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形見じゃなくて呪いの指輪だった件  作者: よしこ
一章
44/59

44

 フェリーチェはダンスのレッスン後の汗ばんだ額を、そよそよと風に吹き流してもらいながら、広い庭の庭の端にある大きな楓の木の下でペタリとお尻を付けて座り込み、ポカリと浮かぶ雲を見ていた。


 勉強は楽しい。

これまで自分や院の住人や先生の家事や用事の合間に、少しずつ何かを教わる事はあったが、腰を据えてじっくり勉強を教えてもらう経験の無かったフェリーチェは、一つの科目の授業が終わる時間には、頭の中にモヤがかかるくらい疲れていた。

へとへとの疲労困憊というより集中した後の充実した疲れだ。


 今は三人の先生たちが授業を受け持ってくれていて、それぞれ週三回ずつ。そうすると、1日に二科目勉強する日も出てくる。

だが今日は午前中にダンスの先生だけしか来ない日で、先程その授業が終わった所だった。


 侍女のミミは甘いお菓子とお茶を用意してくれると言ったが、フェリーチェはそれを断って一人で庭に出てきたのだった。

この屋敷に来てからというもの、フェリーチェは夜の就寝時間まで一人になる事はない。寧ろ多い時は二、三人がフェリーチェにくっ付いている有様だ。

授業の後の気だるい時間、なんとなくフェリーチェは一人でゆっくりしたくなったのだ。


 ぶらぶらとずいぶん歩いた先に行き着いた、こんもりとした森の手前で少し疲れを感じたフェリーチェが座れる所を探したが、こんな所まで綺麗に整えられている公爵家の庭には倒木も切り株すらも無かった。

フェリーチェは綺麗なドレスで直に地面に座るのは暫く悩んだが、綺麗に敷き詰められた芝生もあったので、思い切って腰を下ろして足を伸ばした。

スカートがずり上がった足首にチクチクと葉っぱの感触がする。久しぶりにこんな座り方をした気がする。

ここでは椅子やソファなど座る所は沢山あるが、養護院の様に切り株や木陰の地面など、思うままに座れた生活が少し懐かしくなってしまった。


 右から左へとゆっくり流れていく雲をぼんやり見ていると、ブブブと蜂が視界を横切っていき、フェリーチェはふと我に返った。


あれ?どうしたんだろ。

私、そんなに疲れちゃった…のかな?

体…じゃないな。風邪っぽい感じでもないし。体が重いんだけど、それよりも気持ちがなんか変。

気持ち…って言ってもこれと言って嫌な事も無いし…色んな事を知れるのは本当に楽しいし、もっともっと勉強したいって思う。


 だがいつの間にかこの胸にあるモヤモヤを、どう表現するものなのか暫くフェリーチェは考えてしまった。

すると背後にカサリと芝と落ち葉を踏み込む足音がした。

咄嗟にフェリーチェが振り返ると、そこには長兄のセドリックが立っていた。


「セド兄様」

フェリーチェの先生に愛称で呼んでもらう事になった話はとっくに家族で共有されていて、その日の晩餐では全員から愛称で呼び合う約束をフェリーチェは取り付けられていた。

だが愛称では無い『お父様』と『お母様』はまだ上手に口に出す事は出来ていない。


「フェリ…こんな所でどうしたんだい?」

そう言いながらセドリックはフェリーチェの隣に腰を下ろした。

「どうした…んでしょうかね?」

「ははは、それを僕が君に聞いたんだよ?どうしたの?何かあったのかい?」

フェリーチェはなんと答えればいいのか分からなくなり、なんとなく目線を下げて、そこにあった黄色い花を摘んでみた。それをぶらぶらと揺らしてみながら、さっき思った事をセドリックに言ってみる事にした。


「あの、勉強は楽しいです」

「うん、それは良かった」

「みんな優しいです」

「うん」

「でも…」

「うん」

フェリーチェはそこから言葉が出なくなってしまう。

自分でもよく分からないのだ。

「……」

「でも?なんだい?」

「それが…分からないんです」

「そっかぁ」


兄と妹は暫く空を見ていた。

「なんかさ、多分僕たち、急いじゃってるんだよね」

今度はセドリックが口を開く。

「フェリを早く馴染ませなきゃとか、フェリがずっとここに居たいって思ってもらえるようにしなきゃとかさ。

そりゃ家族大事な父様は僕たちに対してはとても誠実でフェアな方だから、見かけはそういう分別ある振る舞いをちゃんとやってくれてるけどね、でもやっぱり気持ちは別だからさ」


 セドリックも手近にあった白い花を摘んだ。

「だってさ、こーのくらい離れてた…いやもっと見えないくらい離れてた花をやっと、こーんな近くで愛でられる様になったんだ。そうなっちゃうよね。

でも多分、そんなみんなの雰囲気をフェリは感じ取っちゃってるんじゃないかな?」

摘んだ白い花を手が伸びる限界まで遠くに離したと思えば、すぐに胸元に引き寄せてセドリックがそう言った。

「そう…なんでしょうか?」

「フェリさ、ちょっと息苦しいんでしょ?」

「…かもしれません」

セドリックは一つうんと頷いて、フェリーチェに白い花を渡した。


「貴族で生活するって、その息苦しさの中で生活しなきゃいけないんだけどね。

だって僕らが何の不自由を感じる事なく、安定した生活をさせる事が使用人の仕事だし、腕の見せ所だから観察されるよね、常に。

主人が何を欲してるか言われる前に動くのが使用人の出来不出来だったり醍醐味だったりする訳だし…そりゃ彼らだってよく見るよね。僕らを。

それにはうーん…どうしても慣れなきゃいけないかなぁ。僕らは生まれた時から今までずっとの事だから当たり前になっちゃってるけど、フェリは違うんだもんね。頑張って貰うしかないかなあ。

あとは、僕たち全員も慣れて、フェリがいる日常を当たり前だと思わなきゃいけないんだろうなぁ」

「当たり前?」

「うん、言い方は悪いかもしれないけど、不在の時間が長かった分、フェリは我が家の新参者なわけじゃない?

大体、君は覚えていないだろうけど、フェリが生まれた時はもっといろんな人間にチヤホヤ取り巻かれてたんだよ。

可愛い新参者をみんな構いたくてどうしようもなかったんだ。

だからこれでも抑えてる方なんだけど…一緒に生活してなかった期間が長かった分の齟齬みたいなのは大きいなぁって思うよね」


 フェリーチェは段々なんだかわかってきた様な気がする。どこに行っても噂と注目の的の様な生活がしんどいのかもしれない。

「確かに…」

「言ってもさ、再会してまだ一週間も経ってないんだもの。だからお互いの存在をもうちょっと当たり前にしていけたらなあって思うけど、フェリはどうかな?」

「そう…ですね」

「どう?しんどい?」


 その問いに少しフェリーチェは考えてから答えた。

「あの、ですね。私…なんか疲れたなって思ってたのですが、セド兄様と話をしてみたらなんで疲れたのかが分かった気がしました。

ここに来てから楽しいことばっかりって思ってるのになんでこんな気持ちになるんだろうって分からなかった事がしんどかったです。

でも理由が分かったらなんか少しだけスッキリしました」

白と黄色の花をクルクルと小さく回しながらフェリーチェは続けた。


「それで、私も急いでいた気がします。

みんなに迷惑かけた分ちゃんとしなきゃって。期限もあるしって。でもあんまり期限を考えなくてもいいのかなって思う様になりました。

見た目から既に血の繋がりは感じられるし、例え離れたとしてもお互い生きてるし、私の居場所も分かって元気なのはいつでも確認できる様になったわけですし…」

「迷惑はかけられてないし、それに、うーん…出来ればもう離れたくはないなぁ」

フェリーチェはついはははと乾いた笑いを溢してしまった。


「例えばです。こうセド兄様とお話ししてても、お…とさまやお、おか…さま…も…みんな私に愛情を示してくれます…ですが…私はどうやって返せば良いのか…」

どうしても二人の呼び方に慣れないフェリーチェの言葉の詰まりに、ついセドリックは吹き出してしまった。

「ははは!確かに困っている様だね。ごめんよ、そんなに睨まないでおくれ。

それは…だって養護院には兄貴分とかお姉さん代わりはいたけど、ああいう両親代わりの存在はいなかったのだろう?

だとしたら急に現れた存在に慣れるのは時間がかかるだろうね。

多分君が両親への呼び方が定着した時が、フェリの中での色んなわだかまりが解けた時なんだろうなって思うし、ちゃんと呼ばれた時の二人の顔がちょっと見ものだと思うけど…そう言ったことも含めてゆっくりやっていかないか?

フェリも急がないなら僕らも急がない。

そして時々こうやって話そう。生意気な弟たちと違って、可愛い妹と話す時間ってこんなに楽しいのかって兄貴に思い出させてくれないかな?」


 最後はイタズラしそうな顔でセドリックが少し悪い笑顔を見せた。

三兄弟は十分仲良さそうに見えるし、時々食事中でもフェリーチェの分からない様な剣技や勉強の話をしながら楽しそうに笑っている。それでも兄の立場からすると、彼らは生意気の域に入るらしい。


「私も話ができて良かったです。自分がどう思っているか自分でも良く分かった気がします。

あの、また困った時にお話ししてもらっても良いですか?」


そうフェリーチェが言うと、手に持つ二輪の花よりも眩しい笑顔でセドリックが頷いた。

「勿論だとも!困った話だって楽しい話だって悲しい話だって何だって話をしよう!僕は、僕らはフェリーチェのなんだって知りたいし話したいっていつでも思ってる。

それだけは絶対に忘れないで。それだけは絶対に信じていて」

セドリックはそう言いながら自身と同じ髪色を持つ妹の髪を優しく撫でた。


「絶対にだよ」

そう言うセドリックへフェリーチェは、見上げる自分が映る兄の金色の瞳を見ながら、ゆっくりと頷いた。

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