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【連載版】伯爵夫人は笑わない【第二部完結】  作者: 文月黒
第二部

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17.伯爵夫人ウルスラ・レインバード3

 マリアンヌが部屋どころか屋敷を飛び出した後、ウルスラは憤る侍女を宥めながらその場で静かに目を伏せていた。

 ぶつけられた言葉はそれなりに衝撃的だったし、痛いところを突かれたとも思うのだが、悲しいかなウルスラはこの手の言葉に慣れきっている。

 いつも通りに客観的な意見の一つとして捉え、伯爵夫人としての社交性についてはまだまだ改善に務めるべきと胸の中にメモするのみに留めて、まずは目の前の問題であるマリアンヌへの対応について考えていたのである。

 社交界ではこの程度の言葉は特段珍しいものでもないと割り切れる辺り、ウルスラもまた貴族女性としての強かさを備えていたのだった。


(……やはり、あの様子は……)


 ふむ、と口許に手を当ててウルスラは屋敷に来てから今日までのマリアンヌの言動を振り返る。

 この屋敷に来てからの彼女は、反抗的という言葉だけで済ませるにはどこか違和感があった。

 授業中も集中出来ずそわそわしている事が多かったが、あの頑なな態度はまるで……。


「あっ」


 そこでウルスラはついに脳裏を掠めた記憶を手繰り寄せる事に成功し、小さく声を上げた。

──それは、ウルスラがデビュタントした直後の頃の記憶だった。


 母に連れられて領内の孤児院を訪れた時の事だ。

 孤児院の多くは貴族からの寄付金で成り立っており、ウルスラの母ディアーナも慈善活動のひとつとして、本やお菓子を持って孤児院を度々訪問していた。

 母がどのような活動をしているのか興味があったウルスラは、それに同行して孤児院という場所に初めて足を踏み入れたのである。

 そこでウルスラはある兄妹に出会ったのだ。

 幼い頃であったから彼らの名前は今では覚えてはいないが、部屋の隅で身を寄せ合っていた姿はよく覚えている。

 天気の良い日で他の子供達は庭で遊んでいたのに、その二人だけはじっと息を殺すようにして部屋の中にいた事もウルスラの興味を引いた。

 怪我でもしているのだろうか。それとも体調が悪いのか。

 けれども周りの大人達も特に気にした様子がなかったから、これはいつもの事なのだろうか。

 そんな事を思っていると、母はその兄弟の方へと歩み寄り、笑顔でお菓子の入った箱を差し出した。

 その時だ。


「こっち来んなよ!」


 兄の方がそう叫んで母の手を乱暴に払いのけた。

 持っていた箱が床に落ちて、中のお菓子が床に散らばる様は幼心にもショックだった。

 お母様はお菓子を渡そうとしただけなのに、どうして乱暴するのとウルスラは心の中で憤ったが、母は苦笑して彼らに謝ったのだ。

 床に落ちて割れたクッキーを拾い集め、そして母は兄弟に、おそらくは兄の方に向かって言った。


「驚かせてごめんなさいね。でもいつか、私ともお話してくれると嬉しいわ」


 その言葉に答えることもせず母を睨み付ける少年をウルスラは恐ろしく感じたが、母は違うようだった。

 ひとつ思い出すとそこから色々な事を思い出してしまい、ウルスラはほうと息を吐いて部屋の長椅子に腰をおろした。


(……確かあの時、お母様はあの兄妹について教えてくれて……)


 あの兄妹は両親を亡くして親戚を盥回しにされた挙句に家から追い出され、兄が町で盗みを繰り返しながら生きていたところを保護したのだという。

 身体中にある痣や怪我から、日常的に暴力を受けていた事も明白だった。

 彼が他者に対して過敏に反応してしまうのも、反射的に攻撃性を見せるのも、全ては自衛本能なのだと、悪いのは彼ではなく彼をそうしてしまった環境なのだと母は語った。

 今思えば子供相手には難しい内容ではあるが、子供であってもその時のウルスラ・アッシュフィールドは次期アッシュフィールド家当主であり、知る機会があるのならば目を背けるべきではないというのが母の考えだったのだろう。

 慈善活動については次期伯爵として教育を受けていたウルスラよりも、いずれは他家に嫁ぐとされていた妹の方が母からよく教えを受けていた事が今更ながらに悔やまれる。

 自分ももっと学んでおくべきだったと思いながら、ウルスラは確かめるように記憶をなぞった。


(そうだわ。マリアンヌの行動は、あの時の彼にそっくりだったんだわ……)


 マリアンヌの行動が、反抗ではなく怯えからくる自己防衛であったのだとしたら。

 ウルスラや侍女相手だと身構え、ベルナールがいる時は普通に過ごせている事から、マリアンヌは過去に女性から暴力やそれに近しい行為を受けた事があるのではないだろうか。

 そう考えると、彼女に触れようとした時に一際過剰に反応した事も辻褄が合う。


(でも、ロザリンド様の様子からは特に日常的に暴力を振るっているというような雰囲気は感じなかった。そうすると一体誰が……? そもそも貴族家の娘よ。家族以外から娘が加害されて気付かないだなんて事があるのかしら)


 色々と考えている内にウルスラはどうにもマリアンヌが心配になり、居ても立っても居られずに侍女を伴って玄関へと向かった。

 マリアンヌはあれだけウルスラに反抗的に振る舞いながらも、屋敷に戻る時には必ず玄関から入る。貴族令嬢だけあって、裏口から入るという事自体、考えも及ばないのかもしれない。

 とにかく、そこで待っていればきっと彼女を出迎える事ができる筈だ。


(もしも本当にそのような事があったのならば、私はもっと彼女に、彼女の心情に寄り添うべきだった。相手が反抗的だからと対応に臆した私の落ち度だわ)


 知らなければ、何も出来ない。

 どんな言葉を投げつけられてもいい。例え引っ掻かれたとしても構うものか。

 逃げ出すのなら今度は自ら追い掛けてでも、今度こそ彼女ときちんと話をするべきだ。

 ウルスラはぴんと背筋を伸ばして屋敷の玄関ポーチに佇み、マリアンヌが戻って来るのをじっと待つのだった。

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