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【連載版】伯爵夫人は笑わない【第二部完結】  作者: 文月黒
第二部

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第二部プロローグ

 ウルスラ・レインバードは、屋敷の庭を一人で歩いていた。

 少し前までは夫であるベルナール・レインバードとよく散策したその場所は、そろそろ薔薇の季節を迎えようとしており、気の早い蕾が幾つか膨らんでいた。

 まだ日も明けやらぬ早朝の庭は、夜露を含んでしっとりと濡れている。

 けれどウルスラはガウンの裾が濡れるのも気にせずに庭の中ほどまで進み、そしていつもと変わらぬ無表情で屋敷を見上げた。

 いつの間にかすっかり場所を覚えてしまって、端から窓の数を数えずとも自然に見つけられる夫の執務室の窓。

 そこに明かりがついているのを見てウルスラは小さく溜め息を零した。


 早くに起きて明かりをつけたのか、もしくは夜通しついていたのか。

 外から見ただけではそれを判断することなど出来なかったが、ウルスラはきっと後者だと思った。

 社交期が終わり、領地の屋敷に移ってからというもの、ベルナールの足は夫婦の寝室から遠ざかっていたし、彼が執務と勉強の合間の仮眠に使用している部屋もあまり使っている様子がなかった事を家令からの報告で知っているからだ。


(あまりご無理をなさらないでほしいのだけれど……)


 ウルスラは無表情のまま、もう一度溜め息を吐いた。

 ベルナールは前レインバード伯爵の宣言通り、最近正式に伯爵位を継ぎ、現在はレインバード領の領地運営を任されている。

 前当主の存命中に爵位を引き継ぐのは貴族の間では珍しい事ではあるが、それだけ引き継ぐ仕事量が多いという事なのだろう。

 そして爵位を継承してから最初の仕事について、前レインバード伯爵であり、ベルナールの父であるアルマンから『今回に限り全て一人で処理するように』と命ぜられていた。


 正式に伯爵になった際、一番最初は一人で領地運営に関わる仕事を行うというのはレインバード家の伝統だという。

 レインバード家の当主として、領地の運営に必要な仕事がどれだけあるかを実際に体験し、それらを円滑に進めていく為に己がどれだけ周りから助けられ、支えられているかを知る為である。

 この初仕事に際し、教育期間の短かったベルナールは、唯一の例外として長年レインバード家に仕え、その執務を支えてきた家令による補佐を許されていた。


 レインバード伯爵家は王国東部に広大な領地を所有している。

 領内は幾つかのエリアに区切られ、それぞれに伯爵に代わってその地を治める代官がいる。

 今後は、彼らの名前と経歴、そして得意とする分野を頭に叩き込んだ上で、領内に問題は起こっていないのか等、報告書から情報を読み取って的確な指示を出す事が求められるのだ。

 通常は代官に振り分ける仕事も実際に自分でやってみて、受け継いだ領地を運営する為にどのような仕事があり、それらはどのような順序で行われ、誰を何処に配置して何をやらせるべきなのかを覚えていくというのはかなりの気力と体力が要る。

 だが、自分の仕事についてろくに知りもしない者が領地の運営など出来ようはずもない、という事らしい。

 それを知る為だけに一人で全てやってみるというのは、なかなかに体育会系な思考の滲む伝統であるが、それも歴代レインバード伯爵家当主の多くが馬術や剣術など何らかの道に長けていたが故なのかもしれない。

 そこまで考えてウルスラはふとある事を思い出した。

 そういえば、昨年の豊作で麦の貯蔵にまだ余裕があると聞いているから、貯蔵分と合わせて値崩れを起こさないよう他の領に根回しをする必要がある。

 その事はベルナールも承知しているだろうが、果たしてそれをどう振り分けるかも悩みどころだろう。

 考えながらウルスラはまた一つ溜め息を吐いた。


 ここが正念場だというのはわかっている。

 しかしいくら義父の言い付けとはいえ、何も手伝う事が出来ないというのも、もどかしくて辛いものだ。

 実際のところ、ここで自分が手を貸す事は容易い。

 ウルスラは元々生家であるアッシュフィールド伯爵家の次期当主となるべく教育を受け、実際に領主代行として領地運営の実務経験もある。

 婚約破棄という経歴の傷を持ちながらレインバード家の妻にと請われたのも、その経歴があったからだ。

 しかし言い付けに反してウルスラが彼の執務を手伝っているというのがアルマンの耳に入れば、ベルナールの伯爵としての評価を下げる事になってしまう。

 妻の手助けがなければ十全に仕事が出来ないなどと評価されるのは、騎士の道を諦め、伯爵家を継ぐと決めて弛まぬ努力を続けてきた夫への侮辱ともなるだろう。

 ベルナールは半ば詰め込むように後継者教育を受けたが、彼自身非常に優秀な人間だ。

 アルマンとて息子の力量を理解しているからこそ、伝統であるこの課題を出したのだろう。

 それに、伯爵位を継いだ時、ベルナールはウルスラに言ったのだ。


「私がきちんと伯爵として何をすべきかを理解し、それを正しく運用出来る目処が立ったら、状況に応じて君にも手伝いを頼む事があるかもしれない。だが、その時は必ず私から依頼するから、それまでは見守っていてくれ」


 ウルスラも、知識や経験があるからとでしゃばるつもりはない。

 あくまで伯爵夫人としての領分の中で夫を補佐していくつもりだ。

 故に、今のウルスラは夫が朝から晩まで執務に勤しんでいるのを、こうして遠くから見守るほかなかった。


 今回は言い付けに従って仕事の手助けは出来ないが、出来れば自分の出来る範囲でベルナールの役に立ちたい。

 そう強く願うウルスラがベルナールの執務室の窓を見上げている間にも、庭は少しずつ朝陽を受けて明るくなっていく。

 それに伴って目覚め始めた庭園の花達が甘い香りを漂わせ始めたが、ウルスラの表情は変わらないながらもどこか翳りを帯びているように見えた。

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