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22.伯爵令嬢マリアンヌ・アルヴィエ3

 ウルスラは、珍しく早めの歩調で屋敷の廊下を進んでいた。

 そしてその勢いを緩める事なく、仕事中である事を承知の上で夫の執務室のドアを叩いた。


「はーい。あれ、奥様? わわっ」

「失礼します」


 取次対応の為に出てきたマイケルを押し除け、ウルスラは返事も待たずに執務室に入ると背筋をピンと伸ばして執務机を挟んでベルナールの真正面に立つ。


「至急のお話がございます」


 そう告げたウルスラの声は普段よりも幾分か低かった。

 同時に、彼女の右手が強くドレスのスカートを握り締めている事に気が付いて、ベルナールはまず人払いを命じた。


「何があったのか、説明してくれるね?」


 二人きりになった執務室でベルナールの落ち着いた声を聞いたウルスラは、努めてゆっくりと深呼吸をして先程マリアンヌから聞いた話の内容を説明する。


 マリアンヌの態度の理由は、予想していた通り過去に受けた暴力の反動であった事。

 そしてその暴力というのが家庭教師による躾を称した体罰であった事。

 マリアンヌは体罰について家族に訴えたが、家族は誰一人として少女の話を信じず、逆にマリアンヌに非があるとして彼女をあしらっていた事。


 それらをマリアンヌから聞いた時、ウルスラは激昂した。

 確かにピアノの練習中に音を間違えて手を叩かれるだとか、そういうものであればウルスラにも経験がある。

 だが、マリアンヌは定規を見ただけで青褪め、パニックを起こすほどの体罰を受けていた。

 まだデビュタントの準備すら始めていないような子供に、あまりにも行き過ぎた仕打ちである。

 いくら品格を求められる伯爵家の娘とはいえ、そのような行為が許されるはずがない。


 怒りの炎を胸の中でごうごうと燃やしながらも全てを淡々と話し終えたウルスラは、いつも通り顔色ひとつ変えずに続けた。


「そういう訳ですので、私はアルヴィエ家に尋問……いえ、話を聞いてまいります。必要に応じて、マリアンヌの親権をアルヴィエ家から奪い取っ……譲り受ける事になるかもしれません」


 よろしいですね、と問われ、ベルナールは出会ってから今までで一番怒っているだろうと思われるウルスラに、ただ頷く事しか出来なかった。

 ウルスラの生家であるアッシュフィールド伯爵家の初代当主は女性軍人であったという。

 初代当主が苛烈な性格そのままの少々物騒な家訓を遺している事についてはベルナールもウルスラから教えられて知っているが、もしかしたらその性質は今もなお血統として受け継がれているのかもしれない。

 静かな怒りを滲ませながら退室する妻の背中を見送ってベルナールは思った。

 夫として何か手助けをしてやりたいが、自分は弁の立つ方では無いし、彼女のあの様子を見るにろくに役に立てそうにない。ではどうするか。

 そしてベルナールはしばしの黙考の後、一通の手紙を認めて家令に託すのだった。




 ベルナールに許可を得てからのウルスラの行動は早かった。

 アルヴィエ家に訪問の約束を取り付け、その際にこれまでマリアンヌの教育を担当した家庭教師を全て召集するように指示をする。

 同時にマリアンヌには、しばらく外出する為、屋敷に残す侍女と共に王国で広く読まれている詩集を読み進めるようにと申し付けた。

 レインバード家の正式な紋章で封をした書面を早馬で送ったのも功を奏したのだろう。

 ウルスラが望んだ準備が全て整うまで、多くの時間は必要としなかった。


──そしてアルヴィエ伯爵家への訪問当日。

 ウルスラは馬車に揺られ、落ち着かない気持ちを誤魔化すように窓の外を眺めながらほうと息を吐いた。

 緊張の為ではない。未だ鎮火しない怒りを抑える為だ。

 そんなウルスラを見て、向かいに座っていた相手がくすりと笑みを零す。


「あらあら、人形のような無表情は変わらないのに怒りが透けて見えてよ」


 落ち着きなさいと諌める意味を持つその言葉に、ウルスラはもう一度深呼吸をしてから向かいへ視線を向ける。


「はしたないところをお見せして申し訳ございません。公爵夫人」

「構わなくてよ。珍しいものが見られたのだもの」


 鉄色の髪を王都で流行りのスタイルに結い上げたティトルーズ公爵夫人デルフィーヌは、レースの扇で口許を隠し、目だけを細めてうっそりと微笑んだ。

 しかし幾許もしない内に呆れたように溜め息を吐いて言った。


「レインバード伯爵夫人。貴女、もう少し夫に甘えてみてもよろしいのではなくて? レインバード伯爵がこの私に助力を請う手紙を送ってくるだなんて、一体どういう事なの」

「どういう事と仰られましても……。私一人では心配なので、公爵夫人に第三者として付き添いを頼んだとしか聞いておりません」

「まぁ、伯爵もそのお母上も身内は身内なのだから、人選は間違っていないとは思うけれど……」


 本当なら自分が付き添いたかったと思うわよとぼやくデルフィーヌに、ウルスラがパチリと目を瞬かせる。

 浮かべたその表情こそ変わらないが、デルフィーヌにはウルスラの頭の上に巨大な疑問符が浮かんでいるのが見えるようだった。

 以前、デルフィーヌは本人としては不本意ながら、ウルスラの生家であるアッシュフィールド邸で数日を過ごした事がある。

 その際にベルナールがウルスラに掛ける言葉や眼差しの甘さを実際に目にしているのだが、当の本人であるウルスラのこの反応は一体何なのか。

 明晰な頭脳をもち、貴族女性として社交界の上層に立つ者として、ウルスラは公爵夫人であるデルフィーヌと対等に話が出来る数少ない人物である。

 しかし、伯爵夫人であるという前に妻として、一個人として愛されているという事実については、時々妙に鈍くなるというか、他人事のように受け取っているように感じるのだ。


(でも、まぁ、夫婦の事に他人が口を出すものではないわね)


 そんなお節介をする程の仲でもない。

 デルフィーヌは再度小さく溜め息を吐いて扇子を畳んだ。

 今回自分は夫婦仲について口を出す為に同行したのではなく、アルヴィエ家における虐待疑惑を第三者として判断する為に同行している。


「さて、ここからどうなるかしら」


 アルヴィエ伯爵領はやや南部地域寄りではあるが東部地域にあり、レインバード領からは半日と少しの距離である。

 貴婦人二人を乗せているとは思えない程に馬を飛ばしたので、窓の外には既にアルヴィエ家の屋敷が小さく見えている。


(アルヴィエ家はそんなに我の強い性質ではなかったはずだけれど……、果たしてレインバード伯爵夫人は納得のいく答えを引き出せるのかしらね?)


 ここからはウルスラの戦いである。

 お手並み拝見と、デルフィーヌはビスクドールのように姿勢良く馬車の座席に座るウルスラに視線を戻したのだった。

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