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【連載版】伯爵夫人は笑わない【第二部完結】  作者: 文月黒
第二部

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32.愛の在処1

(少し時間がかかり過ぎたかしら)


 ゆっくりで良いと言われたものの、この後の話し合いの事を考えれば、そうそうゆっくりもしていられない。

 ウルスラはいつもよりも入浴の時間を短めに切り上げて寝室へと向かっていた。

 廊下の窓から流れ込む夜の空気は爽やかな庭木の香りを含み、入浴で火照ったウルスラの頬を優しく撫でていく。


(夏の香りがする……)


 歩みを止めないままウルスラはぼんやりと思った。

 東部地域の夏はそれほど長くはないが、実に美しい季節だ。

 マリアンヌとの日々は未経験の事の連続で、最近は毎日が飛ぶように過ぎていったので今年は夏を謳歌するという感じではなかったが、これからずっとこのレインバード領で過ごすのだから来年の楽しみが増えたと思う事にしよう。

 きっと、あっという間に秋が来て、冬にはまた慌ただしい社交期がやってくる。

 それを考えると今こうして領地で落ち着いてベルナールと話が出来るのは、これはこれで良いタイミングだったのだろう。


「あら」


 辿り着いた寝室のドアを開け、お待たせしましたと口を開こうとしたウルスラは、ぱちと目を瞬かせて動きを止めた。

 きっと待たせてしまっていると思っていたのに、予想に反して寝室は無人のままであった。

 ベルナールが長湯をするなんて珍しい。

 もしかしたら彼も風呂で考え事でもしていたりするのだろうか。

 取り止めもない事を考えつつ髪を梳かし始めて幾らも経たない内に、寝室のドアが開く音がした。


「すまない、待たせてしまったかな」

「いいえ。……あの、ベルナール様、それは」

「あぁ、話をするのなら飲み物がいるかと思って厨房で作ってきた」

「まぁ」


 ベルナールは飲み物が入っているらしい銀のポットとグラス二つを器用に持って、寝室の窓際にある小さなテーブルにそれを置いた。


「まさか自らお作りに? 仰って下さればご用意致しましたのに」

「用意すると言っても簡単なものだ。ほら、君が前にレモネードのレシピを教えてくれただろう。せっかくだから作ってみたくてね」


 言いながらベルナールがグラスにレモネードを注いでいく。グラスにはあらかじめスライスしたレモンが入れられていて、見ているだけで爽やかだ。

 だが、ウルスラの視線は、真剣な顔をしてレモネードを注ぐベルナールの前髪に注がれていた。


「……ウルスラ? どうかしたかい」

「ベルナール様。髪を乾かしていないのですか」

「え? 夏だしその内に乾くだろう?」

「いけません。夏でもお風邪をお召しになりますわ」


 ぽたりと黒髪から落ちる雫を見咎め、ウルスラは有無を言わせずにベルナールを椅子に座らせると、彼の首に掛かっていた布を取って髪を拭き始めた。


「ウルスラ、本当に大丈夫なんだ。それにほら、髪なら君の方が長いし乾かすのであれば……」

「私は既にある程度乾かしております。もう、ここは騎士団の宿舎ではないのですよ」


 ベルナールの癖のある黒髪は水分のせいか、いつもよりも癖が強く出ている。くるんと丸まる毛先を可愛く思いつつ、ウルスラは黙々と髪を拭いていく。

 自分のものよりもやや硬めの髪を拭きながら、ウルスラがぽつりと呟いた。


「……マリアンヌの事は、本人が望むところに収まって良うございました」


 それは、万感の思いを込めた一言だった。

 マリアンヌはきっと素敵なレディになるだろう。

 アルヴィエ家に戻った後、彼女には幸せに過ごしてほしいと、ウルスラは心から願っていた。

 ウルスラの言葉にベルナールも頷く。


「あぁ。今回、私の身内の事で君には色々と大変な思いをさせてしまったな。役に立てずすまない」

「いえ、ベルナール様はマイケルの教育もありましたから。従騎士修行の方はいかがですか?」

「マイケルは記憶力がとにかく良いからな。次の社交期には王都に戻せるだろう」

「さようで」


 マリアンヌがデビュタントを迎える頃には、マイケルは立派な従騎士となり、騎士叙勲へ向けて励んでいる事だろう。

 かつてベルナールがそうであったように、今はまだ子供らしい丸みを帯びた頬が凛々しく引き締まり、少年は青年へと変わっていくのだ。


(私もいつか自分の子供の成長を見守る事になるのかしら)


 ベルナールの髪を拭き終え、ウルスラは向かいの席に腰を下ろしてレモネードの注がれたグラスを手に取った。


「……率直にお尋ねします。ベルナール様は、後継者についてどのようにお考えですか?」


 静かな問いを受け、ベルナールはレモネードを一口嚥下してから、何処か迷いのある声で答える。


「私は、後継については縁戚から養子を取っても良いと考えている」

「……っ」


 ベルナールの言葉にウルスラは息を呑んだ。

 貴族家の後継といえば、まず直系の男児を指す。それなのに彼は養子を取っても良いと答えた。


「それは、つまり……私との間に子を望まないと……、そういう事でしょうか」


 確認の為に声に出してみて、ウルスラは己の声音の弱々しさに想像以上のショックを受けていたのだと自覚する。

 確かにウルスラは他の貴族令嬢よりも結婚が遅かった。

 子供を産むのならもっと若い方が良いのかもしれない。でも、まさか望まれもしないだなんて。

 指先が冷えていくのは、グラスを持ったままだからというばかりではないだろう。

 そろそろとグラスをテーブルに戻し、ウルスラはいつも通りの無表情のまま、さようで、と返すのがやっとだった。

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