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鬼と未  作者: かたつむり3号
第一章 魅惑的な憂鬱
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02


 メラニー・ラッシュは転生者である。

 地球生まれ、日本育ち。よく食べ、程良く学び、しこたま遊ぶ。売りに出せるほどに元気な娘であった。

 幸福な人生であったと思う。短命ではあったが、十七年の人生で獲得できる幸福の大部分は受け取ることができたと思う。


 生きていくのに不自由を感じたことはなかったし、友達もわんさかいた。特別に秀でた才能などは持ち合わせなかったが、その分、しがらみなく奔放でいられた。人間関係は極めて良好。家族関係という点においてはなぜか、友人たちから『冷めている』という評価を頂戴するばかりであったが、それもまた自覚するほどではなかった。


 幸福であったと思う。おおむね、問題なく、幸福な人生であった。


 平日でも休日でも、彼女の周囲には友人たちがいた。苦労して入学した高校ではあったが、学ぶために通っているのか友人たちに会いに行っているのか曖昧になっている節があったことは否めない。彼女の口角はいつも上向いていた。悩みがないのが悩み。そう豪語して憚らない娘であった。

 冷めているという家族関係についても、ことさら不幸であると思ったことはない。

 優秀な兄と美しい姉のいる家庭で、平々凡々な頭脳と人畜無害な顔を持って生まれた彼女の肩身は狭かった。学業では兄に及ぶべくもなく、人望では姉の威光に掻き消された。両親の愛情は彼女の分まで余らず、おこぼれでは不自由のない生活だけが保障された。


 しかしそれが何だというのか。


 メラニーは楽天家であった。

 立派な両親は仕事に日々を食われ、ほとんど家に寄りつかない。兄は成績を維持するため、朝から晩まで机に齧りついている。姉は自身へ向けられる感情が好意か好奇かあるいは悪意か、見極めることに神経を尖らせ忙しない。

 家族の誰にも勝てない代わりに、彼女は家族の誰よりも穏やかな生活を送っていた。どうせ期待されていないのだから命を削るほど勉学に励む必要はない。適度に学び、大いに遊んだ。美醜のどちらかに振り切れた顔でないのだから勝負は必然、初手から中身だ。何のしがらみもなく普通に友人をつくった。


 人並みに恋もしたが、誰かの特別になるには情熱が足りなかったのだろう。縁がなかったことを寂しく思うこともあるが、短命であったので、恋人を喪うという重量級の悲劇を誰かに負わせず済んだと思えば気も楽だ。

 兄妹と比較され後ろ指を指されることもあったけれど、ないものを羨んでもしかたないとすぐ諦めた。

 はつらつとした娘であったので、大人からもそれなりに好かれた。家族の誰かと比較して、その差に落胆する大人も一定数は存在したが、過剰な期待をされなくて済むのはむしろ楽だった。


 それに彼女は、自身のことを周囲ほど嘆いたことはない。


 周囲からどう見えていようとも、家族の関係性は悪くなかったように思う。険悪というほど荒んでいなかったし、不和というほどギスギスもしていなかった。

 兄も姉も、劣る妹をそれでも邪険にしなかった。声をかければ返事があるし、時間が合えば共に食卓を囲み、何気ない会話で笑い合う日もあった。

 そんなわけで、メラニーはわりと日々を愉快に過ごしていた。前触れもなく降ってくる心ない言葉に傷つく暇も、周囲と己を比較して幸福でない理由を炙り出す暇もない。今日も明日も明後日も、友人たちとの面白おかしい予定がいっぱいだ。

 ……どこかの誰かが恋人を喪う悲劇は起こらなかったが、大好きな友人たちが友を喪うという悲劇は起きた。そればかりが申し訳なくて、考えるたび気が重くなる。


 事故だった。

 高校への最寄り駅、ホームで電車を待っている彼女の背に何かがぶつかった。朝の登校、通勤ラッシュで人のごった返すホームは、蠢く巨大な塊のようになっていて。躓いた誰かが別の誰かにぶつかって。そうやって生じた波の端、ホームの最前列で電車を待っていた彼女へも波がきた。電車はまだ到着しておらず、先頭であったため衝撃を逃がす『誰か』もいなかった。彼女はぶつかった勢いのまま弾き出され、線路へ落ちた。

 ドラマみたい。

 遠くから迫る電車の音を聞きながら、降り注ぐ視線に肌を刺されながら、向けられるセルフォンのカメラを睨みながら、彼女が最期に思ったのはそんなことだった。


 ――死んだと思った。事実、彼女は死んだ。ただそれを受け入れることは困難を極めた。だって目が覚めた。

 彼女はぱっちり目を開けて、怪我の一つもなく、起き上がった。


 季節が悪かった。

 意識が戻って、目を覚まして、まず思ったのはそんなことだった。

 冬。それも冬のど真ん中である。防寒のため、制服の中から外から暖を詰め込んだ格好は動きにくい。

 時期も悪かった。

 定期テストの二日目。教科書もノートも課題集も、鞄にパンパンに詰まっていた。肩が外れるかと思うくらい重い鞄は、起き上がるという選択を霞ませた。だって本当に重かったのだ。人波を縫うように歩かねばならない朝の駅で、ちょっと肩がぶつかっただけでも容易くバランスを崩すくらい、彼女の重心は鞄を抱えた右に傾き過ぎていた。

 落ちたときに擦りむいた膝が痛くて。線路に落ちた、という現実は現実のくせにあまりに現実味がなくて。

 瞬きしているうちに視界が横倒しになって、それで終わり。これで生きていたら、きっと神と仏がその辺でタップダンスしていたのだ。ご機嫌に酒を飲んで、奇蹟を大盤振る舞いばら撒いていたに違いない。


 白い空間である。

 上も下もない、前も後ろもない。彼女は確かに立っているが、床と呼べるようなものが広がっているのか定かでない。不思議な感覚だ。

 いわゆる天国と呼ばれる場所であろうか。その割には誰もいない。静かだ。

 この世は蝶の見ている夢である、という話を何かの授業で聞いた覚えがある。古典か歴史か、あるいは語り好きな教諭が担当していた数学であったかもしれない。蝶が目覚めるのだろうか。夢と現の狭間であるから、こうも無機質なのだとしたら、自分は間もなく消えるのだろうか。


 つらつらと取り留めないことを考える。思考する以外に、できることがなかった。

 しかし長くは続かない。自分で言うのも泣けるが出来のいい脳みそではないし、そうなるべく奮起して育てたこともない。独りぼっちでいつまでも思考を続けられるような想像力も持ち合わせていない。蝶よ、目覚めるのなら、ちょっと急いでくれまいか。


 どうしたものかと呻っていると、それは突然きた。

 閃光。ただでさえ真っ白で何もわからない空間が、発光した。眩しい。ぎゅっと閉じた瞼の外で、白光がチカチカ動き回っている。

 ややあって、グレアが和らぐのを感じた。頭がくらくらする。そっと瞼を持ち上げて見ると、目の前には人がいた。否。人間ではない。淡く発光する、それは女の形をした何かであった。


 長い髪はまるで天の川のように流れている。こちらを見つめる双眸は満月を思わせ、金とも銀ともはっきりしない。美しい、気味が悪いほどに美しい女である。

 女は視線が交錯するや否やその双眸から涙をあふれさせ、


『可哀想に』


 開口一番、言い放った。


『家族に愛されなかっただけでなく、残念な事故で命を落とすなんて』


 可哀想に。女はまた言った。

 愛されていなかった。

 決めつけるなよ。傷つくだろうが。

 メラニーはムッとした。両親は愛情の分配が下手なだけで、出来損ないの末っ子にまったく興味がなかったとか、そんなことないから。外聞が悪いから生活は保証していたとか、仮にも娘相手にそんな薄情なことはないだろう。

 確かに褒められたり抱きしめられたり愛の言葉を贈られた経験は少ない……ちょっと思い出せないけれど多少はあったはずだ。ない、とかそんな極端な結論を出すのは早計だ。多分、あった。あったはずだ。きっとあった。

 仮になかったからと言って、それがつまり愛されていなかったということにはならない。怒鳴られるでも、殴られるでもなく、彼女は健やかに育っている。やってみたい、と言ったことは概ね叶えてもらえたし、やりたくない、と言ったことを強制されることも少なかった。学業の成績については不満もあったようだが、毎度の定期テストで満点ばかりを量産していた兄に比べればどんな結果も劣って見える。それでも赤点をとったことはなかったし、平均点を下回るような結果を残したこともなかったのだから、上々だろうと思うのだ。彼女の両親は少々、理想が高かったのだろう。

 親の愛情とはとかく、子には見えにくい。きっと、そう。それだけのことだ。


 兄と姉に関してもそうだ。自分のことで手いっぱいで、妹に構う時間が足りなかっただけに決まっている。劣る妹の相手をして自尊心を保っていたとか、自分より下の存在を眺めて安心していたとか、そんなことはないはずだ。

 意地悪を言われたことも、されたこともない。一緒に遊んだことも出かけたこともなかったけれど、二人とも忙しかったのだからしかたないだろう。大学生と高校生では、一日のスケジュールがそもそも違うのだ。彼女は彼女で、友人たちとの予定がびっしり詰まっていた。タイミングが合わなかっただけだ。

 兄も、姉も、妹に対して無関心ではなかった。愛情を言葉にするのは照れくさい。他人同士でさえそうなのだ。気安い分、家族のほうが難しいのだろう。愛はあった。喧嘩すらしたことがないのだから、不仲であったはずがない。きっと、そう。そうに違いない。


 愛は、あった。

 脳裏を巡る言い訳が底をついて、きつく口を引き結ぶ。

 冷めている。今になって、こんな場面で、友人たちの言葉が効いてくる。言葉の上手なオブラートの包み方なんて、一体どこで履修したんだ。優しさにぐるぐる巻きにされて、ちっとも気づかなかった。もっと真剣に聞くべきだったのだ。メラニーは歯軋りした。

 幼い頃からなんとなく抱えていた違和感や疎外感が押し寄せる。泣くかと思った。――泣いてたまるか。


『大丈夫。あなたの魂は私が責任をもって幸せにしてあげる。安心して。私は愛を司る女神だから、愛し愛されることに関しては神々の中でも一番なの』


 任せて。

 力強くこぶしを握って見せた女神を殴り飛ばさなかったことを、今でもたまに後悔する。殴っておけばよかった。殴るべきだった。

 目の前にいる存在が女神とかいう非現実的な存在であるとか、蝶の見ている夢にしたって壮大過ぎる。これはさすがに、人間の見ている夢だろう。本当に蝶の夢だとしたら、想像力で負けている。それこそ泣きそうだ。


『心配しないで。うんと可愛い女の子になるよう手配するから、家族だけじゃなくて、あらゆる人に愛してもらえるわ』


 これは、遠回しに不細工だと言われているのだろうか。メラニーは憤慨した。美人ではなかったが、不細工と言い切れるような造形ではなかったはずだ。姉が突出していたために、比較した際の落差に天地を感じただけだろう。

 少なくとも友人たちからの評判は悪くなかった。彼女たちは優しかったが気安く、また容赦もなかったので、浮腫んでしまった顔や失敗した化粧、切り過ぎた前髪など不細工には遠慮なく『ブス』と剛速球を投げ、呵々大笑する連中だった。

 平凡な顔にもそれなりの飾り方がある、とみんなで化粧の研究をする過程で化け物を生み出したことも、二度と再現できなかったが見違えるような可愛らしさを彩ったこともある。姉のお下がりが大量に舞い込む彼女は、その手の品に不自由したことはないので、研究会では大いに活躍した。

 顔は普通だが肌は綺麗。それが友人たちから贈られる彼女の顔面に対する評価だった。姉のお下がりのおかげである。とある朝、雑に顔を洗い適当な化粧水をぶちまけた姿を目撃され、二時間かけて説教されたので作法も心得ていた。その日は学校に遅刻した。


 ……感傷に浸るには早過ぎるだろうか。鼻の奥がツンとして、メラニーは鼻をすすって誤魔化した。ほら見ろ、姉との愉快なエピソードがこんなにもすんなり出てくる。強がってみるも声には出せなかった。


 死んだと思う。けれど目の前で嬉々として顔面をほころばせる女神の話を聞く限り、どうやらこのまま終わりではないような気配がする。

 この女神は一体、何の話をしているのだろう。今更ながら彼女は首を傾げた。

 責任をもって幸せにする。女の子になるよう手配する。

 女神の言ではまるで、彼女は生まれ変わるようではないか。輪廻転生というのだったか。しかし六道に堕とされるような悪行をした記憶はない。ああ、でも人間に生まれ変わるような物言いであるのだから、人間界に転生するのかしらと思い直す。だとしたら惜しかったのかもしれない。

 殺生など考えたこともない。盗みを働いたこともない。不貞行為に至っては、恋人の縁さえなかった。飲酒の経験も当然ない。であれば嘘か。嘘を吐いたことくらいは、さすがにないと断言できるような品行方正な生き方はしていない。とはいえ犯罪に結びつくような仰々しい嘘を吐いたことはない。せいぜいが自分を可愛がって吐いた些末な内容だ。


 そうではない、と理解している。わかっていながら、彼女は現実からの逃走を試みる。


 真に輪廻転生に関する話であるのなら、女神が手ずから幸せにすると宣言する意味がわからない。罪をすすぎ、解脱するために魂を巡らせるのだ。生前の不幸を、違う人生で得る幸福で上書きするためではない。

 兄が読み終え、使い古して寄越したお下がりの本の中に、そんなことを書いているものが交ざっていた。覚えている。そら見ろ、兄との思い出もあるぞ。

 輪廻転生でないのなら、女神の慈悲で生まれ変わるというのなら、彼女の人生は本当に不幸だったということになってしまう。それは、嫌だ。


『運命の相手も決めましょうか』


 もうなんだか色々と追いつけない彼女など置いてけぼりで、女神はどんどん話を進行する。


『どんな人が好き?』

『あなたのことは嫌いです』

『どうしてそんなひどいこと言うの!?』


 愛の女神というのは、脳みそに花でも咲いているのだろうか。ヨヨヨ、と涙を流す女神に、メラニーはただ困惑した。

 どうして好かれると思うのだろう。

 人の人生を勝手に評価しておいて。家族との関係性に決定的な亀裂をいれておいて。おまけに顔まで否定された。頭が悪いと言われるより腹が立つ。


『もう、意地悪を言うと嫌われちゃうわよ』


 めっ、と頬を膨らませる姿は平時であれば愛らしくも思ったかもしれない。本当に造形だけは素晴らしく整った女神である。しかし今はただ、腹立たしい。ぶん殴りたくなる顔、とはこういうものを指すのだろう。

 好かれたくない。少なくともこの女神には。強く思った。


『う~ん、……まあ、恋人はいなかったみたいだし、運命の相手を決めておくより、色々な人と付き合ってみて、その中から一番を決めるほうがいいかもしれないわね』

『え、ちょっと――』

『よし、決めた!』


 確かに恋人はいなかったけれど、だからと言って自由恋愛で男から男へ渡り歩きたいという欲求はない。大勢から一人を選ぶ、というのは未知の発想であった。しかし制止は間に合わず、ぱんっ、と手を叩いた女神は爽やかに宣言した。


『あなたに特別な目を授けましょう』


 魅了の魔眼。

 これを持っていれば、あなたはみんなに愛される。

 にこやかに告げる女神に、あのとき、自分はなんと言ったのだったか。あまりの事態に記憶が曖昧だ。


 魅了。

 世にあふれるロマンス小説の中で大流行している魔法だ。恋愛におけるライバル、噛ませ犬、邪魔者、悪役。主に主人公とヒーローの恋を阻む、障害となる存在が行使する力で、そういった存在はそのほとんどが物語から退場する。恋を盛り上げるためにありったけの油を投下し、轟々と燃える恋の炎の前に焼き尽くされるのだ。

 そんな力を、女神はメラニーを幸福へ導くために授けるという。


 バカなのだろうか。

 さてはこの女神、あんまり頭がよくないな。

 メラニーは胸を焼かれるような拒絶感に思わずえずいた。

 幸せになれる未来がちっとも想像できない。苦労しかないだろうと容易に想像がつく。乏しい想像力でもそれくらいのことはわかる。

 断った。拒絶した。はっきり『要らない』とそう言った。

 しかし女神は鼓膜から芽が生えそうなのかちっとも話を聞いてくれなかった。


『今度こそ幸せになれますように』


 そんな言葉で締めくくって、そうしてメラニーはメラニーになった。

 幸せでなかった。

 だから決めつけるなよ。泣いたらどうするんだ。視界が滲んだのはきっと、意識が遠くなったせいだろう。絶対に、そうに決まっている。

 

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