33.愛の在処2
跡継ぎは養子でも良いと言われ、ウルスラは表情こそいつも通りであったが内心ひどく動揺していた。
(私は……ベルナール様との子が欲しいと思ったけれど……)
ベルナールは子供が欲しくはないのだろうか。
やはり、自分のように表情ひとつ変えられないような女では、彼の妻として不十分だったのかもしれない。
マリアンヌも言っていたではないか。自分が笑いもしないから彼女に誤解を与えてしまっていたのだ。
縁戚から養子を取るか、それとも後継者の事を考えて第二夫人を迎えるべきなのだろうか。
ウルスラは動揺しつつも自分の気持ちを押し殺し、貴族夫人として、レインバード伯爵夫人として何をするべきかを考えはじめる。
だが、思案し始めたウルスラに視線を向けたベルナールは、持ち前の洞察力でウルスラの瞳に浮かぶ不安に気付き、ハッとした様子で慌てて口を開いた。
「すまない、言い方が悪かった。子供は欲しいと思う。愛する君との子供だ。欲しくない訳がない。だが、私はまだ当主として未熟だし、そもそも出産というのは命懸けと聞くから、私が安易に欲しいと言って良いものかと……」
迷子の子供を思わせる困り顔を浮かべ、ベルナールは続けた。
「君のように華奢な女性にとって、いや、女性は皆そうなのだろうが、子供は十月十日ともいうし、その間君はずっと大変な思いをするのに、私が欲しいからと言って君に負担を強いて良いのかと考えると、その、どうにも言い出し辛くて、君が辛い思いをするのなら養子でも構わないと」
「では、ベルナール様は、子供が欲しいのですね……?」
確かめるように言えばベルナールはこくこくと何度も頷いて肯定を示し、ついに観念したのか深く息を吐きながら胸の内を明かした。
「出来れば……君に似た女の子だと……嬉しい」
「まぁ」
まさか、ベルナールがそんな事を考えてくれただなんて。
本来なら、貴族であるのだから、結婚したなら後継となる男児を産むのが妻の仕事と言われるのが当たり前の世界である。
それなのにあえて養子でも構わないと言ったのも、妊娠や出産によってウルスラの身体にかかる負担を心配してくれたからだと知り、ウルスラの耳にポッと熱が灯る。
ウルスラにとって、それはとてつもない優しさと思いやりのように感じられたのだった。
(私ったら、勝手に思い込んで動揺するだなんて。気が急いていたのかしら)
子供が欲しいとベルナールの口から聞く事が出来たウルスラは、ホッとしていつの間にかきつく夜着を握り締めていた指先をゆっくりと開いた。
「心配して下さって有り難う存じます。けれど私はこう見えて身体は頑丈ですから、きっと大丈夫です」
ようやく強張りの取れた声で、気を持ち直したウルスラはピンと背筋を伸ばして続ける。
「私は、ベルナール様似の男の子が産まれてくれたら嬉しいと思います」
「ウルスラ……」
「でも、きっとどちらでも可愛いのでしょうね」
無表情ながら心のこもったウルスラの言葉に、ベルナールはそうだなと小さく笑みを浮かべ、そしてすぐに真剣な顔に戻ってウルスラを見詰めた。
「私は本当に娘でも息子でも嬉しいんだ。子供は天からの授かりものであるし、焦らず親として必要な事を学びながら君と待ちたい。もし子に恵まれなければ養子を考えなければならないが、それは今すぐの事ではないと考えている」
「そうですね。レインバードの血統にも関わる事です。その時が来たらお義父様とお義母様にも相談するのがよろしいかと思いますが、いかがでしょうか」
「異議はない」
「ではそのように」
ベルナールが性別は気にしないと明言したのは、かつてウルスラからウルスラの母は男児を産むことができなかった事で義母から責められ続けた、という話を聞かされていたからだったのかもしれない。
しかし、このレインバード家であればそんな心配は不要だろうとウルスラは思っていた。
義両親だって、性別にかかわらず産まれた子を祝福し、愛してくれるだろうという確信がある。
伯爵家の人間としての義務ではなく、子供を望んでくれた。それだけでウルスラは充分だった。
「……私が思うに、ベルナール様は良い父親におなりでしょう」
「そうだろうか。赤ん坊の事など何も知らないのだが……」
「それは私も同じ事。子を授かったら二人で勉強致しましょうね」
「あぁ。君の事だから、子が産まれた後も乳母に任せきりにしたくはないんだろう?」
言いながらベルナールはテーブルの上にすっと手を置いた。
自然な動作でその手に自らの手を重ね、ウルスラはこくりと頷く。
「はい。よく、お分かりで」
「分かるさ。君はお母上を尊敬している。お母上が君にしてくれたように子供に接したいと考えるのは普通の事だ」
そんな事まで理解してくれるのか。
ベルナールの言葉に、ウルスラの耳は更に熱くなる。何だか指先まで体温が上がった気もした。
彼なら、心配せずとも良い父親となり、子供に愛情を注いでくれるだろう。
もし子供に恵まれずに養子を迎える事になっても、きっと同じように愛してくれるはずだ。
(……あら?)
そういえば、先程大変な事を耳にしたような気がする。
それがその場の勢いから出た言葉だったのか、それとも事実なのか、ウルスラには判断がつかなかった。
だが、これから共に子供を望もうと言うのだ。
せっかくならここで確かめておくべきだとウルスラは決意して、伏せかけた目をベルナールへと向けた。
「……ウルスラ? どうかしたのかい」
「あの、ベルナール様。私の聞き間違いであればそう仰って頂きたいのですが」
「何だろう?」
「……先程、あの、私を愛していると仰ったように聞こえたのですが……」
ウルスラの問い掛けに、ベルナールは自分が何を言ったのか思い出そうと少しの間眉根を寄せ、そして記憶の中に思い当たる事があったらしく大きく一度頷いた。
「あぁ。言ったが、……何か君の気に障ることがあっただろうか?」
それはごく当然だとでも言うような声音で、直感的に事実であると感じられたが、それが余計にウルスラを困惑させた。
「気に障るという訳ではなく、あの、私……、伯爵夫人としてご当主様に、ベルナール様にお仕えして家門を支える為にこの家に迎えられたのでは。そのようなお言葉は過分に思えて」
淡々と述べられる言葉に面食らったのはベルナールだ。
机の上に置かれたウルスラの手をギュッと両手で握り、その目を覗き込むようにして真っ直ぐにウルスラを見る。
「それは、確かにそれもある。だが、婚約していた頃から私は君の事を愛している。これは嘘偽りの無い事実だ。私の剣に誓ってもいい」
「まぁ、さようで……」
驚きのあまり吐息混じりに呟く事しか出来ないウルスラの反応を見て、ベルナールは何処か拗ねたような口振りで言った。
「君に剣を捧げると誓った時、愛も誓ったというのに信じてくれていなかったのか」
「いえ、でもベルナール様はお優しい方ですし、私は社交界でも殿方とのお付き合いが殆ど無く……。いわゆる殿方からのアプローチというものが初めてで、ベルナール様のやり方が一般的な作法であるのかと……」
そこまで聞いてベルナールは驚きながらもどこかで納得してしまった。
ウルスラの生家であるアッシュフィールド伯爵家は、王家によって女性当主が認められており、かつてはウルスラがその次期伯爵の座にあった。
婚約者がおり、しかも次の当主となる事が決まっている令嬢に下手に手を出す男などいるものか。
アッシュフィールド伯爵家での婚約破棄騒動から、然程時間を置かずにレインバード伯爵家から縁談の申し込みがあったのなら社交界で嫁ぎ先を探す必要もなく、ウルスラが言うように社交界で貴族の令息らと話をする機会も殆どなかったはずだ。
そういえば自分がウルスラに愛を誓った時、彼女は顔を真っ赤にして気絶してしまったのだった。
あれもそう言ったアプローチへの免疫の無さの表れであったのだろう。
だとしてもだ。
(まさか、今までずっとレインバード伯爵夫人という役割の為だけに結婚したと思われていたのか……)
少なからずショックを受けつつも、いやこれからの結婚生活で挽回をとベルナールが実に騎士らしい打たれ強さを発揮した頃、控えめにウルスラが唇を動かした。
「それでは、あの、よろしいのでしょうか……?」
「良い? 何がだい」
「……ベルナール様と婚約者であった頃から、ずっと、ずっとお慕いしておりました。あなたを愛している事を、私はもう胸の中に隠しておかなくても良いのでしょうか」
ほんの欠片ほどの自信のなさが込められた言葉に、一瞬だけベルナールは言葉に詰まり、それでも握った手を離す事はしなかった。
その事に安心してウルスラは続けた。
「私はこの通り、笑えもしない無愛想で陰気な、仕事しか取り柄のない女です。婚約破棄の経歴だってあります。そんな私が……」
「そんな事を言ってはいけない。いくら君でも、私の愛する人を貶す言葉は許さない」
「ベルナール様」
「ウルスラ。……君の気持ちを、知りたい」
教えてくれ、と優しく目を細めるベルナールの視線に囚われたように、ウルスラは硝子玉のようなヘイゼルの瞳にベルナールを映し、そっと唇を動かす。
夏の夜の静かな寝室に、ウルスラの唇からもたらされたその言葉は、予想以上にはっきりと空気を震わせた。
「──あなたを、ベルナール様を愛しております。これまでも、これからも、ずっと」




