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鬼と未  作者: かたつむり3号
第一章 魅惑的な憂鬱
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05


 清々しい朝日が差し込むラッシュ家の応接間では現在、吹雪の夜に似た寒々しい沈黙がどっかり腰を据えていた。

 朝、まだ早朝と言っていい時間である。女神が眠りにつき、瞼を閉じて間もなく。ラッシュ家のタウンハウスの前に馬車が停まった。

 約束もなく、事前の連絡もない。突然の来訪者は、エドマイアであった。対応したフットマンは驚愕の余り、目の玉が落っこちそうになっていた。


「随分と急なお越しですな、殿下」


 アルフォードの声には小さな棘がいくつも生えている。

 テーブルを挟んで対面する。エドマイアは一人できた。メラニーはアルフォードの隣に腰を落ち着け、布を隔てた向こう側、険しく眉根を寄せたエドマイアの姿を(つぶさ)に観察する。


「急ぎの用なのだ、伯爵」


 貴殿の娘の件だ。

 いよいよ、と身構える。いよいよ、きた。


「メラニーが何か?」

「とぼけるな。先の夜会で彼女が行使した、魅了の件だ」


 やはりあの騒動は、メラニーが原因だという筋書きになっている。


「はて、覚えがありませんな」


 エドマイアとアルフォードの態度は拮抗する。

 娘は何もしていない。アルフォードは態度を軟化させることなく、常に一貫してメラニーの無罪を主張する。これまでずっとそうしてきた。王家が相手でも、変わることはない。


「魔素を検出できないことが、その余裕に繋がっているのかな」


 これまで幾度となく調べられた。

 魅了の魔法を行使したという証拠を集めるため、何度も何度も魔力測定器の前に座ってきた。いくら調べても魔素の欠片すら検出できないことを、多くの者はメラニーの細工だと歯軋りする。細工できないよう、大人数で囲んで監視しているくせに。


「魔力計測器を躱すとは、実に繊細な魔法操作技術だな。感心するよ」

「わたくしは何もしておりません」

「しかし君はやり過ぎた。証拠集めなど、悠長なことを言っている場合ではもうないんだ」


 メラニーの主張など聞こえなかったかのような発言に、内心で舌打つ。いよいよ強硬手段に出るつもりらしい。

 法治国家の王太子が、堂々と法を蔑ろにする。正義感の強さこそ、彼の美徳であったはずなのに。それともこれが、エドマイアの信じる正義なのだろうか。だとすれば、この国の将来は暗いものとなる。

 コンラグート王国の法とはつまり、女神の教えそのものだ。これは、神への反逆なのだろうか。


「己の力を過信して、王太子にまで手を出すとは……。調子に乗ったな、メラニー嬢。自分の魔眼が王家にまで通用するとわかって、さぞ気分が良かっただろう」


 ――やはり。

 やはり、そういう筋書きになっていた。

 エドマイアの中では、メラニーの慢心が王家に牙を剥き、そして今、それが裁かれようという場面なのだろう。


「わたくしは何もしておりません」

「どう証明する?」


 どの口が言うのか。

 アルフォードが奥歯を噛みしめる音がした。その腕に手を添え、反論を引き受ける。


「わたくしは、公の場に出る際は必ず目を塞いでおります。家族以外と対面する際も同様です。この目隠しは大神官さまよりいただいたもので、効果は保証されております。わたくしの魅了はこの布を越えられない。この事実は、陛下もご存知のはずですわ」

「その大神官が、そもそも魅了されていたのではないか?」


 息を呑んだ。アルフォードも絶句した。

 恐ろしい言葉だ。

 この国で大神官を侮るということは、すなわち女神を侮ると同義である。女神が言葉を交わす相手として選んだ者だけが大神官の地位を得る。彼らの言葉は女神の言葉。この国での常識だ。女神信仰の根づくこの国で、大神官は王家にも脅かされない独立した権能を有している。それほどまでに重宝されている存在を、あろうことか王太子が侮辱するのか。

 沈黙した二人をどう思ったのか、エドマイアは平然と言葉を吐く。


「とにかく、君はその魔眼で多くの貴族を誑かした。一体どれほどの悲劇が生まれたことか。僕も被害者だ。責任はとってもらう」


 どの面を下げて自身を被害者であるなどとのたまうのか。気になってとっくり顔を見るが、自信に満ちあふれた腹の立つ顔をしているばかりであった。

 王太子だからと言葉に気を遣っていては、押し切られる。メラニーは腹を括った。


「わたくしを口実に、それぞれが悲劇を起こしたのです。責任は各々で取るがよろしいでしょう。巻き込まれたわたくしこそ、みなさまに責任を問いたいところですわ」


 カッとエドマイアの顔に朱が走る。怒りが沸点を超えたのだろう。


「図々しいことを言うな! ぼくが慈悲をかけなければ、貴様など即刻打首だぞ!」


 慈悲、という言葉が引っかかった。眉を顰めたメラニーが抱いた困惑の気配に気づいたのか、エドマイアは鼻を鳴らした。

 感謝するがいい。

 偉そうな言葉に眉根がきつく寄る。

 布を垂らしていてよかったと思うのはこういうときだ。顔をさらしているアルフォードでは叶わない、取り繕わない感情を顔に彩ることができる。


「王命だ」


 無造作に投げて寄越された羊皮紙には、王家の印があった。アルフォードが拾い上げ、広げる。みるみる険しくなる表情が何事かを物語るより先に、エドマイアがせせら笑った。


「フェブリエ領へ行け。シオンベール侯爵家は、貴様のような女でも嫁にもらってくれるそうだ」


 投げつけられた言葉を、理解することができなかった。

 脳内で繰り返し言葉をなぞり、口の中で呟き、噛み砕いてようやく『嫁』という部分が脳に沁みた。 

 嫁に、もらってくれる。シオンベール侯爵家に嫁げと、エドマイアはそう言ったのだ。


「は、……?」

「いつまでもフラフラと男遊びに興じられては迷惑だ。ぼくが直々にお前の嫁ぎ先を斡旋してやる。北の僻地でせいぜい大人しく息だけしていろ」


 隣に座るアルフォードの纏う空気に殺意が混じるのを肌で感じた。握りしめたこぶしの中、羊皮紙の潰れる音がやけに大きく聞こえる。


「用は以上だ」


 見送りは結構。

 勝ち誇ったエドマイアの顔を睨みつけることも忘れて、メラニーは父の腕をきつく、きつくつかんだ。殺してはいけない。それだけで脳を満たし、他はすべて、切り捨てた。

 殺してはいけない。人殺しは、いけないことだ。

 ちくしょう。

 口端からこぼれた声は果たして、父と自分、どちらのものであったのだろう。

 

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