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公爵家の馬車が養護院が近づくにつれ、たった数週間ぶりだというのにあちこちに変化が見られ、そこら中に大量の木材や工具が置かれ、大きな工事が入っているのが見て取れた。
馬車の窓に齧り付いてその様子を食い入る様に見つめるフェリーチェに、ソニーは苦笑して言った。
「フェリ、後で全部案内させるから落ち着きなさい」
自分が思ったより凄い格好で窓に貼り付いていたことに気づいたフェリーチェは、急いで姿勢を正してから恥ずかしそうにソニーとマイン先生を見た。
マイン先生は微笑ましいといった顔でフェリーチェを見ていたが、その顔は少し緊張している様に見える。
若くして亡くなってしまった元教え子の元に行くのだ。その顔も仕方のない事だろう。
そんな表情に気づいたフェリーチェが少し悲しそうな顔をすると、マイン先生は困った様な顔でフェリーチェを見て言った。
「私は十年以上ぶりにケリガンに会うのです。少し緊張してしまっていますね」
教え子との悲しい再会ではあるが、彼女の冤罪は晴れ、聖地で神が過ごす際の従属として仕える事が決まっているらしい。
フェリーチェはソニーからそう聞いても、どういう状態なのかさっぱり分からなかった。
だが、要するにケリー先生の魂がこの地に留まるのだとの噛み砕いた説明を受けて心から嬉しく思った。
やがて広々とした前庭とポーチが作られつつある、養護院の玄関先に馬車は到着した。工事人の様子からすると、これからちゃんとした馬車止まりも作られそうな雰囲気だった。
そんな乱雑な中に迎えに出てくれた、既に懐かしいと思ってしまう面々の顔があった。
「ゾーイ婆!ケビン爺!みんなも!」
開けられたドアからソニーのエスコートももどかしく走り出したフェリーチェはゾーイ婆の腕の中に飛び込んだ。
相変わらずガリガリの体だが、着ている衣類は柔らかく良い匂いがする。
フェリーチェがあれ?と思って見上げると見たことがない衣装に身を包んだゾーイ婆は、随分と血色が良くなっている気がした。
「よく帰ってきたね。おかえりフェリーチェ」
フェリーチェはエルと呼ばれなくなったことに少しの違和感と寂しさを抱いたが、フェリーチェという名前で生きていく事を決めたのはフェリーチェだ。
「ただいま!みんなも!」
「アンタのお父さんには良くしてもらってるよ。ずっと私らが頭を悩ませていた事も、一気に解決しちまった」
来客用のカップにお茶を入れてくれたゾーイ婆は、ソニーの方へ黙礼しながら、フェリーチェにそう言った。
「院長も代わって、急に金回りも良くなって、神様までここに居る事になってさあ!
毎日あちこち工事が入って、雨漏りだの壊れかけてた所も不便してた所も全部直してもらえてね…どうだい、みんなの顔色も明るくなったろう?」
玄関先での歓迎にもみくちゃになっていたフェリーチェ一行を、新しく代わったという院長が応接室ではない、全員入れる食堂に案内してくれた。ソニーたちともその様に事前に相談して決めていた様だった。
わいわいとお茶とおしゃべりを楽しむ皆の中に居る、白い髭のピンク色のほっぺたがツヤツヤしたおじいちゃん院長は、人の良さそうな笑顔で、ジンとヘナともニコニコと楽しそうに会話している。
先生たちやエルザやセリアたち若い子たちは、フェリーチェたちが持ってきた甘い菓子の入った袋を楽しそうに開けている。
「みんな元気そう。それに楽しそうだわ」
「は!元気いっぱいすぎて、全く毎日うるさいくらいだわ!」
周囲を見渡したフェリーチェの感想にゾーイ婆も楽しそうに笑った。
「食べ物の心配も無くなったし、ほらさ、みんなの着るものだって良くなってるだろ?布地がたんまり貰えたから、外回りに行かなくても良くなった娘たちが一斉にみんなの衣類を仕上げてくれたのさ。
それに耳の早い者がもう聖地巡礼を始めててね、日に何人かが訪れるんだよ。だからそれのお接待もある。
もうここは神様の座す場所だからねぇ、ちゃんと整えるとこは整えなきゃいけないから、その仕事だってここに出来たって塩梅さ。
あの娘たちだって色々事情ある子達だから、最初は街に出たがらなくって、でもみんなを食わすためだからって無理してたからねえ…気の毒だったけど、こんなババアがじゃあ代わりにってわけにもいかなくて…それがここで出来る仕事を貰えて、それはもう喜んでるのが顔に出ちまってるんだろうさ」
そんな事情など知らなかったフェリーチェは神妙な顔になってしまった。
「これだけ神の力をまざまざと見せつけられちまったら、私だって神も仏も無いって思ってたのを撤回しなきゃならないねえ」
そう言い残して、手のひらをヒラヒラと振りながらゾーイ婆は台所へ盆を片付けに向かった
フェリーチェがゾーイ婆の背中を見送っていると、マイン先生が天井まで見渡しながら口を開いた。
「ここがフェリーチェが育ち、ケリガンが働いた場所なのですね。当時の環境がどうであったかは想像しかできませんが、ただ…ただお互いを支え合う人々の温かさをとても感じます」
その言葉が嬉しかったフェリーチェは満面の笑みで答えた。
「私が何者か分からなかった時に、将来困らない様にと皆が私を教育してくれました。多分それはマイン先生に今、教えてもらう事の役には立たない知識かもしれないけれど、でもその時は最上の教えで…それはあの時皆が私に渡せられる唯一のものだったから、私にとっては今でもとても大事なものです」
それを聞いたマイン先生は大きく首を左右に振って、フェリーチェの視線の真ん中に入り込んだ。
「いいえ、フェリ。それは違います。この世に役に立たないものなど何一つないのです。
それにここの人たちの教えは今の貴女を作り上げたのです。私は今の貴女が大好きですよ。
更に言えば、その教えは今すぐ役に立たないものがあるかもしれません。ですがある時とても役に立つかもしれないものなのです。
それは明日か何十年後か…それは分かりません。ですが、ふとこれはいつか見聞きしたものだと、フェリが思い出すものになるかもしれません。ですからそれは大切にずっと貴女の中に貯めて取っておかねばならないものですよ」
フェリーチェは目をまん丸く見開いて先生の話を聞いていた。
恐らく貴族女性としては致命的な瑕となるであろう、誘拐事案も長い平民生活もそれらもひっくるめて経験として大事にする様に言ってくれた上に、先生はフェリーチェの存在を認めてくれたのだ。
「大好き…」
「ええ、可愛らしくて素直で人の心情に寄り添える…私は貴女がとても大好きですよ」
フェリーチェの心の中に養護院、公爵家と更にもう一つ居場所が出来た瞬間だった。
「フェリ!フェリや!お父様だってフェリの事がだーい好きだから!」
反対側からソニーが一生懸命アピールしてきていたが、それすらも耳にも目にも入らないくらい、優しく撫でてくれるマイン先生をフェリーチェは涙の滲む目で見つめていた。




