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4.氷の伯爵令嬢の困惑

 よく晴れた青空が眩しく広がる気持ちの良い朝を、ウルスラ・アッシュフィールドは王都にあるアッシュフィールド家の屋敷で迎えていた。


(王都は華やかだけれど、いつ来ても賑やか過ぎて少し落ち着かないわ)


 窓から空を見上げ、ウルスラは独りごちた。

 視線を降ろせば大通りに繋がる道に既に何台も馬車が走っているのが見える。

 沢山荷物を詰んでいるところを見るに、おそらくは貴族の屋敷に向かう商人の馬車なのだろう。馬車の仕立てが良いから王都でも有名な商会なのかもしれない。


(お父様には内緒で、またイザベラにお土産を送ってあげましょう。何か気分が明るくなるものを。お母様には何が良いかしら)


 ウルスラは領地で待っている家族の事を思いながらしばらく窓の外を眺めていたが、やるべき事が山積みになっているのを思い出し、今日の予定をこなすべく身を翻した。


 父と共に王都にある貴族院に出向き、正式に婚約者の変更手続きを済ませる為に領地から出て来たのが一月半ほど前の事だ。

 王都に到着してすぐに貴族院への申請は終えており、残りの滞在日程の間に後継者変更に伴う他の貴族への根回しやら何やらを済ませる予定である。

 領地ではなく王都に拠点を置く貴族も多いので、こういったものは王国西部にある領地で行うより、王都に出ている間にやっておいた方が効率的だからだ。

 そういう訳で、ウルスラは領地に残った母の代わりに父と協力し、連日交流のある貴族に手紙を書いたり、必要に応じて他家へ挨拶に回ったりと忙しくしていた。

 なお、王都に出る前に開始した妹への後継者教育は、イザベラの悪阻による体調不良で度々中断してはいるものの、イザベラ自身自分の中で折り合いを付けたのか今ではアランと共に意欲的に取り組んでくれている。

 今は母が側についているから、領地で身体を労り穏やかに過ごしている事だろう。


(……私もそろそろ本格的に身の振り方を考える時だわ)


 アランとの婚約を白紙に戻した事で経歴に傷のついたウルスラは、それでもアッシュフィールド伯爵令嬢としてのブランド力だけは持っている。

 だが、他家にとって今回のアッシュフィールド伯爵家のスキャンダルは足元を見るのに非常に良い材料になってしまう事だろう。

 貴族の娘として、他の貴族家へ嫁ぐ事も、それこそ後妻に入るような事でさえも覚悟はしているが、嫁いだ後、己がゆくゆくアッシュフィールド家の弱点となってしまうような事態だけは避けなければならない。

 それを考えると、いっそ何のしがらみも生まれないよう、俗世を捨てて領内のどこか田舎の修道院に入り、神に仕えて一生を過ごす方がマシというものかもしれない。

 それに神様ならウルスラの無表情に文句を言う事もないだろう。

 無意識にそっと己の頬に手を添えて、ウルスラは小さく息を吐いたのだった。



 ──そんなウルスラの元へ王都の屋敷を任されている家令が慌てた様子でやってきたのは、午後のお茶の時間だった。


「お嬢様! お嬢様にお手紙が届いております」

「そのように慌ててどうしたと言うのです。手紙はどちらのお家から?」


 珍しく慌てた様子の家令から銀の皿に載せられた手紙とペーパーナイフを差し出され、ウルスラは無表情の裏に困惑を隠しつつそれらを受け取った。

 宛名には確かに己の名が書かれているが見覚えの無い字だ。

 署名を確認するべく封筒を裏返し、そこに書かれた家名にウルスラは一瞬動きを止めた。


「……レインバード……?」


 パチリと瞬きを二回して、もう一度送り主の名前を確認する。

 送り主の名前はベルナール・レインバードと書かれていた。


(レインバードとは、王国東部に広大な領地を頂く伯爵位筆頭家門の、あのレインバード伯爵家かしら。でも、確かレインバード家のベルナール様と言えば王宮騎士団に勤めていらっしゃるはず。それが何故私にお手紙を……?)


 次から次に疑問符が浮かんでくるが、とりあえず手紙の内容を確認しなければならない。

 正式な家紋で封蝋のされた手紙を淡々とした手付きで開封したウルスラは、何行も読まない内に再び動きを止めてしまった。

 表情こそいつも通りの無表情であったが、そのただならない様子に家令が心配そうに声を掛ける。


「お嬢様……?」


 声を掛けられたウルスラがハッと我に返った瞬間、手紙を持っていた指先に力が入って上等な便箋がくしゃりと音を立てた。

 その事に気付いてウルスラは小さく声を上げた。


「あ……っ」


 慌てて手紙に入ってしまった皺を伸ばし、ホッと息を吐く。

 そうして二度ほど内容を読み返してから、ウルスラは家令に向かって極めて淡々と父に連絡を取るように申し付けた。


「至急お父様に連絡を。……レインバード伯爵家より婚約の申し込みがあった、と」


 常よりやや早口で告げられたその言葉に、家令は驚いて目を見開いた。

 だが、彼もまた長くアッシュフィールド伯爵家の屋敷を任されている立場の人間である。瞬きの間に平静を取り戻し、畏まりましたと一礼をすると足早に部屋を出て行った。


「……本当の、本当かしら……」


 サロンの長椅子に座ったまま、ウルスラはぽつりと呟く。

 ウルスラの婚約破棄を聞きつけた他家から婚姻の申し込みが来る事は予想していた。実際、既に何件か打診も来ている。

 しかし、どうして今まで交流のなかったレインバード家から突然申し込みが来たのだろうか。

 相手は伯爵位筆頭で同じ伯爵家でも格上だし、わざわざ傷物のウルスラに婚約を申し込むメリットなど何一つ無いように考えられる。


(ベルナール様とは以前にお城の御前試合を観戦した時にお見かけしたあの方かしら……。でも、あのお家は次男が後継者になると聞いたような……)


 伯爵家の中でも特に高貴な血統であるレインバード家の、後継者ではないとはいえ長男が、どうして婚約を白紙に戻したばかりの傷物令嬢に婚約申し込みなどしたのか。

 ウルスラはテーブルにおいた手紙に視線を注ぎながら考えた。


(もしかして、私は今、自分に都合の良い夢を見ているのかしら。だって、そうでもなければ、私相手にレインバード家から婚約の申し込みだなんておかしいもの)


 レインバード家からの申し込みは、こちらの足元を見たいのだろう他家と違い、アッシュフィールド家にとってメリットしかない。

 ウルスラがいくら考えてもその意図は読めなかった。


(……やっぱり、お断りした方が良いのよね……)


 他家同様断るべきだろうか。とにかくこの件は父の指示を仰がなくては。

 無表情ながら、ソワソワして父の帰還を待つウルスラだったが、夜になって慌ただしく屋敷に戻ったマクシミリアンはウルスラにレインバード家からの婚約話を受けるよう勧めたのだった。


「よろしいのですか?」

「あぁ。確認してきたが、どうやらあちらも後継者が変わるらしい。レインバード家の次期当主は兄のベルナール・レインバードだ」

「まぁ……」


 夕食の席でマクシミリアンから告げられた内容に、思わずカトラリーを持っていた手が止まる。

 何でも、アッシュフィールド領へ向けて早馬を使っていたレインバード家が馬を交換する為に王都に寄り、そこでウルスラが王都にいる事を知って急ぎ手紙を届けさせたという。

 もし行き違いになってしまっていたら、受け取るまでにあと一週間以上かかっていただろう。

 事情を知るレインバード家の伝令に直接確認したというマクシミリアンは、ワイングラスを揺らしながら続けた。


「聞いたところでは、ベルナール・レインバードは事故で騎士を続けられなくなったらしい。これを機に、弟ではなく兄の方が家を継ぐ事になったようでな、今は実家で後継者教育を受けているのだそうだ」

「まぁ、ベルナール様がお怪我を……。何処の家も苦労が絶えないのですね」

「そうだな。ウルスラよ、察するにレインバード家は伯爵夫人として当主を支える事の出来る人材を探していて、そこでお前に目を付けたのだろう。お前はその手の教育が既に済んでいるし家格も見合う」


 レインバード家の事情は領地の離れたアッシュフィールド家までまだ届いてはいなかったものの、一部では有名な話らしく裏を取るのは容易かったとマクシミリアンは言い、そしてグラスをテーブルに戻すと、ジッとウルスラを見詰めた。

 ウルスラもカトラリーを置いて背筋を伸ばし、その視線に応える。


「ウルスラ。この申し込みを逃せば、きっとこのように条件の良い縁談はもう無いだろう。アッシュフィールド伯爵としての私はこの話を受けた方が良いと考えるが、レインバード伯爵家に嫁ぐというのは、今後非常に重い責任を担う事にもなる。お前を想う父としては、最終的な判断はお前に委ねたいと考えるが、どうだね」

「それは、私の個人的な考えによってはこのお話をお断りしても構わない、という意味でしょうか」

「その通りだ」


 レインバード家ともなれば伯爵夫人に求められる仕事は多方面に渡り、その責任も他家の比ではないだろう。不得手な社交界にもより多く出席しなくてはならない。

 父の心配を嬉しく思いながら、ウルスラは小さく頷いた。


「……きちんと考えて、明日の朝までに結論を出しますわ」


 そう答えてウルスラは部屋に戻り、一晩をかけて丁寧にレインバード家への返事を書いたのだった。


 翌朝、書面に当主のサインを入れて貰うために用意したものを父に渡すと、その文面を確認してマクシミリアンは本当に良いのかと何度も確認した。

 ウルスラは無表情のままこくりと頷き、淡々と答える。


「──はい。私は、レインバード伯爵家に嫁ぎます」


 ウルスラの言葉にマクシミリアンも深く頷き、署名を入れると家門印で封をした。

 それを家令に渡し、王都に構えたレインバード家の屋敷へ送るよう言い付ける。おそらく伝令はそこで待機しているのだろう。

 父の手から家令に封筒が渡るのを見て、ウルスラは鼓動が高鳴るのを感じていた。

 ──もう、後戻りは出来ない。


(こんな私を望んで下さったのよ。私は全力でベルナール様をお支えし、立派に妻としての責務を果たそう)


 レインバード家は、アッシュフィールド家の娘としての立場ではなく、ウルスラ個人の能力を買ってくれたのだ。

 それがウルスラにはとても嬉しく感じられた。


 正式に婚約の申し込みを受け入れる旨の手紙を送ってから一週間後、レインバード家からアッシュフィールド家に婚約式の日取りなどを決める為の打ち合わせをしたいと手紙が届いた。

 それらは現当主である父の管轄であり、基本的に当人らは打ち合わせに同席しない事になっている。

 だが、マクシミリアンはウルスラに新しいドレスを用意するよう言い付けた。

 疑問を覚えてウルスラが首を傾げると、彼は父の顔をして柔らかく目を細め、一通の手紙をウルスラへと手渡した。


「当主からの手紙に同封されていた。レインバード小伯爵からお前にだ」

「私に……?」


 渡された手紙には婚約式の前に一度直接挨拶に伺いたい旨が書かれており、その筆跡に、先日の婚約の申し込みが代筆ではなく彼の直筆である事を知ったのだった。

 その手紙をマクシミリアンがウルスラに渡したという事は、訪問を認めるという事だ。

 微かな緊張を抱きつつ、ウルスラはその手紙を大切に胸に抱いて部屋に戻り、侍女に急ぎ贔屓にしている仕立て屋を呼ぶよう指示をした。


 そして、ウルスラが迷いに迷って布地を選んだ淡いラベンダー色のドレスが屋敷に届けられた三日後、ついにレインバード小伯爵がアッシュフィールド邸を訪れる日がやって来たのである。

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