第01話「愚者/母娘/xxが願った事」(3)
蛇原研介は夜空で月明りを浴びている自分自身を客観的に見ていた。
但し、それは比喩ではない。
(漫画とかで、自分の死体を見るのって、今の俺みたいな気分なんだろうな)
月に向かって、耳のようにも見える羽角をピンと伸ばし、新雪のように白い鳥の羽を彷彿とさせる布を幾重も重ね合わせたマントを風に靡かせている。
左腰の鞘に剣の代わりには、猛禽類を模しているとわかる槌頭の杖。
見るからに重そうな白銀色の装甲で全身を包んでいるのに、それが自然な姿だとばかりに空高く浮いている自分を見ていた。
(けれど、どう見ても)
但し、その全身は妙に角ばっていた。
鎧を着ているというよりも、立方体を纏っていると言う方が近いだろう。
(西欧の鎧騎士というより……ロボットだ)
疑問を持つ事が? もしくは、今の自分を認識する事が引き金であったのだろうか?
雲が風に流され、右目にかけられた白銀色の片眼鏡が月光を反射した時だった。
テレビで見る番組を変えたように、研介の視界は唐突に切り替わる。
「やっぱり、これは人間の手じゃな――ウォォォッ!」
薄れる意識の中、見えた誰かの手を掴もうと、まっすぐに伸ばしていた右手を。
変貌し過ぎた右手を見ながら、呟いた直後に、誰かに引っ張られたように体が一気に沈む。
それに驚き、夜空を震わせる程の叫びをあげたとしても、致し方の無い事だろう。
(お、落ちてる!?)
そう。空中に浮かんでいた研介の体は今、猛スピードで地面に向かっていた。
但し、両足を整えての降下などではない。
一見、プールへの飛び込みのようだが――無意識に拳を作っていた右手だけを真っすぐに伸ばしている。
そんな体勢での落下だった。
(さっきまで、浮かんでいたのに!?)
空中で静止していた方がおかしい――と冷静に考える暇など、研介には与えられない。
(もう地上が見え――ッ!?)
地面はまだ何キロも先のはずなのに、カメラでピントを被写体に合わせたように落下先の様相が鮮明となる。
(誰かいる! 飛び降り自殺に巻き込まれ、亡くなった人もいるなんて記事を前に読んだぞ。けど、ど、どうすればいい!?)
だが、自分が誰かに衝突しかねない。
誰かを殺しかねないという恐怖は、墜落死しかけているという恐怖を上回った。
冷水を浴びせたように、研介をパニック状態から脱せさせる。
(さっきまで浮かんでいたんだから)
何の根拠もない。
ただの願望だったが、その強い思いに応えるように、研介の巨体を覆っていたマントが勢いよく左右へと広がる。
その姿は大型の鳥類のようだったが、残念ながら、落下を緩やかにしただけだった。
そして、中途半端にせよ、願いが適った事への安堵の一息を吐く間も与えられない。
(地面まで、あと百メートルぐらいのはずなのに)
その落下先に見える人々は妙に小さく見えた。
(何で、まだ小さく見える? いや、違う?)
足元に広がる茂み《・・》と、月光を映す水たまりの広さの意味を理解し、研介は息が止まりそうになった。
(俺が……大きい!?)
研介は目の前の現実を認識しているものの、それを受け入れる事は出来なかった。
足元に小人が――否、普通の大きさの人々がいる事など、完全に忘却。
心、此処に有らず――そんな何も感じさせない表情で鋼鉄の足で着地をし、ドォォォンという轟音を響かせた。
潰しかねなかったし、生み出した衝撃波で転げさせた人々の悲鳴を聞いているのに、研介には彼らが何と言っているかのを理解出来なかった。
音として、耳には入っているのに、頭がそれを認識出来ていない。失語症に近い状態だろうか。
(お、落ち着け。よし、一つずつ解決しよう)
研介は心の中で必死に唱えながら、ゆっくりと右手を持ち上げる。
(これはロボットの手だ。それに……あの後ろ姿にも見覚えがある)
研介は月光を撥ね返す右手を見ながら、上空で見た自分を思い返す。
(ほぼ共通デザインだった腰の鞘の杖とマントで、賢者ロボだって分かった)
それは子供の頃に何度となく見たロボットアニメのシリーズであり、最近も、憧れであった人の娘さんと一緒に見た作品の主要キャラ達に酷似していた。
(けど、羽角頭はいなかった……。なのに、見覚えがある)
記憶との食い違いに困惑し、研介が鉄の拳を握り込んだ瞬間、彼が見ている世界から、全ての色が消えた。
と言っても、無色透明になったわけでも、何か一色になったわけでもない。
白黒映画のように、濃淡はあるが白黒だけの世界になったのだ。
「な、何だ? 何処だ此処は!? 何が起きてる?」
研介は周りを見回そうとしたが、頭が固定されたように動かない。
それどころか、指さえも動かせない。
体が凍りついたようなのに、口も動かせない。
だが、何故か、声を発する事だけは出来た。
「おやおや……。完成させなかったとはいえ、自分の作品をお忘れですか?」
背後から、それも、左右から同じ言葉を言われ、記憶の奥底に眠っていた――必死に忘れたはずの記憶が浮き上がる。
研介は振り返ろうとしたが、やはり、体は動かなかった。
「そうだ。こんなのしか描けない奴が、絵の高校に進もうなんて……。そう親父達に猛反対されたクレヴァリーのラフ画を完成させていたら」
研介は言葉を吐き出すと、必死に拳を握らんとしたが、やはり、指は動かない。
「そして、良くも悪くもない凡百な高校に進学」
「学業は中の上という成績で、正規のレギュラーにはなれないまでも」
「補欠として、県大会のメンバーには選ばれるという部活歴」
「そして、誰もが羨むような有名でも無ければ」
「ネタにされるようなマイナーでもない」
「面白味のない大学に入学し」
「つまらない無個性の人間になった」
研介の背後に立っていた誰か達に交互に淡々と告げられ、研介は言い返そうとするも――言葉は何も出なかった。
「もしも、あの時、父母の反対を押し切っていたならば」
「もしも、あの時、父母に熱意を伝えて説得を出来たなら」
言葉をきった二人が何を言おうとしているのか?
それが分かってしまったが故に、食いちぎらんとばかりに研介は唇を噛み締める。
「おにいちゃんは四十になる頃、日本を代表する……までは無理でも、五本指の一人に入ると言われる。そんなメカニックデザイナーになれていたんだよ」
突然、目の前に現れた薄ぼんやりとした霧のような誰か。
だが、何故か、人とは思えない程に美しい少女だと分かる何かに告げられ、研介は激しく動揺した。
「俺は……選択を誤った?」
研介が震えながら、必死に声を出すと、何かは正視してしまった者は狂気に陥るだろう貌で嗤う。
それに貌は無いのに、何故か、嘲笑われていると分かってしまう。
「後悔しても、もう遅いけれどね」
そう楽し気に。
心の底から楽しんでいると分かる声で、何かは怒りと悲しみの中にいる研介に告げた。
「選択を誤ってばかりの人生」
「そうだ……。そうだよ」
先程は交代で言葉を告げてきた二人に、再び、同時に言われ、研介は震える声で答える。
「より良い、未来も選べたはずなのに」
どんなに強く願おうと、唇以外は動かせない。
それでも、石になったように動かない両手を研介は必死に握らんとしたが――。
「これは最後に賢く生きたいと強く願った」
二人から、同時に告げられた一言に全身から力が抜けてしまう。
「つまり、俺は死んだ? 語れる程、仏教に詳しくは無いけれど……人があの世でロボットになるはずが」
一旦、言葉を区切るも、真相に気づいてしまったとばかりに震える言葉で続ける。
「いや、この大自然はあの世というより、剣と魔法のファンタジー世界か?」
「あなたへのプレゼントです」
問いかけとも、独り言ともとれる言葉を吐いた研介を無視し、二人は淡々と話し続ける。
「かつて、デザインした『賢き者』の姿で第二の人生を」
「ラノベや漫画だと異世界に生まれ変わりがあるけど、そんな事が現実に起きるはずが」
ありえない――と研介は言葉を吐いたつもりだった。
だが、どんなに願おうと、それが叶えられるとは限らない。
唇が震えるだけで、声として発せられる事は無かった。
「おにいちゃんは『賢き者』の姿で、今度はどんな愚かな選択をするのかな? 楽しみに待っているよ」
唐突に世界に色が戻ったのは、何かに怒りをぶつけようと研介が叫ばんとした時だった。
何が起きたのかを理解出来ないかったが、視界の端で何かが動くのに気づき、研介は半ば無意識に顔を動かしていた。
(皮の鎧? いや、それより、何で女の子を荷物みたいに?)
「賢者ロボォォッ!」
少しでも、状況を理解しようと研介が二人に意識を集中せんとした時、少女の叫びが――全力の咆哮が湖畔の木々を揺らした。
(え、今の声って、白音ちゃん!?)
瞬間、カメラでフォーカスしたように少女が――男から逃れようとする彼女の顔が鮮明になり、泥まみれになったスカートとエプロンも目に入る。
(よく似ているけれど……年齢が違う)
だが、引っ越しの手伝いに行った時の姿が。
三歳という幼さもあって、出来る事は少なかったが、それでも、手伝いを頑張っていた。
母親手製の白エプロンを纏った少女と、元は白色だっただろうエプロンを纏った八歳程の少女の姿が重なり合った。
(いや、違う。あの子は白音ちゃんだ)
「ママを助けてェッ!!」
(ママ? 垣鍔さんもいるのか?)
「馬鹿ッ! 怪物を刺激するんじゃねぇ」
白音を担いでいる――否、誘拐しようとしている。
そんな無頼漢の手が彼女の口を塞ぐのを見た瞬間、研介の全身を何かが駆け巡った。
状況を理解出来ないという恐怖を握り潰さんという勢いで、巨大な鉄の拳をぎゅっと握り込み、金属同士がこすれ合う音を湖畔に響かせる。
「今、直ぐに撤退だ」
その指示に反応した人影達の方へと顔を向け、研介は地面に倒れている厚手のスカートとエプロン姿の女性に気づき、凍りついたように体を硬直させた。
(――ッ!!)
その隙を狙っていたかのように、少女を担いだ男が走り出すが――。
(逃がすかァァァ)
研介は無言で、だが、白音を――思い人の娘を誘拐せんとする男を逃さんという絶対の意志を込め、鋼鉄の踵を大地へと振り落とす。
まるで落雷のようなドォォォンという音が響き渡り、視界の端で二人組が倒れた。
「ぅぉぉッ!?」
白音を連れ去ろうとしていた皮鎧の男は、抱え上げていた彼女を落すまいと必死の形相で踏ん張った。
(あぁ、くそッ。もし、あいつがバランスを崩して倒れていたら、白音ちゃんは)
怒りに任せた行為、今の自分が引き起こす結果を考えなかった浅はかさ。
思い人の娘を負傷させかねなかった事に、苛立ちながら、研介はゆっくりと二人に向かって足を進めた。
「巨人! お前は何者だ? 何が目的で降りてきた!?」
(くそッ。何で、とっとと逃げない?)
皮鎧の男はお前を倒してやる――と言いたげな強気の顔だったが、その声が少なからず震えている事に研介は気づいた。
(いや、怖がっている? 山で熊に遭った時みたいに、後ろから襲われるのを警戒しているのか?)
その娘をゆっくりと降ろして、とっとと立ち去れ――と簡潔に告げるのも、選択肢の一つだった。
だが、白音の呼びかけと、奇妙な空間での嘲笑が研介に違う言葉を選ばせる。
(賢きロボの姿になっているんだから、それらしい口調の方がいいよな)
「娘を思う母の願い」
研介は誘拐犯から、子供を取り返さんとしている母親。
必死に立ち上がった垣鍔佐恵を不安気に見つめながら、大音量だが、威圧感などは一切感じさせない声を湖畔に響かせる。
「母を助けたいと願う娘の思い」
そして、必死に逃れようと奮闘を続ける白音を後押しせんと力強い声を向けた後、鋭い目を誘拐犯へと向けた。
「親子の情に呼ばれた」
全身を射貫くような力強い声を浴びせられ、呻き声をあげた誘拐犯が後退する。
(妙に役者めいた台詞がすらすらと出るぞ……。どうなっているんだ?)
研介は己の口が発した言葉に戸惑うも、それを不快には思わなかった。
(ただ、異世界から来たと言うのも味気ないな……。そうだ! あの、白黒のよく分からない世界)
TVアニメで見てきた賢者ロボ達の最初の名乗りを思い出しながら、研介はゆっくりと口を開く。
「私はクレヴァリー。狭間の世界から来た賢者ロボ・クレヴァリー」