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形見じゃなくて呪いの指輪だった件  作者: よしこ
一章
3/59

3

 あるの日のエルは、院の中の掃除当番を請け負っていた。

掃除を担当する日は、まだ力の足りないエルは道具を使う掃除も、身長の届かない窓掃除も苦手なので、床掃除を任される事が多かった。

本来はモップを使う所も、水を吸ってエルが取り回すには長くて重いモップではなく雑巾を使って行うのだ。

這いつくばって行う作業は幼い身にもしんどい事ではあったが、ゾーイ婆から常日頃、共同生活ではお互い助け合い補い合わなければならないのだから、絶対に役立たずにはなるなと叩き込まれていた。だからエルは疲れるから嫌だとは口が裂けても言う事は出来なかった。


 三十人ほどが暮らすこの院は、住民の他に先生や院長先生も共同生活している。通いで来る先生もいるがそれもほんの数人で、大人達は全員小さな個室をもらっている。

子供達は普通は孤児院に引き取られる事が多いので、養護院には三人ほどしか子供がいない。

その三人の中でエルがいちばんの年下で、あとの二人、十二歳と十一歳の兄妹ジンとヘナは外回り組として既にバリバリと働いている。


 その二人は幼い頃に母親と一緒に入居したそうだったが、先の伝染病で母親が亡くなり、兄妹はそのままここに残った形だったので、エルの様に幼い頃から院で皆に育てられたのは珍しいケースでもあった。


 子供達は子供部屋と呼ばれる三人の共用の部屋を使っているが、大人たちの個室はそれぞれで掃除する事になっている。

エルが掃除するのは、子供部屋とそんなに床面積のない皆の共用スペースが担当だ。

廊下など任された日には何日かかっても終わらせられる気がしない。子供に無茶をさせる様な大人達でなくて本当に良かったとエルは思う。


 エルは自分たちの部屋を終わらせると、次はお客様を迎える応接室の床を磨きに行った。

ここは寄付を持ってきてくれた人や院長先生の大切なお客様を迎える場所でもあるので、念入りに綺麗にする様にとエルザから教えてもらっていた。


 この部屋はあちこちガタのきた院の中でも上等な部屋で、ささやかではあるが絵や装飾品が置かれている。

エルザには見えないところにある埃だからと放っておくと、いつの間にかふわふわと出てきてしまうから、家具の後ろまできちんと拭き掃除する様にとも言われた。

小さい体を生かしてソファの下にまで潜り込んで掃除をするエルを、エルザは凄い凄いと大袈裟なほど褒めてくれた。


 いつもの様に潜り込んだソファの後ろ側まで回ってエルが床を拭いていると足音がして、ふと目線を移動したその前にピカピカに光った革靴の先が見えた。


「急に呼び止めて…一体どう言う事ですか?」

「ですから!最近額が少々大きすぎると申しておるのです」


 エルにも聞き覚えのある声が二つ。

院長先生と通いでやって来るケリー先生だ。

立ち上がって二人に挨拶をしなくてはとエルは思うが、二人の声があまりにもいつもと違うので怖くなってしまい、ついソファの後ろで固まってしまった。

特にケリー先生の声が怖い。

いつもニコニコと優しく声を掛けてくれるケリー先生とは大違いだ。


「最低限…いえ、やっていけるだけの額はきちんと回しているではないですか」

「とは言え、ここの負担額は年々増えておるのです。必要な諸経費には到底足りません」

「今までそんなものはどうにかなってきているし、これからもどうにかなるものでしょう!

私はあまりこの様にうるさく申すものではないと思いますがね。貴女には役目に胡座をかいて図に乗るべきでは無いと言っておきます!」

低く厳しい院長先生の声に、エルは更に身を縮こませた。


「いいえ!いいえ、その様なつもりは毛頭ございません!ただ…」

「くどいですね!貴女がそれほど言うならば私も色々と考えねばならなくなります。

……が、貴女は心を入れ替える気はありますか?私とて貴女が惜しいのです」

「教父様…」

「まあ一度頭を冷やして考えてみなさい。それから改めて気持ちを聞きましょう。後日あちらの私の部屋に来なさい。そこで改めてまた話をしましょう」


 短くも長いやりとりをした二人が出て行った後の部屋で、暫くしてやっとの思いでソファの下から抜け出し、ペタリと尻餅をついた状態でエルは放心した。

話の内容は全く分からなかった。ただ二人が喧嘩していた事だけは分かる。

院長が特にとても怒っていた。最初は勢いの良かったケリー先生は最後にはとても困った声を絞り出していた。


 出家した元貴族だという優しいケリー先生は、エルにはよく意味が分からないが、誰かが『品がある』と言っていた。

先生とはご飯も一緒に食べる事もあるし、よく勉強を教えてもらう事もあるので、どんな人なのかは知っているつもりであるが、院長の事は何もエルは知らない。

分からないではなくて知らないのだ。

いつも忙しそうにあちこち行ったっきりであるし、院に部屋を持っているとは言え、エルが起きている時間に戻って来る事は殆どないので一緒に住んでいるとは言えないくらいだ。


あの二人がなんで喧嘩するんだろう。


 よく分からない事だらけではあったが、エルは落ち着かない気持ちのまま掃除を再開した。


 そこから数日、コッソリとケリー先生の様子を伺っていたエルであるが、表向き先生に変化は見られず、相変わらずニコニコと笑ういつもの優しいケリー先生であって、エルはホッと胸を撫で下ろしていた。


 だがそんな平穏な日々の中でも相変わらず養護院はオンボロで、とうとうドーンが仕事を休み、エルと相部屋の兄妹の兄、ジンと共に屋根に登っていた。

余りにも雨漏りが酷すぎてゾーイ婆が修繕を命じたからだ。


「しっかりと直しておくれよ!雨だけじゃなくてちょっと風が強いだけでも屋根板がバタバタ音がしてうるさかったんだ。それも直して、ついでに屋根全体の点検も頼んだよ!」

 屋根の下からゾーイ婆が腰に手を当てて屋根の上に向かって叫ぶ。


 それを聞いた二人がウンザリした顔で小声で愚痴った。

「ちょっと屋根直すだけで終わるとは思ってなかったけどよお…これ全部点検かよ。

大体この惨状じゃ点検だけで終わるわけないですよね。ドーンさん」

「ああ、やべえやべえとは思いつつも、長年見てみぬふりしてたとこばっかりだからなぁ」

頭を掻きながらドーンが立ち上がって屋根を見渡す。どこをどう見ても屋根全部を貼り直した方が早いくらいだ。

「これの悪い所全部修理ってなったらどんだけ金かかるんだろうなぁ」


 ベコベコと板が波打ち、元の塗装も殆ど残っていない院の屋根には出来れば登りたくなかった。

何故ならドーンは現実を見るのが嫌だったからだ。


 ドーンは昔は金物加工の職人をしていて、結婚もして子供もいた。

ところが体を壊して寝込んでいるうちに女房は子供を連れて新しい男と逃げ、そんな境遇に荒んで腐っているうちに、気づけば後戻りできないところまで落ちてしまっていた。

もう若いとは言えない年齢になって、生活を立て直す事も楽では無くなっていたドーンは、流れ流れてこの養護院の世話になる事になった。


 いろんな責任を負うには今の身と心では支えきれないが、かと言って根無草の様にあちこち流離うのも性に合わない事は今までの生活で身に染みた。

ここで集団で暮らしてはいても、家族ではなくて赤の他人。中途半端な人間関係と定職ではない気楽な日雇い仕事。

未曾有の伝染病の流行時も、例え以前の様に体を壊したとしても、ここにさえ居れば最低限でも面倒は見てもらえると妙な余裕があった。


 ところがここ数年は潮目が変わった。

数年前に着任した若い院長も頑張って方々を駆けずり回っている様だが、思う様に寄付金が集まらなくなったと申し訳なさそうにドーンに頭を下げてきた。

職場は斡旋するので働ける者は積極的に働きに出て欲しいと。

ドーンの気楽な生活はここで唐突に終わってしまったのだった。


 ドーンの上の世代は伝染病に打ちのめされた人々ばかりで、院長の言う外回りの仕事には出る事は考えられなかった。

すると自然にドーンがリーダーかの様な立場となってしまい、外回り組の取り仕切りを任される事になってしまった。


 院長が斡旋してきた仕事から派生して、様々な単発の仕事が入ってくると、院の人間から向きそうな者を派遣し、クレームや困った事があればドーン自ら赴く事もあった。

所詮養護院の者だからと舐められそうな時も、ドーンの大きくガッチリした体とこれまでの荒んだ生活の浮いた顔つきはハッタリを効かすには大きな効果があった。


「金なぁ…とにかく金がねえな」

修理が必要な場所ばかりの屋根を見渡してドーンが言った。

聞かれたらゾーイ婆にしばかれそうだが、言ってしまえば雨漏りなんぞ、建物の中の大丈夫な場所に身を寄せれば人間何とかなるもんだ。だが食べる物が無ければ詰む。

ここには年寄りも幼い子供もいる。

腹一杯とまでは言わなくとも、体に支障が出ないくらいには食わせなければならない。

見てくれよりも食い物が何よりも優先されるが、それでもこの様に建物の修繕や住民の服を作る布の購入費、外回りには必須の荷馬車の維持費。ざっと考えるだけでも全く金が足りていない。


 やっぱり…やっぱり現実は見たくも考えたくもなかったと、ドーンは屋根を見渡しながら頭を抱えたくなった。

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