14.女達の査問会
「──アッシュフィールドの名の下に、これよりバダンテール伯爵令嬢、デルフィーヌ・バダンテールの査問を執り行います」
沈黙の満ちる広い部屋に、ウルスラ・アッシュフィールドの静かな声が響いた。
デルフィーヌの他にその場に同席するのは、アッシュフィールド伯爵家次期当主、イザベラ・アッシュフィールドとその母であり現伯爵夫人のディアーナ・アッシュフィールド。そしてレインバード伯爵夫人、アンジェレッタ・レインバード。
張り詰めた空気を頬に感じ、デルフィーヌは不安と緊張でごくりと喉を鳴らした。
例の夜会の後、ウルスラはこの一件は自分が処理すると宣言し、その宣言通り両家の当主を説得すると、騎士団に監視され軟禁状態だったデルフィーヌを連れて領地へ戻る事を決めた。
バダンテール伯爵家は公爵家との結婚を控えたデルフィーヌの起こした事件を、何とか穏便に納めてほしいと言ってデルフィーヌをアッシュフィールド領へ送る事に異議を唱える事はなく、デルフィーヌは侍女を同伴させる事も出来ないままこの地へ送られたのである。
(……まさかあのベルナール・レインバードとレインバード伯爵夫人まで同行されるとは思わなかったけれど……、でも小伯爵様がこの部屋にはおられないのは幸いだったかしら)
レインバード伯爵はウルスラにこの件を任せるに際し、次期当主ベルナールを同行させる事を条件に付けたらしい。
だが、ウルスラは領地への同行は許してもこの部屋への入室は許さず、ベルナールも他の部屋で待機する事に同意した為ここにはいない。
女性しかいない空間はまるでサロンのようだが、この場の空気は痛いほど緊張を孕んでいる。
デルフィーヌは不安を顔に出さないように、口許を扇子で隠して笑みを浮かべた。
「アッシュフィールド令嬢。査問というのなら公平な判断を下す第三者が必要なのではなくて? この場に集まった皆様方を見るに、どうにも公平性に欠けるように思えますけれど」
揺さぶりにもならないような挨拶代わりの言葉に、ウルスラはこくりと頷いてから答えた。
「公平性に欠けるのは当然です。これはアッシュフィールドの主導する査問。あなたの有利は端から欠片も存在致しません」
「何ですって⁉︎ そんなもの査問と言える訳が……」
「まだお解りになりませんか。この空間は、あなたの心を丸裸にする為の空間。これから嘘偽りなく全てを告白して頂きます」
ウルスラの淡々とした声と全く動かない表情は、デルフィーヌには裁判官どころか処刑人のように見えた。
と、その時、それまで無言を貫いていたアッシュフィールド伯爵夫人が、ウルスラへ視線を向けておっとりとした口調で言った。
「ウルスラ。疑問があるのだけれど」
「何でしょう、お母様」
「この娘にそのような慈悲をかける必要がありますか? この娘はあなたを誘拐し、国外へ連れ出そうとしたのでしょう? どれも王国法に抵触するのだし、このような手間暇など掛けずとも貴族裁判にかけてしまえば良いのでは?」
浴びせられたあまりにも冷たい声音に、デルフィーヌは思わずヒュ、と息を呑んだ。
ウルスラが氷の伯爵令嬢というのは有名だが、これではその母親の方がよっぽど氷のようだ。
温和なのは表情だけで、伯爵夫人の瞳は冷たくデルフィーヌを一瞥し、改めてウルスラにデルフィーヌの厳罰を求めた。
母の意見に、ウルスラの妹、イザベラも苛立ちを露わにして頷く。
「その通りよ、お姉様。その方はアッシュフィールドを侮ったのだから、家門の教えに従って焼き払うべきだわ」
焼き払う。イザベラの放ったその一言に、さすがのデルフィーヌも動揺した。
この場にデルフィーヌの味方はいないし、何よりここはアッシュフィールド領。もしも『何か』が起きたとしてもどうとでも処理出来てしまう。
ぶわりと冷や汗が噴き出すのを感じながら、デルフィーヌはみっともなく泣き喚く事など死んでもしないと決意し、きつく唇を噛んだ。
「お母様、イザベラ。確かに初代当主は『我が家門侮る者あらば、その者だけでなくその者の親類縁者、その領地をも焼き払うべし』と教えを遺しておりますが、今回はそこまでする必要はないと考えております」
しかし、続いたウルスラの言葉は、内容こそ多少物騒ではあったが、デルフィーヌは微かに風向きの違いがあったように感じて顔を上げる。
視線の先のウルスラは、机に置いた幾つかの書類の束をめくりながら続けた。
「これがただの私怨によるものであれば私も家門の教えに従いました。けれど、今回の事件は少し気になる点があるのです」
「ウルスラさん、気になる点とは何かしら。確かうちの情報部も使っていたようだったけれど……」
「その節は大変お世話になりました。お陰様でバダンテール家に関する必要な資料が三日とたたずに集まりました。あぁ、そう、気になる点でしたね」
貴族は多かれ少なかれ情報を集める情報屋を飼っている。伯爵家筆頭家門のレインバードが抱える情報部となれば、上位貴族と同等か、それ以上のものになるだろう。
それを使ってまで、ウルスラはデルフィーヌについて調べ上げたというのか。
ウルスラが書類をめくる音だけがやけに大きく聞こえる部屋の中で、彼女はデルフィーヌの緊張の高まりなど気にせず、静かに言葉を紡ぐ。
「私がバダンテール令嬢から聞いた誘拐の理由はベルナール様と結婚をさせない為、というものでした。その言葉に嘘はないでしょう。ですが家同士の利害関係もなければ、令嬢がベルナール様をお慕いしていた様子もない。更に、私が乗せられるはずだった船について調べたところ、その船には身の回りの世話をする為の女性が乗船しており、令嬢用の客室がすぐに使えるように用意してあったそうです」
「つまり、その客室はお姉様の為に……?」
「状況を考えるとそうなります。大体、今回の件は手間も資金もかけ過ぎです。私をレインバード家に嫁げなくさせる為なら、もっと簡単かつ確実で低コストに済ませる方法が幾つもあるのに、彼女はそれをしなかった」
むしろ面倒でコストとリスクの高い手段であったとウルスラは言って、そっと書類の束をテーブルに置いた。
「何故そのように面倒な方法を取ったのか。私が思うに、バダンテール令嬢は私達の結婚を白紙にしたかっただけで、私に危害を加えるつもりはなかったのではないでしょうか」
ウルスラの言葉に、テーブルについた全員の視線がデルフィーヌへと注がれる。
デルフィーヌは努めて毅然とした態度で真っ直ぐに前を、ウルスラを見据えた。
「あら、随分と寛大で都合の良い解釈ですわね」
鼻先で笑ってやっても、ウルスラの表情はぴくりとも動かない。
この鉄面皮、とデルフィーヌは胸中で悪態をついた。
「バダンテール令嬢。今回の事件、私は本当の首謀者が別にいると考えております」
その言葉に、デルフィーヌは強くテーブルを叩いて反論した。
「お生憎様。これは全て私が一人で計画を立て実行したものよ。レインバードとアッシュフィールドが姻戚関係だなんて、これ以上権力を持たれるのはごめんだもの!」
「それだけですか?」
「他に何があるというの」
テーブルを挟んでぶつかる視線はどこまでも冷たい。
デルフィーヌが続けて口を開こうとしたその時、レインバード伯爵夫人がカツンと爪の先でテーブルを叩いた。
「……なるほど。確かに嘘ではないようですね。ただ、全てを話してはいないだけ。バダンテール令嬢、あなたが庇っているのは……あなたの婚約者ね」
社交界という戦場で常に勝ち星を上げてきた百戦錬磨の『煌めくエメラルド』ことアンジェレッタ・レインバードは、屋内でさえ煌めいて見えるその緑の瞳で全てを見透かすようにじっとデルフィーヌを見詰めていた。
思えば、この査問が始まった時から、ずっと彼女はデルフィーヌを見ていた。
(やられた……!)
デルフィーヌは、アンジェレッタが同席したのは夜会を台無しにされたレインバード家の女主人だからだとばかり思っていたが、本当の理由はこの査問の最中、取り繕ったデルフィーヌの表情の奥底を観察し、暴く為だったのだ。
貴族女性の表情を真の意味で見抜く事は、同じ貴族女性にしか出来ない。デルフィーヌは爪の先が白くなるほど強く、畳んだ扇子を握りしめた。
「こちらの書類は、ここ数年のティトルーズ小公爵様の功績をまとめたものですが、よくよく調べればその全てにあなたの関与した痕跡がありました。これらは皆、実際のところはあなたの功績だったのではありませんか? あなたは小公爵様の為に実に色んな分野で功績を上げられている。にも関わらず何故あなたの名前は表に出なかったのでしょう」
「違う! 違うわ! 全てジュリアン様の功績よ! 私はほんの少しお手伝いしただけで……。今回の件だって、私が一人で計画して、一人で実行したのよ。ジュリアン様は関係ないの! あの方は一切ご存知ない事よ!」
堪えきれずに叫んだデルフィーヌを、ウルスラ達はしばらくじっと見詰め、そしてアンジェレッタが大きな溜め息を吐いた。
「そうは言ってもねぇ……。よいこと、バダンテール令嬢。ティトルーズ小公爵様が成した功績とはいうけれど、その中にあの方の不得意分野まで入っていればいずれ判ってしまう事よ」
「え……」
「ジュリアン・ティトルーズ。王位継承権を放棄し公爵家に養子に入られた王弟殿下の御嫡男で、得意分野は芸術方面と言語学。無名の画家や音楽家の中に才ある者を見抜く事には長けているけれど、政治的な取引や商談はあまり得手とされていない。ちなみに乗馬も苦手で、船酔いするからボートにも乗らない徹底ぶり。そんな彼が難しい織物業の輸入を成功させたとか、輸送船の改良とか、土地の買収とか、ちょっと不自然でしょう」
公爵家が相手だったから大きな噂にはならなかったし、小公爵の名でちょっとした功績が残ったのは良かっただろうがやり過ぎだ、とアンジェレッタは言葉を締めた。
「そんな……、そんなはずは……」
だって、ジュリアン様は嬉しいって言って下さったわ、とデルフィーヌは声にならない声で呟いた。
『──父上が、そろそろ商談の一つでもして来いって言うんだよ。あまり向いてないと思うし気が進まないよ』
『芸術家達の為に安く借りる事が出来る住宅地を整備したいんだが、土地の買収が思うように進まなくてね。どうしたら良いだろう?』
『はぁ。聞いたかい。レインバードとアッシュフィールドが姻戚関係になるそうだ。まさかあの優秀な事で有名なウルスラ・アッシュフィールドがレインバードに嫁ぐとはなぁ。これ以上、拝命貴族に力を持たせたりしたら公爵になる私の実権も危ういな』
『あぁ、愛しいジュリアン様。ご心配なさらないで。きっと全てジュリアン様の良いようになりますわ』
ジュリアン様のお顔が曇るのは見ていられない。
いつだって何に憂う事なく、お好きな事をなさっていてほしい。
その為だったら、笑顔で私の名前を呼んで下さる為なら、私は何だって頑張れる。
──でもそれが、私の行った事がジュリアン様の名声を翳らせてしまっていただなんて。
そも、今回だって貴族に逆らえない事をいい事に、多くの人間を巻き込んでしまったのは事実だ。
「……私が、ジュリアン様の為だといって勝手にした事です。罰は全て私が受けます。どのような罰だって受け入れます。あの方は私に何かをお命じになった事は一度もありません。本当に関係ないのです。ですから、どうか……」
どうか公爵家に迷惑が掛からないよう処断してほしいと口にしたデルフィーヌの青褪めた頬に、一筋の涙が伝った。
すっと席を立ったウルスラがデルフィーヌの傍らに寄り添い、その涙をそっとハンカチで拭う。
「バダンテール令嬢、いえ、デルフィーヌ様。一つだけ教えて下さい。あなたは小公爵様を愛していますか」
淡々とした声音にどんな感情が込められているのか、デルフィーヌにはまるでわからなかった。
わからなかったが、その問い掛けにデルフィーヌの涙腺は呆気なく崩壊してしまった。
「愛しているわ。この世の誰よりもあの方を愛しているわ。あの方の為ならば、地獄の業火に焼かれる事さえ怖くないくらいに」
ウルスラから渡されたハンカチで顔を覆い、デルフィーヌはただただ静かに泣いた。
ジュリアンは公爵家の人間で、自分は伯爵家の娘だ。彼にはもっと家柄に見合う令嬢が何人もいる。
愛した人に選ばれた幸運を手放したくなかった。婚約者として実力を認めてほしかった。何か少しでも彼の役に立ちたかった。彼の笑顔を守りたかった。
自分の罪の大きさは理解している。
きっとこの縁談は破談になるし、デルフィーヌは家を出されるか、最悪貴族籍を剥奪されて平民に落とされるだろう。
覚悟はしていたが、もう二度とジュリアンに会えないだろう事だけが悲しかった。
「バダンテール令嬢」
「少し、よろしいかしら」
泣き濡れるデルフィーヌは、名を呼ばれてそろりと顔を上げた。
レインバード伯爵夫人とアッシュフィールド伯爵夫人がこちらを見詰め、少しだけ苦笑している。
「若い方の恋愛らしくて、それは素晴らしい事なのだけど、あなたのやり方はただのダメ男製造法でしかなくてよ」
「そうですよ。無言でテーブルに座り、ただ料理が出てくるのを待っているだけのようなダメな夫を作ってはなりません。夫の教育は妻の義務です」
「え……? 妻が、夫を教育……?」
言われた事の意味がわからずパチリと目を瞬かせると、デルフィーヌの目尻に溜まった涙がほろりと落ちた。
ウルスラを見れば、ちゃっかり席に戻り拝聴姿勢に入っている。
「よろしいですか、未来の夫人達」
立ち上がったアッシュフィールド伯爵夫人ディアーナはウルスラ、イザベラ、そしてデルフィーヌを順に見て言った。
「貴族家の女主人として任される仕事は多種多様です。夫を支え、家を守るのは女主人の最たる務めですが、それは唯々諾々と夫に従えば良いという事ではありません。お疲れの旦那様に最適のタイミングでお好みのお食事やお飲物を出す事は確かに大切です。しかし、最も大切なのは夫が、家門が進むべき道を違えないよう、側で見守り、時にお諌めする覚悟です」
まるで花嫁学校の授業を受けているようで、反射的に令嬢達はピンと背筋を伸ばしていた。
ディアーナの言葉をレインバード伯爵夫人アンジェレッタが引き継ぐ。
「あなた方はそれぞれ立場が異なります。伯爵家当主、伯爵夫人、公爵夫人。しかし、あなた方は皆、自分の頭で考え、自分の足で立ち、行動せねばならないのは同じです。良いですか、あなた方の務めは、図体の大きな男児の子守りなどではないと心得なさい」
はい、先生。
三つの声が揃い、それが全くの無意識から出た言葉であったので、それを口にした令嬢はパッと口許に手を添えて少なからず驚いた様子を示した。
「夫はね、甘やかしすぎてはいけないの。そうね、たまに甘やかすくらいでちょうど良いわ」
「でも甘やかす時はしっかりとなさい。与える飴はとびきり甘いものでなければなりません」
そこまで話を真面目に聞いて、ふむふむと頷いていたデルフィーヌだったが、どうしてそんな話になったのか、はたと真顔になって首を傾げた。
「あの、私は、もう公爵夫人にはなれないのではないでしょうか」
しでかした事が大き過ぎると言えば、ウルスラが答えた。
「今回の夜会でのあなたの計画についてですが、あなたお一人で考えて実行されたとの事でしたね」
「えぇ、その通りよ」
「──実に見事な手腕でした」
「は?」
今、ウルスラは何といったのか。聞き間違いでなければ賞賛のように聞こえたが。
困惑するデルフィーヌを他所に、ディアーナとアンジェレッタ、イザベラも頷いている。
「他家の夜会であるというのに、下調べから不自然にならないように人を送り込む手筈から、本当に見事なものだったわ。お姉様だってそんな事難しいのに」
「敢えて馬車で国境を目指さず、港から船を使うのも実に有効だったわね。国境には検問を張れるけれど海ではそうはいかないし」
「警護がベルナールの懇意にしていた隊でなければ、今頃ウルスラさんは海の上だったわねぇ」
「えぇ、その場合、至れり尽くせりのとても快適な航海になった事でしょう」
いっそ和やかにも見えるその会話に、デルフィーヌの混乱は頂点に達しかけていた。
ここは査問の場で、つまり自分には罪に応じた罰が与えられるのではないのか。
デルフィーヌの困惑に気付いたのか、行儀悪くテーブルに肘をついたイザベラが悪戯っぽく笑って言った。
「実質的な被害はお姉様と騎士見習いの監禁だけで、お姉様はこの通りもうお気になさっておられない。それに、夜会に損害は殆どなかったらしいの。あなたに加担した者達は厳重注意が言い渡されて、もしバダンテール家を解雇された場合はレインバード家かアッシュフィールド家で受け入れる事になっているわ。お姉様は同じ東部に嫁がれるあなたが夫の為に自分を犠牲にし過ぎる事を心配して、このアッシュフィールドで女だけの査問会を行う事を決めたのよ」
「殿方に任せたら、事実に基づいて法に則り、でも少しだけ公爵家に配慮した処断が下されたと思うけど、それは今後の貴族社会の勢力図を考えると少し面倒なのよね」
「さようですね、お義母様。貴族裁判に掛けたら公爵家との婚約は間違いなく破棄されてしまうでしょう。私は、あなたのように優秀で実力のある令嬢が公爵家に嫁ぐ事は、王国の将来の為にも非常に喜ばしいと考えています。ただ、婚約者に甘過ぎる事だけが心配で」
ぽかんとするデルフィーヌに、ディアーナは申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめんなさいね。最初に少し脅かさないと揺さぶりが掛けられないと思って、少し怖くしてしまったの」
「私も怖い顔をするの頑張ったのよ。あ、でもお姉様を監禁した事については本当に怒っているのだから、後でちゃんと謝罪なさってね」
「お父様方の説得は問題がなかったのですけれど、正直ベルナール様の説得に一番骨が折れました」
「ほほほ! 大切なお姫様を守れなかった不甲斐なさが悔しくて堪らなかったんでしょうね。うちの息子は頑固な上に負けず嫌いなのよ」
デルフィーヌはしばし何が起こったのかわからなかったが、この査問が始まった時にウルスラが口にした言葉を思い出してハッとした。
(確かに、私の心は丸裸にされてしまったわね)
ただ断罪するのではなく、そこに至った経緯を察して問題点を提示し、教え導く為に年長者を同席させて貴族夫人としての在り方をこのように伝えるだなんて回りくどい真似、そちらの方がよっぽど面倒ではないか。
この場の女性達が企んだ茶番劇にデルフィーヌは呆れたが、同時に、先程胸の中でウルスラの事を鉄面皮だなんて言ったことについては、撤回しようと思った。
「あの、このような時に言うのもおかしな話なのですが」
「まだ何かあるのですか、アッシュフィールド令嬢」
「後日、改めてカードをお送りしてもよろしいでしょうか。……お友達に、なれたら良いと思うのです……」
「私、あなたを誘拐して倉庫に監禁した上、他国に送ろうとしたのだけれど」
「はい。非常に見事な計画でした。計画書などあれば是非拝見したく」
「その向上心はもっと別の事にお向けになったらいかが⁉︎」
デルフィーヌはウルスラ・アッシュフィールド相手に取り繕っても無駄だと悟り、ツンとそっぽを向いたが、それでもじっとウルスラがデルフィーヌの返答を待っているのが感じられたので視線だけをちらりと向けて答えた。
「……送るのでしたらカードではなくお茶会の招待状になさって」
「まぁ、お招きしてよろしいのですか」
確認の問い掛けには答えなかった。
代わりにフンと鼻を鳴らすと、ウルスラは胸の前で手を組み合わせて礼を言ったので、彼女自身、やはり察しは悪くないらしいと知れた。
「全く、意味のわからない時間だったわ」
そう、デルフィーヌが鉄色の髪をかき上げて溜め息混じりに呟けば、そうでしょうかとウルスラが首を傾げた。
「私は非常に有意義な時間だったと思います」
ふわりとウルスラの纏う空気が和らいで、春の宵のようなとろみを帯びる。
相変わらずの無表情で、口調も全く変わらない淡々としたものであったのに、デルフィーヌには、その時ウルスラが微笑んだように感じられた。
──その後、デルフィーヌは一週間ほどアッシュフィールド邸に滞在して、アッシュフィールド及びレインバード伯爵夫人監督のもと、みっちりと説教された上に羊皮紙三枚分にもわたる反省文を書かされる事となった。
この反省文はアッシュフィールド家の重要書類を保管する金庫に納められる事に決定し、末代まで他家に反省文が保管されるという恥辱がデルフィーヌへの罰となった。
デルフィーヌの一件を聞きつけて、アッシュフィールド領まで迎えに来たジュリアン・ティトルーズもまた、己がデルフィーヌの優秀さに甘え、自分の為に何でもしてくれるというその献身を感じたいが故に何度も愛を試すような真似をしてしまったと深く反省し、謝罪の証として所有する鉱山の一つを譲渡するとまで申し出た。
しかし、鉱山を譲渡するとなると手続きもそこから及ぶ影響も計り知れない。
アッシュフィールド家はこれを辞退し、レインバード家と共にティトルーズ公爵家とも今後友好な関係を続けていくという、言わば盟友の誓いのようなものを交わしてこの件は完全に幕引きとなったのだった。
ただ一つ、この結果に最後まで納得しなかったベルナールを何とか宥めすかすのにウルスラが大変苦労したのだが、それはまた別の話である。