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「ついに『お父様』『お母様』って言える様になったんだって?」
マイン先生のマナーの授業を終えた午後、ツリーハウスを整えると言うミミと一緒に、いつもの様にこんもりとした森へ向かったフェリーチェは、東屋で課題をこなしていたセドリックに声を掛けられた。
「セド兄様…」
課題を貰いに一度学院に戻っていた長兄にフェリーチェが会うのは数日ぶりの事だった。
「あ、フェリスペース借りちゃってるよ」
ベンチをぽんぽんと軽く叩きながらセドリックがついでに言った。
「お帰りなさい。お戻りになっていたのですね。
それにそんなのはいいんです。結局マーク兄様は頻繁に昼寝に来るし、シル兄様もここの森にはいいサイズの昆虫が居るとかで、ツリーハウスを採集道具置き場にされてますし…もういっそ私の場所って言うよりも子供部屋ってすればいいんだと思います」
「くっくっく、子供部屋か。そりゃ良いな。
だがシリウスには物置を作らせるべきだな。あんなファンシーな小屋を虫捕りの道具置き場にするとは」
苦笑いしながらセドリックは教科書とノートを閉じた。どうやら休憩をするつもりらしい。
「兄様、お茶でもいかがですか?ミミがおやつとお茶を持ってきてくれてるのです」
「お!ちょうど小腹が減ったと思ってたところだったんだ。是非ご一緒させて頂こう」
フェリーチェがバスケットから菓子を出しているうちに、ミミがツリーハウスからカップを持ってきて、ポットから紅茶を注いでくれた。
「ここは日が遮られてるし、風の通りもいい場所だから、こんなポカポカ陽気でもあったかいお茶が美味いなぁ」
ニコニコと笑いながら茶を飲み、スコーンを齧る兄は、本当に穏やかな人だ。
いや、この屋敷の者たち全員が穏やかで、屋敷に流れる時間も同様に規律を持ってゆるゆると流れている。
思い返してみれば、これまでフェリーチェの居場所であり、安心できる唯一の場であった養護院の方が、兄妹のおかずの取り合いや女子たちの言った言わないなど、よっぽど日々の小さな揉め事が多かった。
ここでも時々怒られている使用人も見かける事はあるが、声を荒げるでもなく訥々と指導が入り、怒られている者も真摯にその説教に頭を下げる。
そんな説教の仕方の方が怒鳴られるよりよっぽど怖くて、聞いているフェリーチェまでも背筋が伸びてしまうのであるが。
「私…時間は掛かってしまったのですが、色々聞いたし見たし、実際感じたんです。それでいっぱい考えもしました。
それで…それで『怖い』『どうしよう』ってそればっかり考えてた事に気がついたんです。
お父様もお母様も、それに兄様たちも。あとは…他のみんなも。ここのお家のみんなが私を仲間にしようって頑張っていてくれてる事に気がついたんです」
フェリーチェはそこまで一気に話すと、温くなってしまった紅茶を口にした。
少し緊張している喉がこくりと鳴って、思ったより喉が渇いていた事に気が付いたフェリーチェはもう一口カップに口をつけた。
「そっか」
セドリックは一言だけ相槌を打って、フェリーチェの次の言葉を待つ。
「いつの間にか増えている本や刺繍糸、少しだけ話しただけの私の好物のレシピを、わざわざ養護院に聞きに行ってくれたコックさん。一緒にいつまでも私の幸せを考えようって言ってくれたマイン先生。ジュリ先生だってダンスのジョン先生だってみんな優しいです。
でもその全部を、全員を、優しい人たちを私の為に用意してくれたのは両親だって思いついたんです。
それと…養護院に迷い込んできた猫の事も思い出しました」
「え?猫?」
思わぬ話の展開に、セドリックはキョトンとした。
「はい猫です。サットンっていう猫なんですけど、養護院に居着いた割に最初は懐かなくて、誰が近づいてもシャーシャー言ってて。でも私は早くサットンを抱っこしたり撫でたりしたくって堪らなかったんです。
そしたらドーンさんが、ここが安全で大好きな場所になっるまで、みんなが敵じゃ無いって分かるまでほっといてやれって。
その頃のサットンがまるで今の私みたいって思ったんです。
私はサットンが慣れるまで頑張って我慢しました。サットンが近くに来たら触りたくて構いたくて凄くウズウズしたのですけど、でも頑張って頑張って我慢したんです」
その頃を思い出したフェリーチェの指はついワキワキと動いてしまった。
「多分こっちのはお家のみんななんだろうなって」
「確かに」
二つの状況を頭に描いたのか、セドリックは吹き出した。
「って事は、君は我が家のフェリットンだったんだね」
「フェリットン!」
今度はフェリーチェが吹き出した。
「それで?我が家は怖くない、安心できる場所だって分かったんだね?」
セドリックの問いにフェリーチェは大きく頷いて答えた。
「はい。私、三か月の間に思ってたのと違う、こんな子だったらいらないって養護院に戻されちゃうって思ってたんです」
「そんなはず無いだろう!」
珍しくセドリックが激昂し、フェリーチェが身じろぎした振動にカップがガチャリと不快な音を立てた。
「ご、ごめんなさい」
慌ててフェリーチェが謝ると、セドリックも慌てて立ち上がり、フェリーチェのすぐ隣に身を寄せた。
「フェリーチェごめん。僕こそ怒っちゃってごめん。
だけど二度とそんな寂しい事言わないで。
君がどんな決断をしようとずっと僕らは兄妹で家族だ。
これからの僕の心には生きている君がずっといるし、一緒に歳をとっていく僕らがいるんだ。
それはどちらかが神の庭に呼ばれるまでずっとだ。いや呼ばれたとしても君を忘れないに決まってる。もう僕たちが君を失う事なんて有り得ない。これは僕たちの家族もそうだし、この屋敷の者たち全員がそうだ」
力強くフェリーチェの肩を引き寄せセドリックが言った。
両親に抱きしめられた時の様に、フェリーチェの体も心もポカポカと暖まる。
「セド兄様、ごめんなさい。今は凄く分かっています。
ここに来る前とか来たばっかりの時は自分の頭の中だけで考えて、クヨクヨ凝り固まっていたんです。
でも今は違うって、みんなが私を受け入れてくれてるって分かります」
「そっか、分かってくれて嬉しい」
肩が触れ合ったままの二人は、お互いの金色の目を見て微笑みあった。
「本当に私はフェリットンだったって気づいたら、自然に『お父様』『お母様』って言えたんです」
「そっか、僕たちのフェリットンがやっと懐いてくれたんだな。
で、ところで本物のサットンは今何処に?」
ふふふとフェリーチェは笑うと言った。
「今は養護院で3匹のお母さん猫になって、一家で鼠取り頑張ってくれているんですよ!」




