28*傍流
行方不明であった夫が夜中近くにやっと戻ってきたと侍女長が伝えてきた。
神送りの舞踏会の最中にわたくしを置き去りに何処かへ行ってしまっていた夫。
どこぞにたった一言、わたくしに宛てて伝言を頼めば良いものを、時々失念して商談やら社交やらに行ってしまって翌日にわたくしからコテンパンに怒られる。
これで何度目であろうか。
それでもわたくしには分かっているのだ。
夫はあの子を無くしてから、心のどこかも無くしてしまっている。わたくしだってそうだから、本当はよく分かっているのだ。
夫は失った心の一欠片を、何かで埋めようと必死なのだ。
ーーーただ壊れないために。
一連の復讐が終わった後は、そこを埋めるパーツが仕事になっただけだ。
あの子を奪った憎きデイル家は今はもう無い。
分家に渡るまで、ありとあらゆる手を使って全てを徹底的にあの人が壊した。
おかげで冷血公爵だの血まみれ公爵だの陰で言われる事になったが、あの夫にとっては瑣末な事だ。
夫は大きな家に生まれたものの、家族の愛には恵まれなかった。だからこそ自分の作り上げた家族には、これ以上はないであろうと思われるほどの愛情を注ぐ。
それを分かってか分からずかは今や知る事はできないが、デイル家は超えてはならない線を超えたのだ。
侍女長が部屋を出ていった後すぐに、わたくしの部屋に駆け込んできた夫の顔を見た時、今度は何が起きたのかと瞬間的に震えが起きるくらい恐れを抱いた。
夫の目に浮かんでいたのは、あの時以来見た事がない涙だったからだ。
尋常ではなく慌てふためいた夫の様子に、息子たちもドアの外にいるのが見える。
「見つかった!見つけていただけた!フェリーチェだ!」
その一言を聞いた後、わたくしはそれから暫くの記憶が曖昧だ。
何か夫と話をしたのも、息子たちがわたくしを抱きしめてくれたのも何となく覚えてはいる。
何度も諦めた娘だ。
当てにならない情報だって確かめるために何度でも遠方へも出向いた。金欲しさにガセネタを持ってくる者も何人もいた。杜撰に髪だけ染めて娘だと連れて来られた子供も何人いただろう。
見知らぬ者に阿漕な政治や商売のせいで子供が犠牲になったと何度言われた事だろう。
その度に刃に切られたかの様に何度も血を吹き出すわたくしの心はズタズタになっていたが、娘を諦める事でそれは瘡蓋となり、思い出となるであろう事は分かっていた。
だが結局それはわたくしには無理だったのだ。
日に日に摩耗していくわたくしの様子に痺れを切らした夫は、行方知らずであった娘は見つかったが、家の奥深くに隠した事にして曖昧な噂をあちこちに流した。
だが我が家の影たちを国の内外あちこちに散らし、捜索の手を緩めた事は無いはずだ。
やがてわたくしも何とか苦しみの淵から這い上がり、漸く諦めたフリをして生きる事ができる様になったのはここ最近の事だ。
「フェリーチェ?」
「そうだ!フェリーチェだよ!今夜フォード様に神の庭に急に呼んで頂けて、そこに、そこに…フェリーチェがいたんだ!
今度は偽物なんかじゃない。正しく私たちのフェリーチェだった」
段々意識が戻ってきたわたくしは、その場に蹲り、床に額を擦り付け嗚咽と共に神に祈った。
「神よ!ありがとうございます…あり…がとうございます…」
正気に戻ったわたくしは夫から娘の話を聞いた。
その内容には怒りに何度震えた事だろう。娘を哀れに思いに何度涙した事だろう。
でも近くに生きているわたくしの娘がいる。それだけで夫の話を聞き続けられる勇気が湧いた。
夫は明日、娘を迎えに行ってくると言う。それにはわたくしも賛成だ。早く…一刻も早く娘に会いたい。
息子たちもそれに同行すると言う。
それにはわたくしは反対した。
先程聞いた話の中に、娘に暴行を働いた者たちが居た。
そんな中に身を置いていた娘が、見知らぬ男たちに囲まれるのを良しとするかと考えればそれは否であったからだ。
わたくしの反対を一番渋ったのは長男であったが、わたくしの考えをコンコンと諭すと渋々ではあろうが引き下がった。
娘は何も持たずに帰ってくると言う。
それに娘が神々との約束として戻ってくる期限は三ヶ月しかない。
それ以上はここに居るか養護院に戻るかを決めるのは娘であると。
わたくしは二度と娘を手放したくはなかった。
わたくしの中の悪魔が、娘が帰ってきたらすぐに屋敷の一番奥の部屋に閉じ込めて、二度と出さぬ様にしろと盛んに叫んでいる。
どんな手を使ってでも監禁でもしてしまえば、もう誰からも奪われる事もない。
それは確かに良い考えである様な気がする。
だがわたくしは子供たちの母だ。
自由を奪われ、正しい人生を奪われた娘に母としてその様な事が出来るわけがない。
小さく頭を一振りすると、馬鹿げた考えを頭から追い出した。
娘の部屋はいなくなった時からそのまま保たせている。
いつ戻ってきても大丈夫な様に折々、成長に合わせて模様替えや小物も揃えさせてきた。
それは死んだ子の歳を数える様な作業で、時折涙が堪えきれなくなるほど本当に辛い作業でもあったが、娘が戻ってくると分かった今はとなってはその様にしてきて良かったと心から思う。
娘が使う部屋はどうにかなるとして、あとは毎日を過ごす服だ。
大体の大きさを夫から聞き出し、侍女長に必要になるであろう小物の手配と共に、使用人たちへの指示出しを頼んだ。あとは娘が帰ってきてから商人を呼べば良いだろう。
ああ、胸が弾む。
明日が楽しみだなんて、なんて久しぶりの気持ちなのだろう。
疲れ果てた様に夫はソファで崩れ落ちる様に眠ってしまっている。
息子たちはあらかた話が終わった所で部屋に戻らせてある。
わたくしはベッドから薄がけの毛布を持ってくると、深く眠る夫に掛けた。
だけれどもわたくしには眠気は訪れてくれそうにない。
何かしていないと今すぐ馬車を走らせて養護院へ向かってしまいそうだ。
仕事に没頭した夫の本当の状態を今になって知る事になるとは。
そっとドアを開けて廊下に出ると、長く仕えてくれている侍女長がそこに立っていた。
「お手伝いさせていただきます」
侍女長はスッと頭を下げてから、壁際に掛けてあった灯のついたランタンを持ってくると、娘の部屋の方向へ進んだ。
彼女にはわたくしの気持ちがお見通しの様だ。
わたくしは苦笑しながら、明日娘が帰ってくるまでに、部屋の整理と食事のメニュー決めなど、あの子を迎え入れるための楽しい準備をする算段を考えていた。




