25.信奉者
二番目の家庭教師は、黒髪をきっちりとシニヨンに結い上げ、半月型の眼鏡を掛けた長身の女性だった。
女性の中では身長のあるウルスラよりも更に背が高く見えるが、足音を聞く限りかなり高いヒールの靴を履いているようだ。
「ご機嫌よう、レインバード伯爵夫人」
彼女は部屋に入ってくるなり、ウルスラに向かって軽く膝を折って教本通りの挨拶をした。
その事にウルスラは無言で二度瞬きをしたが、彼女は何も気が付かずに自分が家庭教師としてどれだけ有能であったかを喋り始めた。
「私はシュタイン先生のもとで教育について学び、王都で名家の御令嬢方の教育を担当してまいりましたの。どのご家庭でも多言語を習得していて、かつ社交界にも明るいという私の存在はとても重宝されましたわ」
自信満々に胸を張ってそう語る家庭教師に、ウルスラは感心するでもなく小さく首を傾げて見せた。
「失礼。私はまだ発言を許可しておりません。……本当に王都で家庭教師をなさっておられたのですか?」
ごく当たり前の礼儀もなっていないのに教師が務まるものなのかという意味の言葉を投げ掛けられ、その家庭教師はサッと顔を赤くして俯いた。
実際のところ、ウルスラにとってこのような人間は珍しくもない。
相手が伯爵家筆頭家門であるというだけで擦り寄る輩は、多かれ少なかれ発生するものだ。その手の人間は一様にこちらが聞いてもいないのにペラペラと自分の話ばかりするので実に分かりやすい。
さて、ようやく彼女が黙ったので、ウルスラは気を取り直してマリアンヌについての質問を開始した。
「マリアンヌ・アルヴィエの教育についてお伺いしたいのですが」
「あの恥知らずなお嬢様がどうかなさったのですか。とうとう修道院にでもお入りに?」
嘲笑混じりの家庭教師の言葉に、ウルスラの睫毛がぴくりと震える。
これは礼儀がなっていないどころの話ではない。
ウルスラは手の中で再びみしりと軋む音を立てた扇子をゆっくりと開き、口許を隠して問い掛ける。
「アルヴィエ伯爵家の娘が恥知らずだなんて、一体どれだけの事をしたというのです?」
無表情のおかげで、こちらの思惑は相手に都合の良いように取られたらしく、その家庭教師、マルグリット・ルイズはハッと鼻で笑いながら答えた。
「この国で令嬢教育の権威とも言えるシュタイン先生が見込み無しと判断されたのです。それだけで令嬢としての将来は無いも同然。家門の役に立たない者など全て恥知らずもいいところですわ。その程度の事、レインバード伯爵夫人ならよくお解りかと」
「さようで。その、見込み無しというのは、シュタイン先生の残された手引書にも記載が?」
重ねて問うと、マルグリットは大きく頷いた。
「えぇ! その通りですわ。私、それを見て、シュタイン先生の御心労は如何ばかりかと涙が出ましたもの。全く、姉二人はごくごくまともだったというのに、末娘がアレではね。シュタイン先生に代わり、この私が幾らきつい仕置きをしても全く改善しないものですから、私も己の経歴に傷を付けたくなくて早々に見切りを付けて暇乞いを致しましたの。本当に、アルヴィエ伯爵もご苦労なされます事」
どこか気位の高さを感じさせる物言いでマルグリットが口端を上げた。
彼女の言葉を大人しく聞いていたウルスラはその場で小さく一度深呼吸をする。勿論怒りを堪える為である。
(どうやらこの方はシュタイン先生の教え子というよりも信奉者のようだわ。シュタイン先生が見切りを付けた事で、マリアンヌを価値のない人間だと決め付けている)
少女に痛みと恐怖を与え、心に深い傷を負わせた事など気にも留めないどころか当然であると言わんばかりのその言動は、ウルスラの逆鱗をじくじくと刺激し続けた。
だが、自分にはやるべき事があるのだと自身に言い聞かせ、ウルスラは必死に耐えてゆっくりと口を開いた。
「私は現在マリアンヌの教育を任されておりますが、その手引書というものを見た事がありません。どのような内容なのでしょう。シュタイン先生が残されたものですし、よろしければ参考までに内容をお聞かせ下さい」
「あら。シュタイン先生が手ずから書かれた手引書ですもの。気になるのも当然ですわね。しかし、私はきちんと補足も書き足して後任に渡しましたのに……」
「内容は覚えておられない?」
「まさか! 全て暗記しております。紙とペンを頂ければ最初から最後まで書き綴ってお見せしますわ!」
「大変助かります」
扱いが簡単過ぎて罠すら張る必要がない。
無意味に高慢で傲慢で、実に浅はかな女だ。
ウルスラは冷めた心で思った。
家庭教師として重用されていたというが、もしも彼女が社交界にいたとして、果たしてどれだけの期間生き残る事が出来るだろうか。
それこそ、下級貴族であればそこそこのものなのかもしれないが、ウルスラは生まれてこの方上流貴族の社交場しか知らない身である。
もしも自分の代わりにここにデルフィーヌがいたら、にっこり笑って上品に罵倒の限りを尽くしたに違いなかった。
笑顔を作ることの出来ない自分ではそういう事が出来ないので、ウルスラはぴくりとも動かない己の頬を人差し指で撫で、ジッと目の前のマルグリットを見た。
そして彼女の言う通りに紙とペンを用意して手引書の内容を書き写させ、彼女はカミラとはまた違う部屋で待つように申し伝える。
「あら、まだ待たされるのですか?」
眉を顰めたマルグリットに、ウルスラは抑揚のない口調で淡々と告げた。
「えぇ。ゆっくりと今後の己の身の振り方でも考えながらお待ちになって下さいまし」
マルグリットは最後までよくわからないという顔をして部屋を出ていった。
ドアが閉まった瞬間、ウルスラは一度だけ重苦しい溜め息を吐いてテーブルに突っ伏した。
よく耐えたものだと心の中で己を褒め、まだ終わりではないと急いで書き写されたばかりの手引書の内容に目を通し、それを終えるとついに最後の人物を部屋に呼ぶ。
即ち、王国内において令嬢教育の権威とされ数々の著書を出してきたマリアンヌの一番最初の家庭教師、ギルベルタ・シュタインその人であった。




