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いよいよ、ケリー先生のお墓へ続く扉の前に一行は立っていた。
先程、食堂でヘナに『いつの間にあんな綺麗なお墓作ってたの!?本当にびっくりしちゃった』と言われた。
なんだかんだで話す暇すら無くなってしまっていた事を侘びつつも、流れでその土中の棺は空っぽではなく、ケリー先生がちゃんと納まっている事をヘナによって初めて聞かされたフェリーチェは逆に驚いてしまった。
改めて事情を聞きにドーンやケビン爺の所へ行くと、してやったりという顔で『前院長にはザマアミロだな』と笑っていた。
だが彼らの機転でこうやって正真正銘の先生のお墓参りが出来るのだ。二人に抱きついてフェリーチェは心からの礼を言った。
新しい院長がドアを開けてくれて、薄暗かった通路に光と生暖かい風が吹き込んできた。
隣に立つマイン先生は緊張の表情で胸の前でぎゅっと手を握りしめている。フェリーチェには少し震えている様にも見えた。
フェリーチェがそっとその腕に触ると、ハッとしたマイン先生が見返した。
おずおずとそのまま手を伸ばして先生の手を握ったフェリーチェはくいと前に引いた。
「マイン先生行きましょう。きっとケリー先生が首を長くして待ってるわ」
「ええ…ええ、そうね。行きましょう」
二人はそのまま手を繋いで足を踏み出した。
建物から一歩足を踏み出し、更に日差しを頭上に感じて完全に外に出たのには気付いたが、フェリーチェは眼前に広がる風景に唖然としてそれどころではなかった。
たった八株買っただけだったブルーデイジーが、まるで花畑かの様に裏庭の一角を埋め尽くしている。ケビン爺が仕切ってくれた花壇の縄など、どこにも見つけられなかった。
奥には欅の木が見えるが、まるで涼やかな池脇の木立ちの様にも見える。
ブルーデイジーの花畑の中央にこんもりと盛り上がった小山があり、そのてっぺんにフェリーチェが買ってきた母子聖女の像が置かれているのに気づいた。
「あの像…」
「あそこがケリー先生のお墓だの。
俺らも一晩で変わっちまったこの有様には驚いたもんじゃったが、ゼン神の思し召しだそうじゃよ。それじゃあこうなるのも仕方あるまい」
横にいたケビン爺がヒッヒと少し笑いながら、フェリーチェの呟きを拾って答えた。
ふと繋いだマイン先生の手が小さく震えている事にフェリーチェは気がついた。
見上げると先生は繋いでいない方の手で口元を押さえている。
「これはブルーデイジー?…では、ここはまるで…」
「先生?…あのね、ケリー先生一番ブルーデイジーが好きなお花だったのですって。だからお墓にはブルーデイジーを植えてあげたかったの。だけどお金が無くて数株しか植えられなかったのです。だけど今は凄いでしょう?
今こうなっているのは神様のおかげなんですって」
フェリーチェの説明を聞いた後、マイン先生はまた目線を上げて花畑を眩しそうに見た。
その時、花畑の奥に白い靄が集まり始めたのに一行は気づいた。
最初は湯気程度だったものがだんだん濃くなり、人型を形作っていく。
「ケリー…先生…?」
フェリーチェは見間違えるはずがなかった。
目鼻こそは見えないが、あれは正に生前のケリー先生そのままのシルエットだった。
フェリーチェは今すぐにでも走り寄りたかったが、強く握られているマイン先生と繋いだ手を振り払うわけにもいかず、どうして良いのか、マイン先生とケリー先生を見比べながら動く事が出来ずにいた。
フェリーチェはケリー先生への目線を切って、マイン先生を見上げると、大きく見開いた目から止めどなく涙が溢れ出ていた。
「マ…マイン先生…」
「ご、ごめんなさい。もう二度と会えないと思っていたの。ケリガン様…可愛らしくて可哀想な私の教え子に。救えなかった私の教え子に…」
とうとう両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまったマイン先生にフェリーチェは本当にもうどう声を掛ければ良いものなのかさっぱり分からない。
オロオロとその場で戸惑うフェリーチェの視界に白い靄が入り込んだ。
『先生…マイン先生』
「ケリガン様!」
『先生、ご無沙汰をいたしておりました。この様な再会となりまして…とても残念ではございますが…。
私はたくさんの不幸が折り重なった中に生きておりましたが、先生と一緒にいた時は正しく人生の中で一番楽しくて充実していた日々でした』
「ケリガン様!貴女が一番辛かった時に会いに行けなくてごめんなさい…ずっと気になっていたのですが、とうとう貴女の最期まで会えなかった…」
白い靄が後ろを振り返りながら、ブルーデイジーの花畑を手のひらで指し示す。
『先生…どうかこの庭を見て下さいませ。
私の中の一番美しくて、忘れ難い思い出を我が神がここに再現してくださいました。私への慰めとしてです。
先生、ここはあの日に先生に招待していただいた、先生のお宅の庭です』
白い靄がマイン先生をしっかりと見つめながら続けた。
『あの日、先生はマナー講習の一環としてあの家から連れ出して下さいましたね。そして先生のお宅に招いて下さった。
お庭でお茶を頂きました。乱れ咲く様なブルーデイジーの花畑の先には、先生のお子様たちが兄弟で戯れ合う様に遊び、お優しい先生の旦那様がお子様たちを楽しそうに見守っておられました。先生は私と会話しながらも、時折ご家族様の方を見て小さく微笑むのです。
大変失礼な物言いですが、あの庭は我が家とは比べ物にならないくらいの小さなお庭でした。ですがそこには愛が溢れていました。あの庭は私が最期まで手に入れる事ができなかった優しくて温かい愛の庭です。
私もそれをいつか手に入れることができると…あの頃はまだそう信じている事が出来た、私にとっても美しい時間でした』
そこで白い靄が背後を差し示していた腕をぶらんと下げた。
『ですが今の私には相応しくない庭です。悪に手を染めたのはあの人だけではありません…私は先生にもエル…フェリーチェにも顔向けできない身となってしまいました。
ですが我が神はそれで良いと。
人との交流を避けてきた我が神に、良くも悪くも人間について教える者として、恐れ多くもここに在って良いと言われました』
そこで白い靄がフェリーチェを見た。
「フェリーチェ…貴女の身の上も聞きました。貴女は知らぬ事だったとは言え、本当に辛い道を歩みましたね。
貴女が発端となり、私が幸いにもここに留まる事が出来たことも聞きました。
小さな貴女はとても可愛らしかったし、哀れでした。
ですがそんな貴女が、私が良心のカケラを思い出す事が出きたきっかけでもありました。
先生、フェリーチェ…私はこの様な結末となってしまいましたが、それでも辿る可能性のあった中でも、最も幸せな結末へと辿り着けたのだと思っているのです。
ですから今はとても安らかで幸せなのです』
「ケリガン様…」
「ケリー先生…」
『ああ、私はお二人からそう呼ばれるのが大好きでした。またこの様に呼びかけていただけるなんて…私は道を引き返して本当に良かった…』
そう言うと、白い靄がだんだん薄くなって光の粒になったかと思うと消えてしまった。
「嫌だ!ケリー先生!?」
慌てたフェリーチェが何事が起こったのかと周囲を見渡すが、どこにも靄は見当たらない。
「フェリーチェ。ケリガンは私の従属としてここに在る者だ。普段は人間の前に姿は表さぬ。
だがあの者の思いと其方たちの思いを汲み、今回だけ会わせたのだ。本来は生者と死者とはそういうものだ。隔たる壁は取り払えぬ」
消えた靄の代わりにゼン神が顕現していた。
一斉にその場にいた者が膝をつき頭を下げる。
「嫌だ!?そんなの嫌だ!せっかくまた会えたのに!ケリー先生に会えないのは嫌!」
駄々っ子の様にフェリーチェがゼン神にしがみついた。その目からは涙が次から次に溢れ出ている。
「それでもお前は幸せ者だ。死者の最後の思いを聞けたのだから。どれだけお前を愛していたのかを、あの者が死者となった後の偽り無き心を知れたのだからな。
それでも更に求めるか?」
そう言われてもフェリーチェは納得ができなかった。
急に大好きなものを、理不尽に取り上げられた気持ちだったからだ。
「だって!私はケリー先生が大好きだったんだもん!ずっと一緒にいたかったんだもん!マイン先生だって同じ気持ちだもん!お願い!先生をどこにもやらないで!」
とうとうフェリーチェはヤダヤダと声を上げて泣き出してしまった。




