102.(自惚れすぎ)
※
「伸男、お友だちよ」
母に揺さぶられて、起きた。時計をみると、まだ九時になっていなかった。
「誰?」休日の朝から。
目をこすりながら尋ねた。
「フジモトサンだって。女の子」
一瞬で、目が覚めた。
「何の用か訊いた?」
さぁ、と母は云う。「お布団干すから、出しなさいよ。朝ご飯は?」
「いい」
寝巻きを脱ぎ捨て、急いでジーンズとTシャツに着替える。クローゼットからシャツを出して、ボタンをかけながら階段を降りた。
玄関に、藤本がいた。傍らに花柄の染め抜かれた大きなピュアレッドのトートバッグ置いて。
「おはよー」
にっこり笑って藤本は手を振ってみせた。
フリーダムなやつだ。
「なんか約束してたっけ?」
洗面所に駆け込みながら訊いてみる。返事がない。歯ブラシを口に突っ込みながら顔を出してみる。上がり框に腰かけた藤本のその後ろ姿は、まるで今にも鼻歌でもやりだしそうな風情だった。七分丈の黄色いブラウスに、濃紺デニムのショートパンツ。昨日、肩に垂らしていたセミロングの髪を、今日は赤いシュシュでポニーテールに結っていた。
信号機か。
歯ブラシをくわえた自分の姿を鏡の中に認め、別のシャツにすれば良かったかも知れないと思った。姉が見立ててくれ、買ってもらったのにまだ袖も通していない、あのちょっとオシャレな感じやつとか。しかし、今更部屋に戻って着替えると云うのも。
「待たせた」
アポ無しの来訪に迷惑を感じなかったと云えば嘘になる。しかし、休日仕様の藤本はそこはかとなくかわいらしくて、なんだか困った。
「じゃ、行こう行こう」にこっと笑って藤本は立ち上がった。
どこに、と開いた口は藤本の声で遮られた。
「お邪魔しましたー!」
藤本は元気な声を家の中へ投げ、さっさと出ていった。
スニーカーをつっかけながら、家を出たところでもう一度訊ねてみた。
「どこへ行くんだ」
「学校」
「なんで」
「トマソン」
藤本は当然とばかりに云うと、さっさか歩いて行く。困惑気味に、でも伸男は素直に藤本を追った。
前を歩く藤本に合わせて、結わえたその髪が揺れて見えた。
校則では、女子の髪留めは黒か茶と決まっていると訊いた。私服だからこその赤いシュシュは藤本の黒髪をキリッと締めるようで、とても似合っていた。まるで夏の先取りをしたようなハイビスカスを思わせる鮮やかな赤。そうか、肩にかけたトートバッグに色を合わせたのか。
よもや自分のためにオシャレをしてきたとか、さすがにそれは自惚れすぎだろう。
女子に迎えに来てもらった、ただそれだけで浮ついてる自分を見つけ、自身でひっぱたきたくなった。でも、休日に自宅まで押し掛けられるなんて、考えようによっては快挙かもしれない。
伸男はもう一度、自分のひっぱたきたくなった。
学校は休みだというのに校門が開いており、グラウンドでは運動部が声を出しながらトラックを走っていた。部活動は休日返上か。近々市大会があるとかないとか、きいた気もしたが定かでない。
「制服のほうが良かったかな」藤本が云った。
「今更だ」
「そだね」
てくてくと藤本は校門をくぐった。目的も分からぬまま、伸男はついていく。
昇降口を抜け、中庭を横切りながら空を見上げた。
昨日に続いての晴天。休日の午前中から朝食も摂らずに、なぜ学校なんかにいるのだろうと思ったら、なんとも行き場のない不可思議な気分になった。
同じクラスの女子に。
云われるがまま。
ぐぅ、とお腹が鳴った。
しかし、ここまで来て引き返すのもバカげている。
ぴょこぴょこと前を歩く藤本のまとめた髪が跳ねている。
藤本は別についてこいだなんて一言も云っていない。
しかし藤本は、伸男がついて来るとみじんも疑いを持っていない。
それがますます伸男の気持ちを混乱させた。なにを考えているんだ、こいつは。
学校裏の木立をぬって、武道館の裏。藤本は立ち止まった。
「よし」腰に手を宛て、満足げに藤本はいった。「今日も変わらず、無用階段だ」
「これを見に?」
伸男の問いに、藤本は黙って、トートバッグからカメラをとり出す。それから伸男にバッグを持たせると、階段を撮影し始めた。
三回、シャッターを切ったところで伸男は口を挟んだ。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「なにを?」
「ここに来た理由」
「だからトマソン」
「そのトマソンが分からない」