26
そろそろ良いだろうとエルを起こしに来ながら、様子を見に来たと言ったケビン爺に、公爵家から間もなく迎えが来るとフォード神が伝えた。
ケビン爺は一瞬寂しそうな顔をした後に、頷きながらその方が良いと言ったが、だが今度はこれにエルが傷ついた顔をした。
エルのその表情の変化に目ざとく気づいたケビン爺は優しくエルに語りかけた。
「エル。俺はお前にさっさと出て行けって言ってるんじゃ無いんじゃよ。それは誤解するでないよ?
ここはいつまでもお前の家だ。
だけどな、あちらのお家はお前の本当の家なんじゃよ。『本当』が見つかったならそっちに行った方が良い場合が多いんじゃ。まあこれはジジイの経験則だがなぁ。
結果それが良くなかったとしても、エルにはいつでも戻ってこれるここがある。すなわち選択肢じゃな。元の家と養護院の二つの選択肢じゃよ。
一つも選ぶものなんて無い者が多い中、お前は選択肢に恵まれた。そりゃあとっても幸せな事だなぁ。
だからお前が選ぶんじゃ。だけどただ選ぶんじゃダメだぞ。ちゃあーんと見て聞いてから選ぶんじゃ。エルなら爺が何言っているか分かるな?」
ケビン爺の真面目な時の話はいつも簡単な様で難しい。
だけど、エルは一生懸命話を聞きながら頷いた。
ケビン爺がこういう顔で話す内容はとても大切な話である事はエルはよく分かっていたからだ。
「そっかぁ、エルはもう行っちまうのか。けどなぁ爺さんが言う通り丁度いいタイミングかもしれねえな。
院長が手ぐすね引いてエルのお出ましを待ってるぜ」
食堂の方を顎でしゃくりながらドーンが言った。
「院長先生が?」
「ああ、どっかでエルの話聞いたんだろう。真夜中にすっ飛んで帰ってきたと思ったら、叩き起こした先生たちから昨夜の出来事を聞いてなぁ…途端にお目目がギラギラの銭の色になってやがったよ。
ここには奇跡の子が居るだかなんだか、院の外に看板作るとか銅像作るとかなんとか言い出してるぞ。
それにしたってよう!ははは!それにしたってエルが…エルがなぁ奇跡の子とか!」
耐えきれない様にドーンは吹き出した。
「うわぁ、想像以上にゲス野郎だったー」
フォード神も楽しそうに笑っている。
エルは話の内容にもドーンの爆笑にも微妙な顔だ。
「それじゃあ婆さんと子供達だけでも呼んでくるか」
一頻り大笑いして満足したのか、不貞腐れるエルの頭を一撫でして、大っぴらに皆とお別れすれば院長にも勘付かれて面倒くさい事になるだろうと、ドーンが部屋から出て行った。
「そうだなぁ。そういう俗っぽいヤツなら、神が相手すると更に目ん玉を黄金色にするだろうから、俺より公爵家の人間に対応させた方が良いだろうねー」
そう言うとフォード神も消えて行った。
誰も居なくなった部屋の中でエルはケビン爺にそっと抱きついた。
「ケビン爺、なんだか急に色々変わり過ぎて…私、怖い」
「そうじゃろうなぁ。俺がお前の立場だったとしても怖くなるだろうさ」
「どうしよう…」
エルは涙が浮かびそうな目を何度も瞬かせて、なんとか我慢した。
そんな様子を見たケビン爺は立ち上がり、エルを抱っこすると窓際から外を見せた。
そこからは原っぱが見えて、その先は街に向かう方角だ。
「エル見てごらんよ。この窓から見えるだけでも世界は広いなぁ。窓の中に収まりきれんよ。これは人間の目も一緒じゃなぁ。目の中に収まりきれるのはいつも一部分だけじゃ。
金だったり、家庭だったり、体の不調だったり、色んな事情で色んなものを実際見に行くってのは、これはまた難しいものなんじゃよ。
だが、今回エルは色んなものを見に行くチャンスを得た。なかなか無いチャンスなんじゃ。だからもっと柔らかい心を持って良いんじゃないかの?」
「柔らかい心?」
「そうじゃよ。硬い心は周りを寄せ付けず、お互いを傷つけ、何も包めない。
でもなぁ柔らかい心を持ってたら相手の形に合わせられて誰も怪我しない。それに柔らかさを利用して何でも包み込めるんじゃ。エルは元々そういう子なんじゃよ。だから誰に対してもずっとそのままそういう子であって欲しいのう」
「私、柔らかい?」
「おおそうじゃ!ほうら痩せっぽちのくせに、こんなにふわふわじゃ!」
そう言いながら何度も小さく体を跳ねさせながら、ケビン爺がエルをギュギュギュと抱きしめた。エルはケビン爺の急な変化に驚きつつも声を上げて笑ってしまった。
「おうよ、そうやって笑っておれ。エル。
お前はまだ小さな子供だ。
俺たちじゃ、ちゃーんと守ってやれなかった。辛い思いもさせてしまった。今度はちゃんと守ってもらえ。ちゃんと幸せにしてもらえ。
自分で見て聞いて感じた上でダメだと思ったら、そうしたらいつだって帰って来ればいい。俺たちはずっとここにおるからの。
怖がる事などなーんにも無い。ただそれだけの話じゃよ。
世界は広いが空も地面も繋がっておるんじゃからのう」
エルはケビン爺の首に抱きついた。
ずっとここにいたい気持ちと、少しだけ外を見てみたいと思う気持ちがぐるぐるとエルの胸を回り続けていて、もう言葉にする事はできなかった。




