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21.伯爵令嬢マリアンヌ・アルヴィエ2

「大丈夫。大丈夫よ、マリアンヌ。ちゃんとお話出来るわ」


 朝食後、マリアンヌはウルスラに指定されたプライベートサロンのドアの前で、何度も深呼吸をしてからドアをノックした。

 中からはすぐに応答があり、侍女がドアを開けてくれる。


「お嬢様、こちらへ」

「は、はい……っ」


 すぐ近くで侍女に言われて反射的に身体が強張ってしまったが、それでもマリアンヌはぎくしゃくとした動きながら指示された通りにウルスラが作業するテーブルのすぐ側に立ってウルスラの言葉を待つ姿勢になった。

 今までの反抗的な態度からは考えられない程の大人しい様子に、侍女がぱちりと目を瞬かせる。

 身なりだってこのまま正式な茶会に行けるほど整えられているし、髪には上品な髪留めまである。

 黙って立っていれば誰も彼女を山猫令嬢などと呼んだりしないだろう。

 しかし、同時に少女の目にはどこか不安の色が見て取れる。

 その事に気付いた侍女は、主人である伯爵夫人がしきりに彼女の態度を気にしていた事を思い出して、もしや奥様は何か気付いてらっしゃるのではないかと察し、ドアを開け放したままにするべきかを主人に視線で問うた。

 その視線を受け、ウルスラは一瞬ドアとマリアンヌとを見て、ドアを閉めるように手で示した。もしかしたら込み入った話になるかもしれないと思ったからだ。

 だが、突然話をしたいと言っても身構えてしまうだろう。

 まずは作業だとウルスラはテーブルの上を示して言った。


「マリアンヌ。私がこのポプリの口を縫っていきますから、こちらの籠に入っているリボンを使ってこの部分を結って頂けますか」

「リボンはどれを使えばいいの?」

「籠に入っているものであればどれでも使って構いません」

「わかったわ」


 こくりと頷いたマリアンヌは、ウルスラと共に長椅子に座り、ウルスラが縫い閉じたラベンダー入りの小袋の口をリボンで結う作業に没頭した。

 アルヴィエ家にはマリアンヌを含めて三人の娘がいるが、その中で一番幼いマリアンヌが一番綺麗にリボンを結ぶ事が出来る。姉達が苦戦するような、少々難しい凝った結び方も三回練習すればすっかり覚えてしまう程だ。

 これなら自信があると張り切ったマリアンヌは、このポプリが出品されるバザーが貴族女性相手のものであると知っていたので、シンプルなリボン結びではなく、見栄えのする少し手の込んだ結び方で次々とポプリを完成させていった。


「奥様。ポプリ用の布をもう少し足しますか」

「そうね。まだ乾燥させたラベンダーもストックが残っているし、この分なら作り足しても良いでしょう。十枚分追加の端切れを用意して……」


 ちくちくとポプリの口を縫いながら侍女の言葉に答えていたウルスラは、マリアンヌの手がぴたりと止まった事に気付いて何気無く視線を隣に座る少女に向けた。


「マリアンヌ。どうしました」


 視線の先で少女は侍女の方を凝視し、真っ青な顔をしていた。

 よくよく見れば強張った身体が小さく震えている。

 咄嗟に少女の視線の先を確認すると、侍女がテーブルに広げた布を前に裁断鋏を持ってきょとんとした顔をしている。

 刃物が怖いのかしらとウルスラは侍女に鋏をしまうように言い、侍女もすぐそれに従ったが、マリアンヌは今にも呼吸すら忘れてしまいそうな酷い顔色のままである。


「机の上に布を掛けなさい。早く!」

「はい、奥様!」


 何がマリアンヌをここまで恐怖させるのかわからないが、それはきっとテーブルの上にあるのだ。

 そう考えたウルスラは、とにかくマリアンヌの視界からテーブルが見えなくなるようにと、急いで机全体を布で覆わせた。


「マリアンヌ。大丈夫ですか」

「……あ、嫌。嫌!」


 明らかに動揺しているマリアンヌは、手を伸ばそうとするウルスラにびくりと肩を振るわせる。両腕をクロスさせて自分を守るように身体を縮こめる少女の様子は明らかに異常だ。

 ウルスラは手早く手元の針と糸を裁縫箱に仕舞い、マリアンヌに向き合った。


「マリアンヌ。私は何も持っていません。あなたに痛い事も苦しい事もしません。マリアンヌ・アルヴィエ。私の声を聞いて」


 しばらくの間、ウルスラは根気よくマリアンヌの名を呼び、声を掛け続けた。

 侍女は庭に面した窓を開け放して部屋に風が入るようにした上で、気分が落ち着くハーブティーを用意する為に慌ただしく退室する。

 人の気配が薄れた事でマリアンヌもようやく落ち着いてきたのか、浅い呼吸を続けながらゆるりとウルスラを見上げた。


「マリアンヌ。大きく息を吸って。吐いて。そう、上手ですよ」

「う、ウルスラ、さま……、あたし……」

「無理に話さなくて良いのですよ。ゆっくりと呼吸を続けて」


 次第に呼吸も整い、マリアンヌはくったりと脱力して長椅子に横たわった。

 幾分か落ち着いた様子のマリアンヌではあるが、顔色はまだ戻っていない。


「奥様、お飲み物をお持ちしました」

「まだ飲めそうにはありませんね。そこに置いておいて頂戴」

「かしこまりました」


 侍女が持って来たのはハーブティーとホットミルク、それから蜂蜜の小瓶だった。

 それらをソファ脇の小さな丸テーブルに運ばせ、ウルスラは侍女と共にマリアンヌの様子を窺う。


「マリアンヌ、あなたは何をそんなに恐れているのですか」


 そっと呟いたウルスラの言葉が聞こえたのか、少女は未だ青褪めた顔のままゆるりと目を開き、震える指先で先程侍女が布で覆い隠したテーブルを示した。


「……私、アレが怖いの」


 マリアンヌの言葉にウルスラはテーブルの上に何があったかを思い出す。

 そこには、ポプリの小袋を作る為の布や裁ち鋏、針山、定規などがあったはずだ。


(布と針は私が横で作業している時に見ているはずだから違うわね。鋏かと思ったけれど、しまってみても変化はなかったからこれも違う。印をつけるペンは普段使うものと大差はないだろうし……とすると残りは……)


 ウルスラはジッと布に覆われたテーブルを見詰めて言った。


「……定規?」


 その一言にマリアンヌの肩がびくりと跳ねて、少女は震える唇で正解を告げた。


「えぇ、私、定規が怖い。……だってアレで打たれるととっても痛いのだもの」


 そしてマリアンヌは、ぽつぽつと何故定規が恐ろしいのか、そこに至るまでの経緯を話し始めたのである。

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