第02話「狭間の世界から来た賢者ロボ・クレヴァリー」(1)
少女を担ぎあげながら、白銀色の鋼鉄巨人を見上げていた皮鎧の男の足の震えが緩やかになっていく。
男の目にも生気が戻り始め、背筋もピンと伸びていく。
全身を強張らせているが、それは今や恐怖が理由ではなく――反撃の機会を逃さない為の緊張だった。
ごくりと唾を飲み込んだ男は静かに口を開いた。
「よく分からねぇが……こいつらに呼ばれて来たって事か」
体表から浸透させた為、直接飲ませるものに比べれば効果は薄いだろう。
だが、体を強張らせ、まともに喋れなくなる等の結果は充分に見た。
もはや、まともに体が動かないはずなのに、何としても娘を取り返さんとしている母親に片目だけを向けてから、皮鎧の男はゆっくりと口を動かし続ける。
「これだから、異世界人はおっかねぇ」
声に多少の震えはあるが、その目には先程まではなかった闘志がある。
鋼鉄の巨人――かつて、デザインしていた賢者ロボット・クレヴァリーになってしまった自分に対し、まだ何かを仕掛ける気でいる事を感じ取り、研介は文字通りの鉄の拳を無意識に握りしめていた。
(何で、戦おうとするんだよ!?)
「その二人を解放すれば、私は君達を追うつもりはない」
その一言は諸刃の剣。
彼らが大人しく去ってくれる可能性も高めるが、同時に人質としての価値も高めてしまう。
そして、賢き者は賭けに――。
「ラクル。巨獣対策の残りは?」
皮鎧の男は逃げようと暴れ続ける白音の腰を更に強く掴み、その幼い顔を苦痛に歪めさせる。
カメラの焦点を合わせていたかのように、研介はその一瞬を直視してしまった。
(何が何でも、白音ちゃん達を連れて行く気か! 向こうの二人組を叩き潰すぞって脅そうか?)
研介は静かに、だが力強く息を吸い込みながら、鋼鉄の右手を左腰の鞘へと伸ばしていく。
金属製の為、決して変わらないはずの表情が憂鬱そうに見えるのは、月光の陰りの影響だろうか?
「無加工の素体だけだ」
「構わねぇ。出せッ」
痩せ気味の男は渋い顔で懐に指を突き入れたが、何かを握るような動きをした瞬間、顔つきを変えた。
夜の静寂を切り裂かんとばかりに素早く引き抜かれた指先には、小さな何かがあったが、周りの者達がそれが何かを認識する事は出来なかった。
(あれは何だ?)
研介は白音を救うチャンスを一瞬も逃さんと、鎧の男達の動きを注視し続けていたが、空中に放られた何かに無意識に視線をやってしまう。
すると、同時に複数の番組を見ようとしている時のように、視界の中に小さな小窓が現れる。
そこに映し出されていたのは粘土で作られた小さな人形だった。
だが、それは内部から膨らませられているかのように、もの凄い速度で膨張をしていく。
大人の男であれば、一掴みに出来ただろうサイズから、子供くらいの大きさになるまで一秒もかかっていないだろう。
その細長い手足が極太のものへと変わり、研介と並び立てる大きさになるまで、ほんの数秒でしかなかった。
(で、デカい)
巨獣という言葉の響きから、自分のような大きさの獣が存在し、それに対抗する術がある――と推察。
連想を出来ていた手段の一つだったとしても、研介は無意識に後退りしてしまう。
と言っても、巨人がやった後退りである。
彼は助けるべき二人から、十数メートルも離れてしまった。
(けど、何で)
「何故、うな垂れているんだ?」
研介が心の中で呟き、皮鎧の男が困惑顔で口にしたように、二体目の巨人は白銀の巨人に挨拶をしているかのように、不可解な体勢をとっている。
そう。頭を下げ、両手もぶらんと垂れ下げており、戦意など微塵も感じられない。
「素体しかないって、言っただろ……。骨も入れてないぞ」
だから、やりたくなかった――と顔に書いてある瘠せ身の男の声を聞き、皮鎧の男は勘弁してくれ――と言いたげに顔を顰めた。
(予定していた反撃手段が使えない? ならば、大人しく、立ち去ってくれるか?)
そして、研介が心の中でほっと一息を吐いた瞬間だった。
皮鎧の男は乱暴に髪を掻きむしり、ギリギリと歯ぎしり音を鳴らした後に口を大きく開いた。
「足止めになるなら、何でもいい」
皮鎧の男は投げやりな口調で呟き――。
「とっとと、起こせ」
あまりに静かであり、夜闇に溶けて消えそうな声。
だが、刃を喉元を一突きするように、殺気を濃縮した声を発した。
「聞け。命無きモノよ」
瘠せ身の男は力強さとは無縁だが、確固たる意志が込められた拳を無気力な巨人へと向ける。
「今より、汝に仮初の生を与える」
直後、その握られた手が大きく開かれた。
「我等を追う者、その全てを止めよォォッ」
瘠せ身の男がか細いが、重みのある一声を発し終えると同時だった。
垂れ下げられていた右手が、指先の無い手がぶんッと振り上げられ、突風を巻き起こす。
それが更に顔色を悪くしていた男を転ばせ――。
(な、何だ! 今の曲がり方!?)
人間には。
否、肘関節のある生き物には出来ない振り上げ方に驚き、研介はまた後退ってしまう。
そして、大きく空振りをした右手は再度のカーブを描き、無防備だった彼の脇腹に向かって、一気に振り落とされた。
「ァ!?」
もし、鋼鉄の巨人同士が組み合っていたのなら、それは落雷のような轟音と迫力を生み、時に心を揺さぶる程のエネルギーを生じさせただろう。
だが、金属と非金属がぶつかったならぱ――。
ガァッンと金属が叩かれた音と同時に、グチャンと何か柔らかいモノが潰れたような嫌な音が湖畔に響いた。
(の、のっぺらぼう!?)
荒い息を吐きながら、おぼつかない足で踏ん張ろうとするも、よろめいてしまったた研介。
彼が脇腹の痛みを堪えていると、無気力な巨人の頭がゆっくりと持ち上がっていった。
目も鼻も口も無いのに、顔だと分かる相手の顔が。
「うぉッ」
驚き、後退った研介の眼前を指先が無い手――真ん丸で物など掴めそうもないが、手だと分かる手が振り抜ける。
直後、関節が無いからこそ出来る奇怪な動きをするも、研介は咄嗟に防御の構えをとっていた。
(ぐにゃぐにゃと動くのが、気持ち悪いと思ったけれど)
顔の無い巨人の右手が空気を裂く勢いで振り上げられ、しなやかな弧を描きながら空中を舞った。
直後、目で追う事など出来そうもない速さで振り落とされたが、最大の効果を発揮する最大加速前に研介の鋼鉄の左肘が立ち塞がる。
そして、またも不快な音が湖畔に響いた。
(要は漫画とかで見た鞭か。だが、だとすると……出来る事が多過ぎる。なんて厄介な)
得体の知れないものに対する恐怖は消えた。
その代わりに現れた。
否、理解してしまった。実体が分かるからこその恐怖に研介は体を強張らせ、両の拳をぎゅっと握る。
対して、その根源は再び俯いた状態になりながら、右手をぶらぶらと前後に揺れ動かし始めていた。
「うォ! いけるんじゃねえかッ!?」
「負けるなァァァ。賢者ロボォォッ」
皮鎧の男は捨てていた勝負の思わぬ展開に喜色を露わにし、抱えられている白音が声援をあげた時だった。
ドスッドスドッと地響きを立てながら、顔の無い巨人が前進を始め、研介は静かに後ろに一歩下がると同時に腰を捻る。
「ボディィィブロォォッ」
叫びは湖畔を震わせ、白銀の拳は夜闇を切り裂きながら、見事な曲線を描く。
硬い物が柔らかい物に打ち込まれる音を。
否、突き刺さっていく生々しい音を月光の下で響かせた。
(うッ)
生きた人間では無いにしても、人型をしている為だろう。
数時間前の、オフィスでの乱闘で役員の一人をダウンさせた時を。
ぶよぶよの腹に拳が深々とめり込んだ感触を思い出し、研介は凍ったように動きを止めてしまった。
ズゥゥッン。
走っているところに打ち込まれた為、余計に威力が増したのだろう。
腹部に相当するだろう箇所に、遠目にも分かる程の陥没を作られた巨人は仰向けに倒れ、ドォォォンという衝撃波で夜闇を揺らした。
「ッ」
「ひぃぃぃ」
「ぃろぇ」
痩せているとはいえ、自分よりも身長のある男に肩を貸していた為、立ち難そうにしていた小柄な男。
彼は巻き起こった猛烈な風に飛ばされた瘠せ身の男に引っ張られるかたちで、木々の方へと転がっていった。
暴漢達を吹き飛ばす風の中、地面に腹ばいになって耐えきった母親は歯を食いしばりながら、娘を助け出そうと皮鎧の男の方へと這って行く。
(くそっ。二人を助ける絶好の機会だったのに)
研介の苦悩を金属製の顔に反映せんとばかりに、月光が陰る中、めり込み痕を作られた巨人が立ち上がり始める。
否、イカが無理やりに立ち上がろうとしているかのような姿勢を。
人間や骨のある生物には出来ない不気味な起き上がりをしていた。
「ストレェェット・パァァァンチ」
生理的な嫌悪に駆られながら、研介は無意識に叫びながら、その鉄の踵で大地を踏んで鉄の拳を一直線に伸ばす。
最初に地響き、次に風切り音。
そして、柔らかい物に硬い物が打ち込まれる音と、金属が何かに叩かれた生々しい音も続いた。
(痛みを感じないのか?)
腹部と額に鉄拳の痕を刻まれながら、何事も無かったかのように、ゆらゆらと両手を動かしている。
そんな顔の無い巨人と対峙しながら、研介は脇腹に左手を当てていた。
体が金属であろうと痛みを感じる事を、自分が『人間』である事を喜ぶべきか? それとも――を迷いながら。
(それに今の……変化球どころか、野球漫画の魔球だ)
起き上がりながら、振ってきた右手を避けた――つもりだったが、相手の今度の拳は単純なカーブを描かなかった。
予期せぬ獲物と出会った飢えた蛇のように、地面を移動する時のように左右に揺れていたのが、鋭角を描きながら浮き上がったのだ。
(鞭はあんな動きも出来るのか!? だが、振り回された時よりは軽かった)
しかし、一撃が重くなかろうと、蓄積をし続ければ。
何より、相手はダメージを感じていない様子なのだ。
ならば、何れは――。
(流石に内臓に重い一撃を与えれば)
目の前の相手は厳密には生き物ではないのだろう。
今、この時まで、研介は頭ではそれを理解をしていても、踏ん切りをつける事が出来ていなかった。
そして、意識を切り替えたつもりの今も、止めを刺すという行為に恐怖を覚えていた。
しかし、それでも、何を優先するべきかを考え、鋼鉄の足で湖畔の湿った大地を蹴ると宙へと舞った。
研介が動きを制限される空中に跳ぶのを狙っていたとばかりに、顔の無い巨人は前後左右に揺れ動かしていた右腕を一気に振り上げた。
バァァン。
指先の無い右手が曲線を描きながら、研介の左腿を激しく殴打した。
(くゥ)
鋼鉄の塊の巨人である。
自由に動けない空中にいる時に、思わぬ力を加えられたからといって、撃墜をされるような事は無かった。
多少、不格好な体勢での着地を強いられた研介は湖畔に衝撃波を生じさせながら、鉄の膝を折り曲げ、大きく引いていた右肘を――。
「ストレェェット・パァァァンチ」
大気を震わせる叫びと共に解放し、その拳で顔の無い巨人の左胸部を貫いた。
同時に巨人達の眼下でも――。
「白音を返せェェッ」
娘を助けんとする母の拳が暴漢の顔面に炸裂していた。
「ッ!?」
だが、彼女は驚愕で目を見開く。
不意打ちであり、顔面中央を捉えており、怒りを煮詰めたよう一撃だった。
しかし、不幸な事に、それを受けたのは殴り合いに慣れている男であり、仕掛けた側は毒で体の自由が効かない女性だった。
「本来の……あんたのパンチだったら、もっと効いたんだろうが」
皮鎧の男は暴れる少女を片手で抑えつけ、残る片手を荒い息を吐く女性の手首へと伸ばす。
その何度も殴打されたと分かる鼻からは、薄っすらと血が流れていた。
「捕まえ――ッォ!?」
だが、その荒れた手が細い手首を掴まんとした瞬間、捕まっていた少女がこれまで以上に激しく暴れ始めた。
このままでは、落しかねないと皮鎧の男は咄嗟に腰を落とし、しっかりと抱えられるように肩から、胸元へと移動をさせた。
「えぇぇぃ」
少女――白音は母親がやったように、暴漢の顔面に拳を打ち込むつもりで、右の拳を思いっきり突き出した。
「むぅげッ」
だが、その手は小さ過ぎた。
彼女の拳が突いたのは、否、突けたのは――。
「い、痛ェェェ」
「ママ」
片目を必死に抑える皮鎧の男の一際堅い胸部を踏み台のように一蹴り。
白音はバク転をしたような姿勢でエプロンをなびかせ、月光の下で華麗に舞う。
その可憐で幻想的な姿は絵物語で描かれる妖精のようだった。