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私の記憶は朧げすぎて、あれはいくつの歳のものか定かでは無いのだけれど、這いつくばって涙を流しながら何度も許しを乞う男の人の顔から始まっている。
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エルは捨て子だ。
エルという名は、今住まわせてもらっている養護院前に捨てられていた時には握りしめていたという、古ぼけた指輪に彫られた文字列の中で、辛うじて読めたLの字からエルという名前をつけられたそうだ。
その指輪はエルの身元が分かるかもしれない唯一の品として、常に肌身離さず、紐を通してエルの首にかけられている。
捨て子であるエルのちゃんとした年齢は分からないけれど、おそらく現在七歳くらいであろうと推測される女の子には、まだブカブカすぎて親指にも付けられないサイズだからだ。
エルの記憶の中で涙を流す男の人は、多分父親なのだろうとエルも皆も考えていた。
エルを養護院へと捨てた親とはいえ、その家族とエルを繋ぐ形見なのだから大事になさいと、当時よく世話をしてくれた先生が、先生の私物の中から一番綺麗な紐をくれたのだ。
だが今もエルの首にあるその紐も、数年を経て汚れて擦り切れ、既に『綺麗な紐』と呼べる品物ではなくなってしまっているが。
多分あの男の人…お父さん…も死んでしまってるんだろうなぁ…涙でぐしょぐしょだったけど、顔色悪くて痩せてガリガリだった様な気がするもの。
私はどこかの村の食い詰め農民の子供で、口減しされたのかな?
エルは物の分別が付く年頃になると、待ったなしで養護院の戦力として施設の手伝いや近隣の商店の下働きに放り込まれた。
エルを捨てなければならない様な、止むにやまれぬ何かの事情があったのだろうと、その父を恨む気持ちは無いものの、何者かも分からない自分の生い立ちを考えると、エルは少し寂しい気持ちはする。
だがそれよりもエルは日々を生き抜く事の方に必死であった。
養護院はその名の通り『恵まれない人々の養護』の為に建てられた公共の施設で、子供から年寄りまで社会的弱者が身を寄せ合う様にして暮らしている。
エルは二歳か三歳頃に拾われた時から、養護院で先生と呼ばれる街の教会から派遣されてきている修道女や、養護院の住人達に育ててもらい、寄付や、院に住む働ける者たちが日雇いなどで稼いできたお金で生かせてもらってきた。
街外れにある施設は敷地は駄々広いが、元々古くからある教会であったという建物は大分草臥れており、ドアが外れたり雨漏りしたりはしょっちゅうだったが、最近は特に顕著だ。
寄付金がここ数年集まらなくなってきていて、深刻な資金難で住民たちも食べるだけで精一杯、建物の修繕まで手が回らないのだ。
外に働きに出るほど元気ではない者や年寄りたちは、院の敷地の中で畑を作り、家畜を育て、そこで収穫出来たものを日々の糧に加えていたが、まずはエルの仕事もそこから始まった。
最初は幼すぎておままごとくらいの手伝いしか出来なかった事と思うが、そこからスタートして年齢を重ねる毎に、厨房での仕事、繕い物、洗濯場と出来る事を増やしていき、今は時々街の大きな商店の下働きもしてお金や現物支給で稼げる様になり、少しは院の役に立てる様になってきた所だった。
「おーい!エル!」
エルは今日は院で厨房の手伝いと畑の当番の日であった。
畑の片隅にある鶏小屋で卵を取りながら掃除をしていると、院の中でも稼ぎ頭でリーダー的な存在でもあるドーンが珍しくこんな時間にエルに声をかけてきた。
「ドーンさん、こんな遅い時間にお仕事行っていないの珍しいですね」
「ああ、一回配達で外回りしてたんだけどな、役所に寄ったら頼まれ事されちまったんだ。それで一回戻ってきたが、またすぐ出かけなくちゃならねえ。
それで頼まれ事ってのが、今度街で大きな祭りをやる予定があるそうなんだが、人集めを先にやっとかなきゃ他の商会とかに取られちまうってんで、役所が寄付金出してるうちに何人か確保してくれって事だったんだ。
帰ってきてから数人に声かけたんだけど、やっぱりもう行きつけの店とかから頼まれちまってるやつもいたんだ。
どうだエル。お前はどっかからもう頼まれちまってるか?」
エルは目をパチクリした。
お祭りなんて話も初耳であったし、よって声掛けすらされていなかった。
「ドーンさん、私はお祭りやるって事自体初めて聞きました」
「そうか!ってこたあ、まだ予約されてねえな。
お前みたいなチビ助に何が出来るか分からんが、言われた人数だけ出せばそれだけで役所には義理は果たせるだろ。じゃあ、どっかの店に声かけられても断るんだぞ!」
そう言うだけ言うと、ドーンは忙しそうに畑を横切って戻って行った。
残されたエルは、考え事をする時のいつもの癖で服の上から胸元にぶら下がる指輪を弄った。
お祭りかぁ…私が大きくなる前の伝染病の流行で途切れてそのまんまだって聞いてたけど、流行が収まってようやくお祭りも再開するのね。お祭り…って一体どんなのなんだろう?全く想像もできないや。
そこまで考えていたエルは、小屋から一羽の鶏が脱走しているのに気が付き、考え事を中断して急いで鶏を追いかけた。
逃がした事がバレたら、厳しいゾーイ婆に箒でお尻を打たれてしまう。
幼い頃からゾーイ婆はエルに色々な仕事を根気良く教えてくれたが、とにかく厳しい。子供相手だとしても容赦がない。
次は厨房へ夕飯作りの手伝いに行くエルは、ドーンと話したことでただでさえ小屋掃除が遅れているのに、これ以上ここで時間を取られる訳にはいかない。
林の中に逃げ込んだ鶏を追いかけて、エルも林に飛び込んで行ったのだった。




