37*傍流
「ねえ貴方、前に実家を見返してやりたいって言ってたわよね?」
ある日、教会に寄付金を持ってきて下さった、皇太子の婚約者となったスージー嬢が私にそう言った。
ジェンダム家は私の実家の遠縁にあたり、ジェンダム家のケリガン嬢とスージー嬢とは幼少の頃から少なくない交流があった。
今こそケリガン嬢は残念な事になったが、同学年だった事もあって、学生時代は学園でも会えば立ち話する関係でもあった。
「何のことでしょうか?」
幼馴染と言えど、元々の身分差もあったが、更にスージー嬢は近いうちに皇太子妃となられるお方だ。私は失礼のない様に気を付ける。
「いやだぁ!私、忘れてないんだから!昔の貴方、お兄様たちに追い出されるって怒ってたじゃない。家のために教会に売り渡されるって」
「ああ…あれ…ですか…」
私は嫌な思い出が蘇り、寄付を受け取るための手続きをするフリをしてつい俯いてしまった。
私はそんなに裕福ではない男爵家の三男であった。
家を潤す大きな商いがあるわけでも無いというのに、何故か大きな顔をして威張ってばかりの父と、そんな父にそっくりな長男。次男は常に末っ子の私を人身御供とばかりに二人に差し出しては、我が身への災難を避ける様なクズだった。
家でそんな立場だった私は、父や長男が深く考えもせず無駄に起こしたトラブルの後始末や、機嫌が悪い時のサンドバッグの扱いを長年受けてきたのだった。
その中でも最悪だったのは学園最終学年の年に、兄が持ってきた話だった。
「お前たちのどっちか、ああ、ああどっちでも構わんぞ。
一人教会に神職として入ってくれ」
とっくに始まっていた夕食の席に外から帰ってきた長兄が服もそのままに、どっかりと座ったと思えば唐突にそう言い放った。
次男は学園を卒業後、どこかに勤めることもなく、本当にあるかも定かでは無い『家の仕事』の手伝いとやらをやって日々過ごしていたが、私はこの家に居たくはなかったので、学院を卒業後には役所か、大きな貴族家に勤められる様に動いているところだった。
私を気に入ってくれて、是非来ないかと言ってくれている地方貴族に仕えている執事長も居たのだ。
「そんな!」
「仕方ないでは無いか!教会から貴族のくせに奉仕が足りないと言われてしまったのだ。かと言って我が家で奉仕に熱心だった母上も死んでしまったし、平民にくれてやるような無駄な金も無い。
そう言えば、だったら余ってる兄弟を神職に入れろと言われてしまったのだからな」
あんまりな物言いに、給仕女の注ぐ安ワインをガブガブと飲み干す兄を、あんぐり開いた口も閉ざせないまま私は見返す。
どうせ兄の事だ。どこかで偉そうな事を言ったか何かしてチクリとやり返されたのであろう。
そこで黙れば良いのに、安請け合いして帰ってきて毎回これだ。使用人か私にどうにかしろと言って放り投げる。
だがいつもの尻拭いより内容は酷い。
そこですかさず次男が叫ぶ様に言った。
「俺は家の仕事が忙しいし、やっと仕事も波に乗ってきたところなんだ。だけどカインならまだ学生で将来も決まっていない!」
私はしまったと思った。腹立たしい過去を思い出している隙にいつもの流れを作られてしまった。
「いいえ!僕だって…」
反論もそれ以上は続けさせてもらえなかった。
「そうか。じゃあカインは学園を卒業してから…いや、別に卒業しなくても構わんか。どうせ神学校で学び直すのだから学園の卒業など必要ないからな。
そうすれば無駄な学費が浮くし、むしろ教会からは家に報奨金も出るらしい。カインの就職先もこれで決まるし、なんだなんだ!結局いい事ずくめではないか!ではそれでいいな」
話が纏まりそうな雰囲気に私は本当に焦った。
「いいえ!いいえ!僕はもう就職に向けて動き始めていて…」
「だがまだ決まっていないのだろう?これはゴーシュ男爵家次期当主の決定だ。お前はただ諾と従えば良いのだ」
「いいえ!実はもう…」
更に兄の頭ごなしの決定に反論しようとしたカインは、急な頬の痛みにその口を閉じて思わず頬に手をやった。
「本当にお前は愚図でのろまな癖に、いつもグダグダうるさいんだよ。
いいか?俺が決定だと言っているんだ。俺が手続きを終わらせてやってやるから、いつ入職になっても良いように荷物を纏めておけ。退学の手続きも近日中に行うぞ!」
私を殴りつけ、そう怒鳴るように言うと長男は足音も荒く立ち去っていった。
残された私が怒りに震えていると、同じくそこに残っていた次男がニヤニヤと言った。
「お前、逃げようと思うなよ。窮屈な教会入りなんぞ俺にお鉢が回ってくるのだけは勘弁だからな。
…ああそうだ、いい事考えたぞ!優しいお兄様がお前が教会にぶち込まれるまで、学園の送り迎えをやってやろう。絶対に逃げるなよ。例え逃げてもどこまでも追いかけて絶対に逃さないからな」
蛇のような目でじっとりと私を見る次男は、その言葉通り私に監視を付けた。
学院の中では流石に監視の目は緩くなったが、私は窮屈な家に帰りたくなくて毎日塞いでいた。
そこにどうしたのかと声を掛けてきたスージー嬢に少し愚痴を溢した事があったかもしれない。
「貴方…ねえカイン。きょうだいに嫌な思いをさせられる悔しさって、私にもよく分かるつもりなのよ?」
止まってしまっていた書類を書く手に、ふと暖かく柔らかいものが触れたのに気づいて、カインは弾かれるように顔を上げた。
「ねえカイン、あの後すぐに退学してしまったでしょう?私、本当に心配していたのよ?だってカインは私の大事な幼馴染だったんですもの。
あれからどうしていたの?元気にしていたの?」
囁く様な優しい声でスージー嬢が私の手と心を包む。
「お父様に貴方を探させた事もあったわ…でも教会で着実に出世を重ねてるって言うから、幸せになれているかもって少しだけ安心してもいたのよ?」
私の現状を知っていると言うことは、本当にスージー嬢は私の事を心配してくれていたようだ。
私の手に重ねた右手の親指で優しく撫でてくれながら、スージー嬢は続けた。
「私もね、少しは人を動かす事が出来るようになったのよ。あの時は貴方を助けられなかったけど、今なら少しだけ出来るの。貴方に今までを取り返すチャンスをあげるわ」
「チャ…ンス…?」
「ええ、そうよチャンスよ。その代わり、私を助けて欲しいの」
この美しい女は、口づけでも出来そうな距離ほど私に顔を寄せて私にしか聞こえないほどの声で囁いた。
その声も彼女の香水も何もかも甘ったるく私を満たし、頭の芯が痺れたようになったと思うと、私は彼女に頷き返していた。




