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何とか逃げ出した鶏を捕まえて小屋に戻したエルは、今はゾーイ婆に怒られながら厨房で芋の山と格闘していた。
主食であるパンは、安価な黒パンですら全員が満足出来るほどの数はなかなか用意する事は出来ない。
それでも皆を腹一杯にさせる為に畑で根菜類を多めに栽培している。
だが近頃やっとナイフを使える様になってきたエルにとっては、この根菜類は大きな敵だ。
菜っ葉類と違って硬いし、まな板の上をゴロゴロ転がるし、何度も指を切りながらもノルマ分を熟した。
「ふん、まだまだ遅いねえ。もっと早く終わらせられないと他の仕事も任せられやしないよ。
外回り組が苦労して金を稼いでくれてきてるんだ。内回り組もそれに甘えちゃいられないんだよ?よく働いてよく稼いできてもらう為にも、たんまり食わせてやらないと」
ゾーイ婆はそう言いながらも、ジャガイモの後にエルがやるはずだったニンジンの山に手を伸ばした。手伝ってくれるらしい。
その言葉に頷き、そう言えば…とエルは言った。
「ゾーイ婆、今年はお祭りをやるんだって。さっきドーンさんから役場の手伝いに行く様にって言われたわ」
「ああ、そうだってねえ…漸くあの忌まわしい伝染病も今は昔って訳だ。まあ…あれのせいでものすごい数の人間が死んだからねぇ。今年の祭りじゃその追悼と冥府の神に彼らの案内を頼むんだろうさ」
「神?お祭りって神様のものなの?」
ゾーイ婆が大きく頷きながら続けた。
「ああ、そうさね。あんたがここに来てから一回も祭りなんかやってる場合じゃなかったからねぇ。知らないのも仕方がないか。
ここじゃだーれも見向きもしないが、一応礼拝堂って呼ばれてるホールに小さな祠があるだろう?お前も何度かは先生方が拝んでるのも見たことあるんじゃないかい?
あそこに祀られてるのが主神のフォード様だよ。その方が十二神とその他の神を従えておってね、十二ヶ月それぞれと、時だったり冥府だったり天国だったり地上と海、川、森とあちこちそれぞれで司って居られるって言われているねぇ。
そうは言われてるけどさぁ…でも、散々辛酸を舐め尽くしてきたこの身としたら、この世に神も仏も居ないって思っちまうがね」
ニンジンの皮すら勿体無いと剥くこともせず、スープ用の材料として切りながらもゾーイ婆は話を続ける。
「それでお祭りね…フォード様達十三神、神々に向けての儀式はこの国のお偉いさん達と神殿の方が行うんだけど、その儀式にやって来るって言われている神様達のおこぼれに預かろうと、地域めいめいで平民達も独自のお祭りをやるのさ。
あわよくば神々に寄り道をしてもらってね、そんでお願い事も聞いてもらおうって魂胆さ。
疫病前の例年の通りなら、役場はきっと供物所でも作るんだろう。事前にも当日にも何人も供物を持って来るだろうから、おそらくそれを捌く手伝いをやらされるだろうよ。
…だけどそれにしたってお前さんいい仕事貰えたもんだね。神饌のお下がりもあるだろうから、途中で帰れって言われても最後まで残って、食いもんをしこたま貰ってくるんだよ」
最後にゾーイ婆は悪い笑顔を見せて、準備の終わった野菜を鍋に放り込みに竈へ向かって行った。
そっか。お祭りって神様にお願い事する日なんだ。
お願いか。うーん、お願いって何すればいいんだろ。
ザルに山になったまま残されていた豆の鞘剥きに取り掛かりながらエルは頭を捻った。
お願い…お願いかぁ…うーん…
するとさっきまでゾーイ婆が座っていた向かいの椅子に誰かが腰を掛けて、ザルから豆を取る細い指が見えた。
「エルザ!」
エルザは院の住人の一人で、今年16歳になったという外回り組のエースになり得る年頃であったが、猛威を奮っていた伝染病に罹り、高熱のせいで半身に麻痺が残る後遺症によって子供の頃に院の前に捨てられたそうだ。
この院の住人の中にあっては穏やかな性質で、捨てられた直後の不安定だったエルをよく面倒を見てくれた者の一人だった。
エルザに対して、エルは似ている名前にも勝手に親近感を持っていて、本人には気恥ずかしくて言えてはいないが、お姉さんの様に思っていた。
「エルザ、掃除はもう終わったの?」
「今日タイラーさんのお店に手伝いに行くだったはずの何人かが、荷物が届かなかったかなんかであぶれちゃったらしいのよ。それでそのメンバーが手伝いに入ってくれたの。だから早くに終わったのよ。
皆は次は畑に行ったわ。でも畑仕事嫌いのセリアあたりはそろそろ厨房の仕事に行くって言い訳して逃げて来るんじゃないかしら」
エルザはクスクス笑いながら、麻痺の残る左手を器用に使いながらエルよりもよっぽど上手に豆を剥いていく。
片足を引きながら歩く事もあるし、重い物などは持てないので外回りに出る事は出来ないエルザではあるが、元来の器用さで大体の内回りの仕事をそつ無くこなす女性だった。
「ねえねえエルザ、今年はお祭りがあるらしいの!それで私も外回り組の一人として仕事貰えたのよ!
少しゾーイ婆からお祭りの事聞いたけど、だけれどよく分からないの。ねえお祭りってどんな感じなの?」
エルザは大分溜まった剥き終わった豆のザルを均しながら、目をまんまるにした。
「まあ!とうとうお祭りが再開するのね!とっても楽しみね。私は小さい頃に行った思い出しかないけど、楽しそうな雰囲気が大好きだったわ。
お店がね、それはもうたーくさん出るのよ。普段見ない様なお店まで遠くの街から来るんだから。
それ目当てに街中のみんなが出歩くわ。あまりの人出にこの街にはこんなにいっぱいの人が住んでたのねって驚いたものよ」
何もない空中を見上げながら、楽しげにエルザは語る。
「お店?お肉とか?野菜とか?」
「ふふふ、そういういつもある店も出るだろうけど、買ってすぐ食べられる様に焼いたり揚げたりした料理とか見た事ないお菓子とか、そういう種類の店も出るの。
あとは綺麗な布とか小さいけど宝石とかアクセサリーとかキラキラ綺麗なお店もいっーぱい出るのよ!」
「お店かぁ…でもそれじゃあお金もいっぱい必要になるよね」
「確かにそうねぇ。でもね買えなくても見てるだけで、それはもう幸せな気持ちになってしまうのがお祭りよ。だっていつもと全く街が違うんですもの!エルも楽しみにしてるといいわ!忙しいかもしれないけど、きっと楽しい日になるわ」
エルザはキラキラの笑顔で自信満々に言い切った。
その様子を見ているだけでエルもなんだかワクワクしてきてしまった。
思えば、物心ついた時からエルは心の奥から楽しいと思った事はなかった気がする。
早くお祭りの日にならないかなとソワソワ思ってしまうエルであった。




