消えていく家業と、何もできなかったあの日
祖父の工場が危機に陥った頃——。
悠斗は小学校の帰り道、友達と遊ぶ約束をしていた。
しかし、校門を出た瞬間、後ろから誰かが囁いた。
「おい、あいつん家、工場潰れそうなんだってよ。」
一瞬、心臓が凍るような感覚がした。
「え、本当?」
「親が借金まみれなんだろ?」
「お前んち、もうダメなんじゃね?」
言葉の一つ一つが、心に突き刺さった。
悠斗は、何も言い返せなかった。
「違う……そんなことない……!」
そう叫びたかった。
でも、家では確かに祖父と父が沈痛な表情で話し合っていた。
母はため息ばかりついていた。
夕飯の時間になると、家の中に不穏な沈黙が広がるのが怖かった。
「潰れそうなお店の子」
それは、否定しようのない現実だった。
ある夜、家の前で聞いてしまった会話——。
ある夜、工場の前で父と祖父の話を聞いてしまった。
「……もう無理だ。新しい機械を入れたのはいいが、借金が……。」
「なんとかなる。ここでやめるわけにはいかん。」
「父さん……現実を見ろよ。」
祖父の手には、くしゃくしゃになった試算表が握られていた。
どれだけ頑張っても、数字は変わらない。
「……無理をしすぎたな。」
その言葉とともに、祖父は深く肩を落とした。
何もできない悔しさ
悠斗は、毎日、何もできないまま学校へ行き、家へ帰る生活を続けた。
学校では、「潰れそうな家の子」と言われるたびに、心がズキズキと痛んだ。
家では、苦しげな両親の姿があるのに、自分には何もできない。
「何とかしたい。」
しかし、子どもである悠斗には、どうすることもできない。
その無力感は、心の奥底に静かに沈み、消えることはなかった。
そして、工場のシャッターが下りた日、家族の力無い姿を、悠斗はただ立ち尽くして見ていることしかできなかった。
「……どうして、誰も助けてくれなかったんだろう?」
銀行にも相談に行ったが、「審査の結果、融資は難しい」と冷たく告げられた。
専門家に助けを求めても、「この状況では、打つ手はないですね」と突き放された。
そんな中、最後まで寄り添ってくれたのは商工会だった。
「森田さん、大変な状況ですね。融資の手続きをお手伝いできますが、2期連続赤字の現状ではかなり厳しいかと……。まずは、営業経費の削減を目指しましょう。」
祖父は静かに笑った。
「ご親切にどうも。でもな、結局、商工会は俺たちみたいな小さな店が消えても困らないんだろう?」
「……そんなことは……」
「もう遅いんだ。今月末の支払いが間に合わなければダメなんだよ。」
悠斗は、そのやりとりをただ黙って聞いていた。
商工会は、最後まで親身に相談に乗ってくれた。
だが、相談に行くのが遅すぎたのだ。
本当に困る前に——手を差し伸べてくれる人がいるうちに——
もしもっと早く商工会に相談していれば、違う未来があったのかもしれない。
その思いだけが胸の奥に深く沈み、ずっと残り続けていた。
悠斗は、目の前の航太の姿を見つめる。
「潰れそうなお店の子」と言われた悲しみ。
店がなくなってしまう恐怖。
家族が苦しむ姿を見て、何もできない悔しさ。
全て、かつての自分と同じだった。
でも、今の悠斗は、もう子どもじゃない。
「……そうか。」
悠斗は、航太の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だ。お前のお店は、潰させない。」
それは、かつての自分への誓いでもあった。