エピローグ:風の向こうに——
春の空気が、ようやく街を優しく包み込むようになった。
桜川商店街のアーケードには、新しいのぼりが揺れている。
「ようこそ、桜川マルシェへ」と書かれた布地の文字が、陽の光に透けていた。
アスファルトに落ちた桜の花びらを、子どもが拾い上げ、
そっと母親の手のひらにのせる。
その後ろでは、再開した古い店のシャッターが音を立てて開いていく。
何も変わらないように見える街並みに——けれど確かに、新しい何かが宿っていた。
商店街の一角。
ベンチに腰かけた三人の姿があった。
悠斗は、手にした缶コーヒーを一口すすり、静かに目を閉じる。
秋山は、少し眩しそうに空を見上げ、目尻に小さく笑みを刻む。
三浦は足を組んだまま、言葉を交わさずに風の匂いを味わっていた。
風が吹くたび、どこかから焼きたてのパンの香りが漂ってくる。
それだけで、人が生きている気配が、この街に満ちているのがわかる。
ふと、新聞の折り込みで届いた地域紙が、通りの掲示板に貼られていた。
《特集:再生する桜川——立ち上がった“声”の記録》
その記事の末尾には、こう記されていた。
「この街は、一度は濁りかけた。だが、沈まなかった。
真実は、時に潰される。だが、人の意志は——消えない。
桜川に春が戻った。それは、“誰かの勇気”が咲かせた花だ。」
新聞の署名は、「記者・藤嶋拓真」。
あの日、真実を信じて動いた男の、最後の寄稿だった。
悠斗は、ふと笑った。
風に舞う花びらが、肩にひとひら落ちた。
指先で払うことなく、そのまま、そっと残した。
「……さて、次は何を変えますか」
彼のその言葉に、三浦が肩をすくめる。
秋山が笑いながら応える。
「ちょっとは、休んでもいいんじゃない?」
三人の声が交差する中で、商店街にはまた、新しい一日が始まっていく。
喧騒のなかに、小さな平穏が混ざっていた。
もうこの街に、嘘はいらない。
必要なのは、誰かの声に耳を傾ける“静かな勇気”だけだ。
そして今、風が吹く。
遠くから、祭り太鼓の音がかすかに聞こえてくる。
街は、生きている。
——終