付き合わされるこっちの身にもなってよ。良くも悪くも、瀬羽君が上手くやってるお陰でまだあんた等カップルの異常性はそこまで目立って無いけど、変な形で父さん達の耳に入ったら、割を食うのは私なんだからね?』
「それは私じゃなくて、あの人達に言うべきね。そもそも、進学や就職であの人達を頼った姉さんの自業自得とも言えるし」
『うっ……本っ当に、顔以外は可愛くない妹ね。変態彼氏とお似合いだわ。……それにしても、腹違いの割にそこそこ面影を感じる程度には似てる美人姉妹だってのに。あのクソガキ、全然私の美貌に靡かないどころか、会話するのも面倒臭がるとかどうなってんの? 何? あの興味の欠片も抱いていない空っぽの目。あれ絶対人の皮を被った宇宙人か何かよ』
「ごめんなさい。似ているからこそ“差”がはっきり分かってしまうのかもしれないわ……」
『誰かも分からなくなるまでボコボコに殴ってやろうかしら』
「やめておいた方が良いと思うけど。多分殺されるわよ? 瀬羽君に」
『本当にやりそうだから全然笑えないんだけど……』
実際のところ、あの人、私が酷い目に遭ったらどんな反応するのかしら? シンプルに想像するなら怒り狂って何かしらの犯罪くらいは軽く犯しそうだけど、冷静だったらだったで、ある意味そっちの方が怖そう。
「……ふふっ。私より、あんな人が普通の顔して学校に行ってる方が、よっぽど異常よね」
『何笑ってんのよ……はぁ。良いわねあんたは。変態でも絶対服従してくれるナイト様に守って貰えて。てか、もう私が探り入れる必要なんて無いでしょ? 目的が明確な分ある意味、普通の男子高校生よりもよっぽど考えてる事が分かり易いじゃない。少なくとも、あんたを利用して悪さをするとは思えないわ。あんたの為なら躊躇なく悪事にも手を染めそうだけど』
「否定はしないわ。けど、定期的な面談は続けて。私が居ない所で私に無関係だと思っている人間に彼が何を話すのか、把握しておきたいし」
『……あんたも大概よね。冗談抜きで、お似合いに思えて来たわ』
「とんだ風評被害ね。あんな変態詐欺師とお似合いだなんて、死んでもごめんよ」
……とは言え、他人の前でも堂々と私への忠誠を誓って見せたあのエセナイト君に、少しくらいはご褒美をあげても良いかもね。
ちょうど明日は彼と図書館で勉強の予定だし。可愛い服でも着て行けば、犬みたいに尻尾振って大喜びするかしら。ふふっ。
『はぁ……あんたがずっとそんな顔してれば、父さん達も安心するのに』
「?? よく分からないけれど、多分それは無いわ。私が私である限り、ね。いっそ里子にでも出して縁を切ってくれたら、気が楽なんだけど」
『それなら、お嫁に行くって手もあるわよ? ちょうど良い所に、手段を選ばず幸せにしてくれそうな男の子も居ることだし』
意地の悪い笑みを浮かべる姉に、私は眉一つ動かさず淡々と言葉を返す。
「その場合、姉さんは彼の義姉になるわけだけど」
『ごめんなさい冗談です間に受けないで下さい』
「自分の立場を再確認出来たようで何よりだわ。……それでは、引き続きお願いしますね? “先生”?」
『くぅぅっ……分かりました!』
ヤケクソ気味に返事をして、姉は通話を切った。私もアプリを終了し、パソコンを閉じてベットに寝転がる。
私、姫宮 奏と、担任教師の小林 恵は、半分だけ血の繋がった異母姉妹だ。けれど、一緒に暮らした事は無い。今もそれぞれ、一人暮らしをしている。
姉は自分の母親と仲が良いらしいが、大学卒業を機に自立を促されたそうだ。
私は自分の母親の過干渉に耐えかねて、高校入学直後に引き篭もりになったのだが、見兼ねた父親がこのマンションを用意した。
ただ、私と姉には一つだけ共通している事がある。
私達は二人とも、父親と暮らした事が無い。
私達は二人とも、愛人の娘だから。
「都合の良い女の娘が、都合の良い男の子を道具のように利用しているなんて知ったら、あの人達はどんな顔をするのかしら……」
眠気に冒された頭でそんな昏い事を考えながら、私は億劫な足取りでカップを台所に片付けに向かう。
「……ん?」
と、ついでに歯磨きを済ませようとしたその時、部屋着のポケットに入れていたスマホがブルりと一度だけ震えて、メッセージの通知を伝えて来た。
アプリを開くとトーク画面の一番上に、瀬羽君のアカウントが表示される。
デフォルトのまま何の画像も設定していないアイコンが、如何にも興味の有る無しがはっきりしている彼らしい。
『明日だけど、多分もう図書館はクーラー付けてるから、何か羽織れる物持って来た方が良いと思う』
「……ふっ。ご主人様に指図するなんて、生意気なナイト様ね」
私は『余計なお世話』と一言だけ返信して、スマホをポケットに戻した。




