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フェリーチェの新しい生活は、最初の三日ほどはお互いに様子見であった。
朝起きて食事など以外は何をして過ごせば良いのか、よく分からないほどのんびりとした一日を過ごした。
あまりに暇そうにしているフェリーチェを気遣って、ミミたちが散歩に連れ出してくれたり、屋敷の案内をしてくれたので、だいぶ色々と把握できるようにはなったが、まだ屋敷の中で一人にされてしまったら、すぐさま迷子になる自信がフェリーチェにはある。
だが、それが明けると公爵家はフェリーチェに令嬢としての生活を求めた。
「期限である三ヶ月を甘やかせるだけ甘やかしてフェリーチェの好きにさせて過ごさせ、ここに残りたいと思わせてから厳しく躾直し…っていうんじゃフェアじゃないだろう?
貴族として生活するってどういう事なのかも分かって欲しいんだ」
そうソニーは言って、家庭教師の先生を紹介してくれた。
先生はまだ若いが、笑うと優しい顔になるどこかで見た覚えがある顔だ。
「初めましてフェリーチェ様、私はジュリエットと申しますわ。お友達からはジュリと呼ばれています。フェリーチェ様もそう呼んでいただけますか?」
いくら優しそうな先生であっても、フェリーチェはどうしても最初は人見知りが出てしまう。助けて欲しくてソニーの方を向いたが、穏やかに笑ったまま口を開かない。
仕方なくフェリーチェは覚悟を決めて言った。
「は…い。これからよろしくお願いします。あの…私もフェリの方がいい?」
すると先生は更に目を細めて笑った。
「ほほほ…そうですね、フェリーチェ様がどうお呼ばれになりたいかではないでしょうか?あだ名というものは親しみを表すものでもあるのです。
私はフェリーチェ様と仲良くなりたいと思いましたので、ぜひジュリと呼んでいただきたかったのですわ。
フェリーチェ様はいかが思われますか?」
フェリーチェは少し悩んでから言った。
「ジュリ先生。私も先生と仲良くなりたい…です。そしてたくさん教えてもらいたいです。だからフェリって呼んで下さい。
…そして先生は先生なのですから、私の事は呼び捨てでフェリって呼んで欲しいです」
フェリーチェはどうしても皆から様付けで呼ばれるのに慣れない。これまでの三日間で一度ミミたちにも呼び捨てを頼んだが、丁重に断られてしまった経緯がある。先生くらいからは気軽に名前を呼ばれたかった。
だがその言葉を聞いていたジュリ先生は少し驚いたような顔の後に、今度は頬を少し染めて震え上がるような仕草をしてから破顔した。
「まあ!ジュリ先生ですって!なんてお可愛らしい!心がムズムズ致しますくらい嬉しいですわ。
分かりました。フェリ。私はあなたの良い先生になる事を誓いますわ。ですからたくさんお勉強して、そしてたくさんお話ししましょうね」
「フェ…フェリーチェや!お父様もフェリって呼んでも良いかな?お父様も君と仲良しになりたいんだ!」
先程まで二人に任せて全く口を開かなかったソニーが勢いよく間に入ってきた。その後ろにいた執事長もこれには少し呆れたような顔をしたような気がする。
いつの間にか、ソニーはガッチリとフェリーチェの両手を掴んでいる。
「は…はい、大丈夫です」
それ以外の返事をしたら、この父はどんな反応を見せたのだろうか。すっかり上機嫌にフェリ、フェリと口に乗せて歌うように呟いている。
「え、っと…それでは…まず、そうですね。少しだけお勉強を始めてみましょうか」
ソニーの勢いに少し驚いた様子だった先生であったが、フェリーチェよりも先に本題への意識を取り戻した。
「はい!」
「良いお返事ですね。フェリはやる気に満ち溢れているのだと分かる、気持ちの良いお返事ですわ。その様に言葉に気持ちを乗せるのはとても良い事なのですよ。
では今日は良いお天気なので、お庭に出てみませんか?」
フェリーチェは机にペンやノートが置いてあったので、お部屋で勉強をするのだと思っていた。
「お勉強なのにお外に行くのですか?」
「そうです。せっかくフェリと仲良くなれそうなのに、私はまだフェリの事をあまり知らないのです。
ですからお外でお勉強しながら、フェリの事も知りたいと思うのです。もちろん閣下もご一緒にお散歩致しましょう。所謂授業参観ですわね」
ニコニコと笑う先生に、フェリーチェはソニーを見上げた。
ソニーも少し意外に思っているらしく、戸惑いが表情に出ていたが、フェリーチェの目線に気づくとニッコリと笑った。
「それは私の気分転換にも良い時間になりそうだ。授業の邪魔はしないから、一緒に行っても良いかな?」
やがて一行は勉強部屋から直接庭に出た。
昼前の陽の光が燦々と降り注いでいる。風は穏やかで歩くにはちょうど良い気温だった。
侍女の一人が傘を差し出したが、一度空を見上げてからフェリーチェはキョトンとした。
雨も降っていないのに?雨が降っていたとしても、フェリーチェは傘など使った事もなかったし、そもそも持ってもいなかった。
それを横にいた先生が自分にも差し出された傘を受け取りながら言った。
「フェリ、貴婦人というのは、晴れの日でも傘を使います。何故だと思いますか?」
考えたこともない様な質問を貰ったフェリーチェは、これには頭を抱えた。だが正直に先生に分かりませんと言った。
「分からない事をちゃんと分からないと言える事は、とても素直で素晴らしい事ですね。
答えは、太陽からは素肌を焼く光線が出ていると考えられているからです」
「光線…ですか?」
「そうです。フェリは日焼けは知っていますね?貴婦人は白い肌を尊びます。ですので光線を遮るために使う、これは日傘と言います。雨の日に使う傘とは別物なのです」
フェリーチェとて日差しのせいで日に焼ける事は知っていたし、貴族は綺麗な肌をしているのも知っていたが、日焼けを嫌がる事までは知らなかった。
「私は日焼けで随分と黒い肌をしています」
フェリーチェは自分の二の腕を悲しそうに見た。既に貴族令嬢としての失格の刻印を押された様な気がした。
「そうですね。フェリは随分と働き者だった様ですね。貴女のその日焼けが教えてくれます。ですがフェリ、冬になっても貴女の肌は真っ黒なままでしたか?」
「いいえ、段々白く戻りました」
「そうですね。人間の体は元に戻そう、治そうとする力がある事が分かってきています。日焼けは言わば火傷なのですよ」
「火傷!?」
「そうです。とっても軽症の火傷ですが、お日様の光線による火傷なのです。もっと詳しく言うと違う部分もありますが、そこはもっとフェリの知識が貯まってから深くお勉強しましょうね。
ですから、その軽い火傷を治そうとする力によって白い肌に戻るのです。ですからフェリがこれから気をつければすぐに火傷も治ります」
この短い間だけで、フェリーチェはたくさんの事を知れた。
先生は褒めてくれながら、フェリーチェにも分かる言葉に変えてくれながら話してくれるので、すんなりと耳に入ってくる。
フェリーチェはお日様の秘密も知りたかったし、体の仕組みも知りたかった。
この広い庭を歩いている間に、この柔らかい話し方をする先生からどれだけの事を教えてもらえるのだろう。
フェリーチェはワクワクしながら先生を見上げた。
「ふふふ。それではフェリ、ちゃんと日傘を差しながらゆっくり歩きましょうね」
先生の笑顔に誘われる様に、フェリーチェも庭に作られた小道を歩き出した。




