聖女マナミールの告白
初めて彼女を見たのは私が11歳になってすぐのことだった
それは侯爵家で行われたお茶会でのことだった
これまで何度か母と一緒にお茶会に行ったがその日のお茶会はいつもより大規模で、デビュタント前の8歳〜12歳の子どもたちの交流会も兼ねていたということをあとから母に教えてもらった
そのお茶会でまず一番に目を引いたのはスヴェルト侯爵家のアリアナ様だ
胸辺りまで伸びた銀色に輝く髪はさらさらと風になびいて、それでいてエメラルドの瞳はなんとも優しげに見えた
最年少のはずのアリアナ様は8歳とは思えぬ品格をすでに持っていて、男爵令嬢の私は目を合わせることも恐れ多いと、だけれども美しいアリアナ様を見たく何度も胸元の輝く銀髪を盗み見た
そして次に目に映ったのは美味しそうなマカロン…の近くにいた男女7人ほどのグループであった
そのグループは一人の女の子を囲んで楽しそうに話しをしていた
あぁ、嫌だなぁ
そう思ったのは私がマカロンが好きだからだ
マカロンが食べたいのにあんな近くに楽しそうな人達がいると取りづらいじゃない
そろり、そろりと気配を消してマカロンに近づく
そうするとグループが取り囲んでいた一人の女の子がこちらに目を向けた
「こんにちは!マナミール・キャンベルです。あなたもこちらで一緒にお話しませんか?」
その一言でグループは7人から8人になった
マナミール・キャンベルという女は天真爛漫という言葉が似合う女であった
感情が豊かで、でも穏やかで、すこし抜けていて元気がいっぱいで、笑顔の似合う愛嬌のある女であった
年上には好かれ、年下には懐かれた
でもマナミール・キャンベルは決して美しい女ではなかったと思う
目は大きく二重だが、鼻は潰れていて横に広がっていたし口は大きく動物に例えるとカバのようであった
彼女の周りにいるご令嬢のほうがよっぽど可愛かったし、礼儀作法も特別秀でていたわけではなかった
なのに彼女を馬鹿にする者は表立ってはいなかった
彼女はいつも笑っていたし、彼女はいつも慕われていた
――――私は、それが本当に不思議でならなかった
彼女のことを嫌いに思ったことはない
だけれども、知性があるようには思えないし、貴族の言い回しも下手、、というか素直な物言いしか出来ない彼女は貴族女性として優れてはいない
美しい顔を持つわけでも、スタイルがいいわけでもない
ただ、いつも笑顔で愛嬌があるというだけで、彼女が何かミスをしても誰も咎めないことを本当に不思議に思っていた
そして私が15歳の頃、アリアナ様やマナミール・キャンベルが12歳の頃、神殿での適性検査によりマナミール・キャンベルが浄化の力を持つ聖女だということがわかった
なるほど、とそう思った
どこを取っても平凡なはずのマナミール・キャンベルの特別な理由がやっとわかった
私が16歳で王立学園を卒業してからは学年の違うアリアナ様やマナミール・キャンベルとは交流もなく、王宮で侍女勤めをしていた
たまにオズワルド殿下と婚約をしたアリアナ様が王太子妃教育で王宮に来ていたが、特に話すこともなく、婚約者探しをしつつ仕事に精を出していた
奥手なせいか、はたまた私の魅力がないせいか、婚約者探しが難航していた19歳の時、転機がやってきた
「オズワルド殿下とアリアナ様の結婚が次の春に正式に決まったのでアリアナ様付きの侍女を募集する。希望するものは3日以内に上長に言うように」
もう、いくしかない、と
婚約者をこのまま探すよりもアリアナ様の侍女になり、彼女を支えようと
20歳を迎える前に決断の時が来たのだと
その場でアリアナ様の侍女になることを希望し、後日、内定を頂いた
嬉しくて嬉しくて仕方がなかった
11歳の頃、憧れたアリアナ様の侍女になれるなんて
そう春を今か今かと待っていた私はまだ寒い冬の大雪が降った日に侍女長に呼び出されることになった
そんなことは今までになく、何をしてしまったのか、アリアナ様の侍女付きから外されるのか―――そんなことを考えながら侍女長に呼び出された部屋に行くと
「急にすまないね」
眉毛を下げたオズワルド殿下がいた
曰く、マナミール・キャンベルの悪行を
曰く、アリアナ様との婚約白紙の話を
曰く、オズワルド殿下とマナミール・キャンベルの結婚の話を
「今聞いた話は他言無用で頼む」
「…な、んということでしょうか、あ、アリアナ様は!アリアナ様はどうなるのでしょうか!?」
「アリアナは弟のアルベルトとの結婚が決まっているし。大丈夫、このまま王太子妃になるよ。」
そう言った殿下の顔は―――いつも通りに見えた
「アリアナ様は大丈夫、なのですね……よかった…」
そう安心した私を見る殿下の顔は―――
「君に頼みたいことがあるんだ」
「この度はオズワルド様とのご結婚おめでとうございます。恐れながら聖女マナミール様の専属侍女に任命されました、マーガレットと申します。よろしくお願いいたします」
「あらあなた、昔お茶会で何度かお話したウォーナ子爵の?」
「覚えていただけていたのですね。左様でございます」
「嬉しいわ!これからよろしくね!」
マナミール・キャンベルは何も変わっていなかった
殿下から聞いた悪行を信じられないほどに、変わったようには思えなかった
感情が豊かで、でも穏やかで、すこし抜けていて元気がいっぱいで、笑顔の似合う愛嬌のある女
だけれど国を陥れようとした、オズワルド様とアリアナ様を引き裂いた最低最悪の女
「ちょっと!マーガレット!」
「はい、聖女マナミール様お呼びでしょうか」
「今日のスープ、キロクが入っているわよ!私、キロクは食べないわ」
「大変申し訳ございません聖女マナミール様、すぐに別のスープを用意いたします」
「もう今日はスープはいいわ。今から1人分だけ用意するのは大変でしょう。時間もかかってしまうし、料理長に次から気をつけるように伝えてね」
「はい、申し訳ございませんでした」
「キロクって食感がモソモソするし、何より色が紫なのが嫌なのよ。美味しそうに見えないから食欲が落ちるのよね。そういえば昔、キロクを見るのが嫌だってお父様に言って以来随分と見てなかったわねぇ」
「左様でございましたか…」
「オズワルド様は嫌いな食べ物はありませんの?」
「そうだね、好きな食べ物も嫌いな食べ物も特にはないかな?」
「うふふ、オズワルド様らしいですわね」
オズワルド様の好物はキロクのスープだ
―――アリアナ様が好きな食べ物でいつの間にかオズワルドの好物になっていたと、仲良くしていた王宮の配膳係に教えてもらったことがある
オズワルド様はマナミール・キャンベルに心を開くことはない
「マーガレット!新しいドレスがほしいのだけれど、懇意にしてるデザイナーが引退したらしいの。腕の良い女性のデザイナーを探してくれるかしら?」
「畏まりました聖女マナミール様」
「実は昔、男性のデザイナーに付き纏われたことがあってね…それからずっとデザイナーは女性に任せてるのよ」
「左様でございましたか…すぐに見つけてまいります」
「オズワルド様はどのようなドレスが好きかしらね。あぁ新しいドレスが楽しみだわ」
オズワルド様はアリアナ様がドレスを購入する時必ず一緒にドレスを選んだ
どれだけ忙しくても必ず一緒に選ぶのだと、そして必ずオズワルド様の瞳の色を使うのだと王宮の針子に教えてもらったことがある
オズワルド様はマナミール・キャンベルに心を開くことはない
オズワルド様のお心には今もずっとアリアナ様がいる
マナミール・キャンベルの侍女になるように伝えられた時、詳しいことは教えてはいただけなかったがオズワルド様はアリアナ様を守るために自ら一芝居を打ち廃嫡され、キャンベル伯爵家にいくのだと言っていた
マナミール・キャンベルはオズワルド様に愛されていると勘違いしたまま、これから先ずっと、自分が心から愛する人から見せかけの愛だけもらい続けるのだ
それからオズワルド様の漆黒の髪に白髪が目立つようになった頃、
――――マナミール・キャンベルの浄化の力がようやく失われた
「マナミール様、オズワルド様との白い結婚での離縁が神殿に認められました。オズワルド様は本日中に屋敷を出ていくようでございます」
「…あなたはもう聖女マナミールとは呼んでくれないのね」
マナミール・キャンベルは椅子に座り、窓の外を見ていた
「私、知ってるのよ。あなたはアリアナ様の侍女になるはずだったんでしょう?知っていたわ、ちゃんと。私がオズワルド様に愛されていないこともね」
「左様でございましたか」
「……好きだったのオズワルド様を。でも叶うわけがないってわかってた、アリアナ様がいたから。学園でオズワルドが親しくしてくれていたのも私が聖女なだけで特に深い意味なんてないと思ってたわ。マーガレット、あなた王宮でオズワルド様がアリアナ様に婚約破棄を言い渡した夜会に参加してたのかしら?」
「いえ、私の父は男爵でしたから。あの夜会は子爵以上の貴族の夜会だったと記憶しております」
「そう、いなかったのねぇ。急にね、オズワルド様がアリアナ様に婚約破棄を告げて、私を選んだのよ。…ふふっおかしいわよねぇ。なぜ?どうして?って怖くてたまらなかったわ」
「左様でございましたか」
「だけれど、どうしてかわからないままオズワルド様と領地に戻ったわ。よくわからないけど彼と結婚したの。だってほら、私、頭の出来が良くなかったでしょう?よくわからないことはお父様がなんとかしてくれると思ったのよ」
マナミール・キャンベルは肌身離さずつけているネックレスを握りしめる
あのネックレスは確かオズワルド様とご結婚の時にキャンベル前当主様からのプレゼントされたものだったはず
「ほんと、我ながら馬鹿よねぇ。だけれど幸せだったのよ。聖女の力が、浄化の力がなくなってからオズワルド様に離縁を申し込まれるまで。…一度も閨を共にすることはなかったけれど、彼はいつもほしい言葉をくれたし、いつも微笑んでくれていた」
跡継ぎは遠戚から養子に迎えた
ただ、子育ても教育もマナミール・キャンベルがすることはなかった
全てオズワルド様の采配だ
「事情を知ってる者には私は不幸な女に見えたでしょうね。私がいくら幸せだったと言っても強がりに聞こえるのでしょう。マーガレットは私を不幸な女だと思う?」
「私にはマナミール様の心はわかりかねますが―――マナミール様はいつも幸せそうに笑っておりました。それは心よりそう思っているように思いました」
「………そう、そうなのよ。湖の畔でピクニックをしたことも、雪が降った日にお庭でワルツを踊ったことも、彼は嘘だったのかもしれないけれど、彼が嘘でも私は幸せだったのよ。嘘でも私を見てくれているのが幸せだった。今でもそう思ってる」
ブワッとマナミール・キャンベルの瞳から大粒の涙が溢れる
「この国の全員が私を不幸だと嘲笑っても、マーガレット、あなただけは真実を知っていて。私は本当に幸せだったのよ」
「はい、はいマナミール様。私は貴方様が本当に幸せだったことを知っております。ずっと貴方様を見ていましたから」
数年後、国民に惜しまれながら前聖女様は亡くなり、葬儀が行われた
そこには前夫のオズワルド・ベリア・アガースもいたという
殿下の英断の聖女付きの侍女の話です