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最強の能力を貰ったら、もれなく有名になると死ぬ呪いも付与された。  作者: 雲州みかん
七章・そうだ! 昔話をしよう!
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そうだ! 昔話をしよう!(30)

 大学生になって。

 そこから一年が過ぎて。

 相変わらず他人に無関心なまま、時間だけが淡々と過ぎて行く。

 つまらなくもないけど、楽しくもない日々が……ただただ。

 平坦でデコボコがなくて、良くも悪くも感情が揺れる事のない時間が流れていた。

 そんなかつての自分。

 きっと、知らなかったんだと思う。

 過去の自分を振り返ると……思う。

 

 やっと、あたしは喜怒哀楽を知った。


 雄太に出会う事で、人間らしい感性を持つ事が出来た!


 コンビニで店員をしていた雄太を見た瞬間……未だかつてない緊張感と高揚感で胸が激しく揺れ動いた。

 経験した事のない感情が、思考の全てを支配した。

 同時に思った。

 ああ、なるほど……と。


 これが「世界が変わる瞬間」か。


「あたしは……やっと、心の意味を知った気がした。嬉しい……って、どんな事か分かった」

 里奈は、笑みを作って言う。

 喜怒哀楽がどんな物かを知った。

 

 あなたと一緒に居る事が、純粋に嬉しく感じる。

 あなたの一挙手一投足に怒りを感じる事もある。

 あなたと一緒に居られなくなった時……悲しい。


 あなたとの生活の全てが、その一分一秒が……楽しい!


 言葉にはならない程の様々な物が……幾多もの感情が雑多に存在した。

 自分の中にも、こんなに複雑で緻密で色々な物が胸の奥に眠っていた事実を教えられた。

 だから……だから。


「あたしは、この気持ちをピアノで表現してた……コンクールとか、コンサートとか……雄太が見に来てくれる時、聞いてくれる時は、いつも雄太の事を考えてピアノを弾いた」

 そして、いつも思っていた。 

 この気持ちよ……届け! と。

 いつも一緒に居てくれてありがとう。

 こんな人見知りを相手に、色々と頑張ってフォローしてくれてありがとう。

 ……ちゃんと怒ってくれてありがとう。

 どんな時も真剣で、どんな時もあたしの事を考えて助言してくれてありがとう。

 

 あたしを愛してくれて……ありがとう!


 想いを音に変え、言霊の代わりに旋律を響かせて。

 その音色は……雄太の心に届けとばかりに会場に響いた。

 ただ……ひたすら、愛しいあなたの心に。

 だから里奈はピアノを弾いた。

 だから里奈はピアノを弾く事が出来た。

 心の拠り所があったから弾く事が出来た。

 でも……それがなくなったのなら?

 ピアノは、雄太への感謝を伝える道具に過ぎない。

 本当はもっと感謝したいのだ。

 言葉で表現する事が出来ないまでに雑多な感情を……自分なりに音で表現していた。

 それだけだった。

 本当に……それだけだった。

「雄太が居なくなったら、誰にピアノを弾けば良いか……もう、今のあたしには……わかんないよ」

 答えた里奈の頬に、一筋の涙がつぅ……っと流れた。

 かつての自分なら、きっとこんな事を口にはしなかった。

 他人に感心なんてなかった。

 ピアノを通じて気持ちを表現する事だって……考えもしなかった。

 けれど、今は……もう、無理だった。

「今のあたしがピアノを弾く理由は、雄太だから……それだけだから」

 答え、里奈はテーブルの向かい側にいた雄太の席へと向かう。

 果たして、里奈は雄太の胸元へとしがみつく様に抱きしめた。

「……っ!」

 雄太は思わず目を大きく見開く。

 自宅であれば、ここまで狼狽する事もなかったかも知れないが……ここはファミレスだ。

 見れば、周囲の人間がこちらを注目している事が分かる。

 不幸中の幸いと言うは言い得て妙だが、店が閑散としていたのは幸いだった。

 それでも、スタッフからの冷たい視線が地味に突き刺さって仕方なかったのだが。

 正直「場所をわきまえろ!」と言ってやりたい!

 けれど……でも。

 その言葉は、喉元でグッと堪えた。

 代わりと言うのも変だが、

「……お前がピアノやめたら、それこそ一般人じゃないかよ」

 やんわりと笑みを作りながら答える。

 実際問題、里奈はピアノの才能だけではなかったし、他に秀でた要素を豊富に持ち合わせている。

 しかし、敢えてこうと答えた。

 何故か?

 里奈が求めた雄太への答えが……きっと、この言葉だと思えたからだ。

「そうだよ……あたしと雄太は変わらない。何も変わらない」

 だから、一緒に居ても良い。

「あたしの人生はあたしが決める。だから、あたしは雄太の隣に居る事を決めた」

 答えながら……里奈は雄太の胸元へと甘える様に顔をうずめた。

    

 安らぎがあった。


 胸元の温もりが。

 その鼓動が。

 その吐息が。

 その匂いが。


 全てに包み込まれている。

 一週間ぶりに感じた、唯一無二の絶対的な安寧だった。

 別れる宣言を受けて、自宅から雄太が居なくなって。

 一日の概念が自分でも驚く程に長くなって。

 たった一週間の筈なのに……もっと長く感じて仕方なかった。

 やっと……やっと、この安らぎに包み込まれた。


「……雄太ぁ……ぐすっ……雄太ぁ……雄太ぁっ!」

 自分でも馬鹿だと分かるレベルで泣きついた。

 きっと、ファミレスのスタッフは元より、周囲にいた人間はドン引きしているに違いない。

 しかしながら、こちらもそれ相応の事情があるのだ。

 我慢したんだ、一週間も!

 付き合って今まで、こんなにも長い時間……この安らぎから離れた事がなかったんだ!

 だから、許して欲しいと思う。

「……ごめんな、里奈」

 程なくして、雄太は里奈の耳元で囁き……彼女を優しく抱きしめた。

 同時に思った。

 もうダメだ。

 やっぱり俺も里奈が居ないとダメだ。

 胸元にスッポリ入る彼女の温もりは、雄太の視点で考えてもやっぱり安らぎの対象でしかなかったのだ。

「本当だよ!……彼女をもう少し大事にしろよぉ……真面目に泣くぞ! ギャン泣きだ!」

「もう泣いてるじゃないかよ」

「明日から! 今日は……ふぅ……ぅえ……ぐす、ぐすっ……あ、ティッシュある?」

「マイペースに戻ったな。それならそろそろ離れろ」

 胸元でポケットティッシュを欲しがる里奈へと、雄太は地味に呆れた口調になって返答した。

 里奈も標準運転に戻りつつある模様だ。

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