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【連載版】伯爵夫人は笑わない【第二部完結】  作者: 文月黒
第二部

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番外編・伯爵夫人の秘密の小箱

 ウルスラ・レインバードは筆まめである。

 貴族というのは事あるごとにマナーとして手紙を送り合うのだが、それを抜きにしてもウルスラは頻繁に手紙の遣り取りをしていた。

 それは生家であるアッシュフィールド家であったり、友人と称する公爵夫人であったり、義母やはたまた領内の代官であったりと色々だったが、特に多かったのが実母ディアーナ・アッシュフィールドとの手紙であった。


「ウルスラ、また手紙かい」

「えぇ。母への返事を」


 風が気持ちの良い午後の事。

 ウルスラは庭を眺めながらサロンで手紙を書いていた。

 そこにやって来たベルナールは、手紙を書く妻の手元に何やら精緻な彫刻が施された箱が置いてあるのに気付いて首を傾げた。


「その箱は一体何だろう?」

「あぁ、これは……」


 筆記具を入れるにしては大きい箱である。

 ベルナールの問い掛けに、ウルスラは箱に手を添えて蓋を開ける。

 そこには何通もの手紙が収められていた。


「実家からの手紙を入れている箱です」

「アッシュフィールド家専用の箱という訳だね」

「はい。お母様からの手紙は教訓も多く、度々読み返すものですから別にしてあるのです」

「ふむ、教訓か」


 ウルスラの母からの手紙にどのような教訓が書かれているのだろうか。

 純粋な興味が湧いたベルナールは内容を聞いてよいものかと思案したが、そんなベルナールに気が付いたウルスラの方から何通か取り出して中身を見せた。


「この手紙には初めての夫人としての社交について書かれております。こちらは夫名義で送る礼状の文面のコツ。そしてこちらは……、あっ」

「うん? どうしたんだ」

「いえ。あの、この手紙はあの夜会の時に母がアンジェレッタお義母様に託して下さったもので……」

「あの夜会とは、まさかあの時の……?」

「えぇ、あの時の夜会です。結局当日には読めなくて、屋敷で目覚めた後に読んだのですが」


 あの夜会とは、ベルナールとウルスラの婚約のお披露目をする為の夜会の事だ。

 そこで起きた事件については既に解決し、後処理もとうに済んでるとはいえ、ベルナールは未だに少々苦いものを抱えていた。

 あの夜の事を思い出して難しい表情になったベルナールを宥めるように、立ち上がったウルスラはベルナールの手を取ってサロンの長椅子へと導いた。

 二人並んで長椅子に座り、ウルスラがベルナールにも読めるように件の手紙を開く。


「あの時はお互いに置かれた立場も難しく、私が妹についているように頼んだとはいえ夜会に参加出来ない事を母も申し訳なく思っていたようです」


 手紙は夜会に参加出来ない事への謝罪から始まり、二人の婚約が公になる事を喜ぶ内容が続いていた。

 そこからしばらくは王都で頑張るウルスラを励ます言葉が並び、その次を読んでベルナールはパチと目を瞬かせた。

 同じ文章を二度読み返し、手紙からウルスラへと視線を移す。


「これが君の母上からの教訓、いやアドバイスなのか」

「えぇ。ただ、まだ実践した事はないのです」


 そこに書かれていたアドバイスは実にシンプルなものだった。


『可愛いウーシュ。貴女はいつも頑張り過ぎてしまうから、辛い事や怖い事があっても飲み込んでしまうのではと母は心配しています。

 そんな時は、小伯爵様に手を握って貰うと良いわ。

 私はいつもそうやってお父様から勇気を分けて貰っていたの』


 もう一度文面を目で追って、ベルナールはふむと考え込む。

 婚約時代から何度となくウルスラをエスコートしているが、あれらは『手を繋ぐ事』とは異なるものだ。

 そしてベルナールは自分の掌に視線を落とし、次にウルスラを見詰めた。


「試してみようか」

「えっ」


 唐突な申し出に驚いたのだろうウルスラが小さく肩を跳ねさせる。


「よろしいのですか」

「構わないとも」


 言いながらベルナールがウルスラの手を取り、指を絡めて軽く握る。

 ウルスラのものに比べると一回り以上大きなベルナールの手は、積み重ねてきた剣の修練のせいか、貴族にしては皮膚が厚く掌には剣胼胝が出来ていた。

 ひたりと合わさった掌を見詰め、ウルスラがほうと息を吐いた。


「ベルナール様の手は温かいですね」

「君は少し指先が冷えているようだ。温かい飲み物を用意しよう」

「いいえ。こうしていればすぐに温まります」


 二人はそうしてしばらく手を繋ぎ、これは悪くないなと互いに思った。


「……あの、ベルナール様。また何かあればお願いしてもよろしいでしょうか」

「勿論だとも。私も苦手な相手との会談前には君に手を繋いで貰う事にしよう」

「まぁ、ベルナール様ったら」

「呆れないでくれ。真剣なんだ」


 そんな他愛もない遣り取りをしながら、ベルナールは再び手紙入れの箱を見てウルスラに尋ねる。


「あれはアッシュフィールド家専用の箱と言っていたが、他の手紙も専用の箱に分けて保管を?」

「流石に全てではありません。代官との手紙はまとめて保管しておりますし、専用の箱と言えば他にはベルナール様の箱だけです」

「私?」

「はい。婚約時代に頂いたお手紙も、プレゼントに添えて頂いたメッセージカードも全て大切に保管しております」


 至極当然とばかりに言われ、ベルナールは照れ臭そうにくしゃりと自分の黒髪を掻き混ぜた。


「それは……光栄だが何だか気恥ずかしいな。女性への手紙など初めてだったから、拙いものも多かっただろう」

「私にとっては全て等しく宝物ですわ」

「そうか……」


 そんな話をした夜の事。

 先に寝室へと向かったウルスラはベッドの上に一通の手紙が置かれている事に気が付いて、はてと目を瞬かせた。

 どうしてこんな場所に手紙が置いてあるのだろう。

 ベルナールが置き忘れたのだろうか。

 何気無く手紙を手に取り、いつもの癖で差出人を確認する。


「え?」


 そこには見慣れた文字でベルナール・レインバードとサインがあった。

 ご丁寧に封蝋はレインバード伯爵家の正式な家門印で捺されており、この手紙がベルナールによって出されたものである事は明白だった。

 では誰に宛てたものなのか。くるりと封筒をひっくり返し、ウルスラは小さく息を呑んだ。


「私宛て……?」


 慌てて封を開けて中身を確認すれば確かに夫が自分に宛てた手紙であった。

 一文字一文字を追う毎にウルスラの耳や頸がほんのりと赤く染まっていく。

 ベルナールが寝室にやって来た頃には、ウルスラは手紙を両手で持ったまま頬まで真っ赤にしていた。


「ベルナール様、この手紙は……」


 震える声で問うウルスラに、ベルナールは微笑んで答えた。


「結婚してからは互いに手紙を送るという事もなかっただろう? 普段面と向かって言えない事も手紙なら伝えられると思って書いてみたんだ」


 さようで、とぽそりと呟いたウルスラはぎゅっと一度手紙を抱き締めると、大切に封筒へと戻してベルナールを見上げた。


「お手紙有難う存じます。私もお返事を書きますね」

「それは嬉しいな。実は、これは君にも言っていなかったんだが」

「何でしょう」


 小鳥のように首を傾げるウルスラの耳元に唇を寄せて、内緒話でもする声音でベルナールが囁く。


「私も君からの手紙は大切に取ってあるんだ」


 そしてそのままウルスラの頬にキスをした。

 ウルスラは数秒間硬直した後、思い切り夫を抱き締めてその頬にキスを返した。




「奥様。旦那様から視察先よりお手紙が届いております」

「まあ、もう届いたのね。……便箋を用意して頂戴」

「かしこまりました」


 そして今日も筆まめなウルスラ・レインバードは手紙を書いている。

 彼女が一等大切にしている夫の瞳と同じ色の宝石が象嵌された小箱には、今も少しずつ『宝物』が増えているのだった。

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