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形見じゃなくて呪いの指輪だった件  作者: よしこ
一章
29/59

29

 ソニーがもう着くよと言い、それから間もなく門をくぐってからずっと道が続いている。

養護院の前にも庭らしいものがあり、門から玄関までもちょっとは距離があったが、ここはその比にならない距離の小道が続いていた。

そもそも養護院の荒れた庭もどきと比べるのも烏滸がましいほど、小道の両脇は整えられた庭園が続いているわけだが。


 折角ソニーとの会話で閉じられたエルの口も、門をくぐってからまたぱかりと開いたままになっていたが、やがて現れた端から端までが見えないくらいの豪邸を見た時にはその口を閉じ、下を向いてしまった。

怖気ついたエルは、もう養護院に帰りたくなってしまっていたのだ。


 玄関前のポーチに到着した馬車が止まり、ソニーが先に降り、エルにも下車を促す。

すっかり尻込みしたエルがか細い声を上げた。

「あ…あの、私やっぱり…」

エルは続きを話す事は出来なかった。

目の前が臙脂色に染まったからだ。


「フェリーチェ…」

やがて柔らかく温かいものに包まれて、エルはくぐもった女性の声を聞いていた。

とても良い匂いがする。花の匂いの様でもあるが少し違う。だが何処かで嗅いだ事のある様な懐かしい気持ちになる匂いだった。


 その暖かさが離れたかと思うと、顔を掬い上げられ、目の前に涙を湛えた綺麗な緑色の瞳が見えた。

「フェリーチェ…本当にフェリーチェだわ」

その瞳からいく筋も流れる涙をエルが不思議な気持ちで眺めていると、またあの暖かさに包まれた。

小刻みに震えるその人は、おそらくエルの母であるのであろう。何度もフェリーチェと呟き続けている。

先程ソニーに名を呼ばせて欲しいと言われた事をエルは思い出した。

この人も今日まで何度その名を呼んだのだろうか。


 エルは幼い頃見た痩せた涙を流す男の思い出と、今見た涙を流す緑の瞳を無意識に比べていた。

時折男の事を思い出す事はあったが、何の感慨にも浸る事はなかった。

だが先ほどの瞳には、何か胸が引き絞られる様な落ち着かない心地になる。何かを言いたいのに何を言えば良いのか分からなくなる。


 やがてソニーに促された女性がエルから離れ、エルは連れられるまま開け放たれた玄関を通ったが、見たこともない様な美術品かと見紛うばかりの装飾品や絵画、大きな花々の生けられた花瓶などに目移りしすぎて、あまりの目から入る情報量の多さに、豪奢な天井画を見上げながらひっくり返る所であった。

そんなエルは見知らぬ青年に助けられながら、何とか大きな部屋にたどり着き、這う這うの体で座る様に示されたソファに沈み込んだ。


 これからどうすれば良いのか分からず戸惑っていたエルに、頭の先からつま先まで一部の隙も見られない、びしりとお仕着せを完璧に纏った男性が茶を置き、その横に菓子を盛った皿も置いた。

エルが恐々と男性を見上げて小さく頭を下げると、冷たそうな印象が一気に壊れる様な笑みをエルに返してくれた。


「ああ、シモンありがとう」

少し遅れて部屋に入って来たソニーが言った。

茶を入れてくれた黒服の男性はスッと頭を下げると、壁際に控えた。

それを目で見送ってからふと前を見ると、そこにいた全員がエルを見つめている事に気付くと心拍数は一気に上がった。

「フェリーチェ、そんなに緊張しないでおくれ。ここにいるのは全員家族だよ。シモンだって我が家の一族の者であるけどそれ以上、家族だっても思ってる。

そこに控えてる侍女長のサリーだってもう家族の一員と言っていい。ここにいる人間は全員君の味方だからね」

エルの真横に座ったソニーは励ます様にエルの肩に手を置いた。


「ではまずは君のお母様から紹介しようね。エレンと言うよ。

そしてその右隣にいるのが長男のセドリックだ。十六歳だよ。今は聖フォード学園の最高学年に通っているが、君が帰ってくるって事でしばらくお休みの申請を出したんだ。気になって勉学に励むなんてとてもじゃないが出来ないだろうからね。

そしてお母様の左隣が次男のマークだ。十二歳だよ。彼も学園に通い始めた所だがね、遅れた分は取り戻すからと言う約束で休暇の申請を許したよ。

そしてもう一人は三男のシリウスだ。彼は再来年から学園に通う事になっているから、一番君とゆっくり過ごす事が出来る身分だね」

紹介されるたびに一人ずつ小さく頭を下げたエルだったが、お母様と言われた人は相変わらず涙を流していて、他の兄弟は目を見開いたまま動かない。


「おいおい、お前たちもいい加減戻って来い」

そんな兄弟たちの様子に、苦笑混じりでソニーがそう言いながらパンパンと手を叩いた。

「だって…本当に本物だ…」

まだ目を見開いたまま三男のシリウスが思わずと言う様に言葉を溢した。

確かに使用人二人とエレン以外は全員同じ色を纏っている。昨日それを笑っていたピンクの頭がエルの脳裏に浮かんだ。


「そうだよシリウス。『本物』だ。神々が見つけてくださった」

そうソニーはシリウスを肯定した後にエルを見た。

「フェリーチェ、我々はね、今じゃ数え切れないくらいの何人もの『偽物』と会ってきたんだ。

神々が見つけ出し、父が直々に連れ帰ってくる『娘』を疑ってしまうくらいにね。

そういう前提があるんだ。だから気を悪くしないでおくれ」

おずおずとエルは頷いてから、もう一度兄弟たちを見た。


 ふと目が合ったセドリックの目から一筋の涙が流れ落ちたかと思うと、すぐさま両手で覆い隠してしまった。

彼は先程玄関先でエルが転ぶところを助けてくれた青年だ。

「僕は…僕はフェリーチェが生きているって口では言いながら実は諦めてしまっていたんだ!それなのに!生きてた…戻ってきてくれた。僕は…僕は…なんて…」

ちゃんと信じていたら兄としてもっと何か出来たのではないか、そんな悔いが絞り出した声色に滲んでいた。


 隣にいたエレンがすぐさまセドリックを抱きしめた。

「あなたは一番フェリーチェを可愛がっていたわ。それにあの時もう十一歳だったあなたは、全てを理解して全てを受け止めてしまったの。だからそれは自分の心を守るためには仕方なかったのよ。

わたくしたちがあなたたちを守ってあげられなかった。それが全ての悪よ。あなたたちは何も悪くはないのよ」


 啜り泣きが響く部屋にいて、エルはただそこにあった環境の中でただ必死に生きてきただけだったが、ここに居る人たちはどうだったのだろうかと考えていた。

そこにあったものを誰かに不条理に奪われ、失ったものを常に心の片隅に置きながら生きてきたのだろう。


「あ…あの」

「ああ、ごめんよ。びっくりさせてしまったかな?」

ソニーが少し困った様な表情でエルを見た。

「さっき、名前の事…あれ大丈夫です。本当の…名前?で呼んでもらっても」

「気を使わなくても良いんだよ?」

「いえ、そういうのではなくて…いっぱい心配かけちゃってたのに、私なんにも知らなくて。でもごめんなさいする方法無いから」


 ソニーはそう言うエルの両肩を掴んで少し強く言った。

「フェリーチェ、そういう決め方は良くないと思うよ?」

「違います!ケビン爺の言った通り、ちゃんと見て聞いてちゃんと自分で決めたんです。なんて言ったら…良いのか分かんないけど…でも私の名前はみんなを悲しませた呪いの指輪が決めた名前じゃない方が良いと思ったんです」

部屋にいる全員がエルの言葉を固唾を呑んで聞き入っている。


「私の名前は今これからフェリーチェになります。まだこれからの事は全然分からないんだけど…それだけは決めました」

エル、改めフェリーチェはソニーの目を見てきっぱりと言い切ったのだった。

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