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君が家を飛び出し、明け方まで踊り明かしたその女も、電車の中で母親に抱かれながらこちらをまざまざと見つめてくる赤ん坊も、君が今日何の気なしに踏みつけた点字ブロックも、君が今日口にしたミルクコーヒーも、その全てにとある高次元の存在が横たわっていたとしたら?
私はいくつか前の秋の暮れのある休日に、頭痛薬とコーラを切らしていることに気がつきました。徒歩圏内にドラッグストアのある土地を住まいとしている私にとって、それらを買い求めに靴を履くことはやぶさかではなかったものの、その時とりたてて頭痛薬とコーラを必要としていたわけでもなかったことと、その時シャワーを浴びたばかりだったということもあり、外出はとりやめることにしました。
横になって、録り溜めた海外ドラマを消化しているうちにすっかり日が暮れていて、屋根にパラパラと小雨の当たる音に気がつきました。録画消化も佳境に入り少し疲労が出始めたので、1度テレビを地上波の適当なバラエティに戻して、何気なく小雨の音に耳をすませていました。するとそれをつんざくように突然、手元の携帯が鳴りました。少しぎょっとして携帯に目をやると、知らない番号からの着信でした。特に考え無しにその電話に出ると、相手は私の声を聞くなり何の前置きもなしに、飯に行こうと誘うのです。男の声でした。声にはどこかに聞き覚えがあったのですが、彼の名前にはどうしてもピンときません。雨足が先程より相当強くなっているのに気づいたのはその時でした。私はあいにく傘を持っていないことを伝えて、誘いを1度断ったのですが、相手は食い下がってきました。傘なら2つ持っている、いまから私の家に来て傘を貸してやるから行こうと言うのです。これには驚きました。私の知人の中で、これほど熱心に私を連れ出そうとするのは記憶にありません。薄っすら不安感がよぎりました。ふとテレビに目をやると、それまで楽しげに話していて、事ある毎に笑い声が起こっていたはずの番組はいつしか無音になっていて、画面に写る全員が私の方を無表情で見つめていました。名前の知れたゲストの芸人も、漏れなくこちらを見つめていました。私は爪先からつむじにかけてゾワッとする感覚を覚え、「ああ!」と声を出して腰を抜かしてしまいました。同時に、部屋のインターホンがなりました。恐る恐るモニターを見ると、柏崎でした。彼の顔を見た途端、さっきの電話の声の主が柏崎だと思い出しました。逆に、なぜ今まで彼の名前と顔を忘れていたのか、今度はそちらが怖くなりました。そのときテレビからは、それまでのように笑い声が上がりました。