15.伯爵夫人ウルスラ・レインバード 1
「まぁ。あなた、ベルナールお兄様の後輩なの? 騎士だった頃のお兄様を知っている?」
「はい! とってもかっこよくてお強くて、僕の憧れの騎士です!」
ドレスに仔猫をくっつけたまま、マリアンヌはマイケルと付近を回っていた。
馬番には仕事があるので、休みのマイケルが案内役を引き受けてくれたのだ。
王国騎士団の見習いであるというマイケルは、付近の案内以外にも、東部地域からまだ出た事のないマリアンヌに王都の様子や騎士団がどのようなものであるかも説明してくれた。
聞けばマイケルは田舎の男爵家の生まれで、自分が三男であるので家を出て自活の為に騎士を目指したのだという。
王都で騎士になって警備の職にでもつければ収入が得られ、実家に仕送りが出来るのだと聞いてマリアンヌは衝撃を受けた。
自分はそんな事を考えた事すらない。
マリアンヌの生家であるアルヴィエ伯爵家は東部地域ではそこそこ裕福であるし、父の手腕もあって財政にも不安はない。
過度な贅沢などはしていないものの、必要な場所、必要なものにはしっかりと金を使うという実に貴族らしい貴族であった。
だからマリアンヌは、ヤンガーサンという言葉は知っていても、マイケルのように実際に親許を離れて働くだなんて考えた事もなかった。
伯爵家の娘としていつかどこかに嫁にやられるかもしれないと考えた事はあったが、ただそれだけだ。
家庭教師や家族に反抗的になってからは友人の屋敷への訪問も許されなくなってしまい、それを不自由だと文句を言っていた自分が恥ずかしい。
厩舎から畑の方へと向かい、畑の隅でよちよちとあるくアヒルの親子を見ながらマリアンヌはひっそりと溜め息を吐いた。
マイケルは貴族家としての立場は低いのかもしれないが、しっかりと自分がどのような立場にいて何をすべきかを理解し、そして行動している。貴族として、いや大人になる為の素地が十分に出来ている。
そんな彼と自分を比べると、自分のやっている事は何とも幼稚に思ってしまったのだ。
「あなた、とても頑張っているのね」
「いえ、僕なんて伯爵ご夫妻に比べたらまだまだです」
「お兄様と、あの人の事?」
「えぇ。だって伯爵様は王国騎士から伯爵家当主として、武器を剣からペンにかえて頑張ってるって騎士団の小隊長が言ってました。領地を治めるって、きっととても大変な事だと思います。奥様もお仕事で忙しいはずなのに、僕とか、使用人の皆の健康状態にまで気を遣って下さって、時々話を聞きにも来てくれるんです」
「えっ、家令だとかメイド長に報告させるんじゃなくて、自分で?」
これにもマリアンヌは驚いて目を丸くした。
伯爵夫人が自ら出向いて使用人の状況を確認するだなんて事があるのか。
マリアンヌの母が接する使用人はせいぜい身の回りの世話をする侍女とメイド、それから仕事の補佐を頼む家令くらいのものだ。
雇用者であるから使用人達の書類は見ているかもしれないが、全員の顔と名前なんてきっと覚えてもいないだろう。伯爵夫人は多忙であるのでむしろそれが普通だ。
多忙といえば、ウルスラはマリアンヌの授業も伯爵夫人としての仕事の合間に行っている。侍女がスケジュール調整が難しいと漏らしているのを偶然聞いた事がある。
レインバード家の女主人としての仕事は、並の伯爵家の女主人の何倍あるのだろうか。
それなのにウルスラは問題児であるマリアンヌを受け入れ、毎日のように授業の時間を取ってくれている。どのように時間を捻出しているのか、マリアンヌは考えた事もなかった。
そもそもマリアンヌにとってウルスラ・レインバードとは、今まで何の関わりもなかった癖にポッと出て来て、大好きで憧れの従兄弟と突然結婚した名も知らぬ伯爵令嬢であった。
この屋敷で初めて顔を合わせてからも、いつでもかっちりと髪を結い上げ、貞淑なデザインのドレスに身を包んでにこりとも笑わない近寄り難い女性。それがウルスラだ。
授業中の口調も淡々としていて、感情的にならない分、余計に冷たく聞こえる。
今までの家庭教師達のようにヒステリックに怒鳴ったりはしないが、マリアンヌが上手くカトラリーを扱えた時だって目を細める事すらしない。
『氷の伯爵夫人』と呼ばれているのだと、レインバード邸に来る途中の馬車の中で姉が言っていたが、まさにその通りだと思ったものだ。
「……私はあの人苦手だけれど、そう、仕事は出来るのね」
「苦手、ですか」
「だって全然笑わないし、きっと急に押しつけられた問題児の私の事が嫌いなのよ。まぁ、当然と言えば当然よね」
「えっ?」
「えっ?」
マイケルがあまりにもきょとんとした顔をするので、つられてマリアンヌもきょとんとしてしまった。
そんな驚くような事を口にした覚えはないのだが、マイケルはひどく困惑した様子である。
「私、何か変な事を言ったかしら」
「変では、ないです。多分。でも……うーん」
「何よ。はっきりおっしゃい」
「……奥様はマリアンヌお嬢様の事、嫌ってなんかいないと思いますよ」
「嘘よ!」
マイケルの言葉をマリアンヌは即座に否定した。
何故ならマリアンヌにはその言葉を否定するだけの理由を幾つも持っていた。
せっかく準備してくれた授業をすっぽかした事も、嫌な態度を取り続けた事も、それに、ひどい事だってたくさん言った。
自分だったらこんな女の子絶対に嫌いになる。
けれどマイケルはやはり納得出来ないといった表情でうーんと唸り声を上げていた。




