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【連載版】伯爵夫人は笑わない【第二部完結】  作者: 文月黒
第二部

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24.悪魔の書

 ウルスラに指定されて最初に応接間に呼び出されたのは、最後にマリアンヌの教育を担当した家庭教師だった。

 家庭教師といっても彼女はまだ若い部類に入るナースメイドであり、身の回りの世話ついでにマナーを教えてほしいという内容で雇われたらしい。

 不安そうな表情で指定された椅子に降ろし、彼女は困りきった表情で言った。


「あの、私はごく僅かな期間しかお嬢様と過ごしておりませんで……お話し出来る事があるかどうか……」

「ごく僅か? どれくらいの期間ですか」

「……三日です」


 ナースメイドは側に寄るだけで毛を逆立てるようにして警戒を顕にし、少しでも触れれば物を投げたり引っ掻いたりするマリアンヌに驚き、そしてこのような令嬢の世話など出来ないとすぐに(いとま)を申し出たと言う。


「私、まだナースメイドとしては若い方ですけれど、それでも何人か貴族のご令嬢のお世話をしてまいりました。でもマリアンヌお嬢様はお世話どころの話ではありませんもの」

「そうですか。前任の方から教育方針についての引き継ぎなどはありましたか?」

「そんなものありません。ただ、その……ひどく凶暴だから厚手の服を着て行けと……」


 ウルスラの質問に対し、そのナースメイドはひどく言いにくそうにそう答えた。

 彼女がマリアンヌを担当した時には既に『定規恐怖症』は確立し、女性に対する恐怖心も確固たるものになっている。しかも彼女は引き継ぎを受けていない。

 それ故に、体罰には関係が無いと判断され、話はそこで終了した。


 次に応接間に入ってきたナースメイドの前任にあたるマリアンヌの四番目の家庭教師は、恰幅のよい子爵家の未亡人だった。

 いかにも人懐こそうな顔をしていたが、マリアンヌの話になると途端に表情を曇らせて緩く首を振った。


「ご存知の通り、お嬢様は大変気難しい性格でいらっしゃいます。私は何とか詩の一篇でも覚えて頂こうとあれこれ努力致しましたが……」


 溜め息を吐く子爵夫人は、服の上から左腕をさすりながら続けた。


「お勉強を嫌がって暴れるお嬢様に、血が出るほど腕を酷く引っ掻かれましてね。言葉は良くありませんが、あの方は普通のお嬢様ではありませんわ」


 きっと甘やかされ過ぎたのでしょうと言う子爵夫人も、前任から特に何か授業の引き継ぎがあった訳でもなく、先ほどのナースメイド同様に関与の疑い無しとして話は終わった。


(おかしいわね)


 アルヴィエ伯爵夫人が言うには、一番最初の家庭教師は指導方針について申し送りを残しているはずだ。

 その存在すらも知らないだなんて、一体どうなっているのだろう。


(消去法で考えれば二番目か三番目の家庭教師が怪しいけれど……、こればかりは実際に話を聞いて判断しなければ)


 ウルスラはその場でゆっくりと呼吸をして次の人物、マリアンヌの三番目の家庭教師を部屋へ呼んだ。


「あの、体調でも?」


 部屋に入ってきた家庭教師はひどく青い顔をしていて、今にも倒れそうな有り様だった。

 思わずウルスラが声を掛けるが、彼女はか細い声で大丈夫ですと答えて椅子の前に立った。

 それを視線で座るように促しウルスラが問う。


「マリアンヌについてお話をお伺いしたいのです。貴女はマリアンヌの三番目の家庭教師ですね。彼女の教育方針についてはどのように?」

「それ、は……」

「前任の方から引き継ぎを受けていたのでしょうか?」


 三番目の家庭教師、カミラ・ブルナーはウルスラの問い掛けに、更に顔色をなくして震え始めた。

 まさか、とウルスラが顔を上げるのと、カミラが椅子から頽れて床に跪くのが同時だった。


「あぁ、あぁ、どうかお許し下さい。私は教育だと言ってお嬢様に酷い事を……!」


 そのままカミラは両手で顔を覆って泣き出してしまった。

 そして嗚咽混じりに自分がマリアンヌの家庭教師であった期間、言う事を聞かない罰として何度も体罰を与えた事を自供した。


「手引書にも厳しく指導すべきとあって、私はデビュタントも果たしていないような子供に指導の為にと暴力をふるいました。最初は胸が痛みましたが、体罰は教育のために有効な手段だと書かれたページを読む度にだんだんと感覚が麻痺してしまって、気付いた時にはお嬢様は人が変わったようになっていました」


 私が全て悪いのですとカミラは言ったが、ウルスラは別の事が気になってカミラの言葉を遮った。


「手引書? 手引書があったのですか」

「はい。シュタイン先生が残されたものだそうで、そこにはお嬢様の教育をどのようにすべきかが細かく書かれておりました。そこに、鞭の使用についても書いてあったのです」

「それは何と?」

「……あまりに言う事を聞かない場合は、痛みを与えるべしと。鞭やそれに類する物を使う場合は布を巻いて身体に傷を残さないように、とも書かれておりました。ですから私は長い定規に布を巻いて……」


 それを聞いて、ウルスラの強く握り締めた手の中でみしりと畳んだ扇子が軋んだ。

 定規を見るだけでパニックを起こす程の恐怖を、痛みによって刻み付けたのはこの教師なのだ。


(許してくれ、ですって?)


 家庭教師が啜り泣き、許しを請う様を無表情に眺めながら、ウルスラは頭の奥がしんと冷えていくのを感じていた。

 怒りが極まると却って感情が凍る事があるのだと、ウルスラはこの時初めて知った。


「その手引書は今どこにあるのですか」

「お、恐ろしくなって、ここを離れる際に焼いてしまいました。あれは手引書などではありません。悪魔の書です……!」


 掠れた声で叫ぶ彼女の言葉に、ウルスラはさようでと小さく頷いた。

 彼女が焼いてしまったから、彼女の次からは引き継ぎがされず体罰もなかった。けれどその時には、既にマリアンヌの中にトラウマが刻み込まれてしまっていたのだ。

 証拠が焼失しているというのは正直痛手である。だが証言は取れた。

 カミラは手引書の内容を何度も読み込む事で、ある種の洗脳状態になっていた可能性がある。著名な教師によって書かれたものなのだから、書かれている事は全て正しいとでも思い込んだのだろう。

 最終的には自分でその異常さに気が付いた点は評価出来るが、許しを与えるのは今ではない。

 ウルスラはカミラに許しの言葉を与える事はせず、別室で控えるように申し伝えて次の家庭教師を呼んだ。


 何だか、ひどく嫌な予感がした。

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